写真 山田永里子

その23 セコンド



俺はトレーナーライセンスを取得して10年になる。

だが今まで1度もリングの中に入り、選手と顔を合わせた事がない。
常にロープ越しから顔を出し、覗きこむ様にして選手の表情を確認していた。
これが当たり前だと思い、長い年月を過ごしてきた。
うちのジムはチーフセコンドとして、リングの中に入るのは会長だと決まっていた。
最初からそうだったので何の疑問もなかったし、今までのセコンドスタイルが当たり前だと思っていた。

『温故知新と化学反応』あたりから、たくさんの選手が集まりだした。
そしてチーム黒船を結成した頃から、団体関係なく頼まれればセコンドにつく事にした。
各団体にはセコンドのライセンスは存在しない。
選手が三名を選び、パスカードが発行されるだけだ。

実際にリングの中に入り、選手と同じ目線でものを見ると、
これまでとは違う感覚が動き出してくる。

インターバル中に選手が見せる、小さな表情からたくさんの事が読み取れる。
いつもミットやスパーはもちろん、サンドバックもシャドウも全部一緒にやっている。
それだから、選手が示す小さな信号をとらえる自信はある。

優れたトレーナーの方々に比べると、戦術などの面では足元にも及ばない。
しかし自分の選手の事なら、世界で1番分かっているつもりだ。

選手を安心させる事が、俺に出来るセコンドの役目だ。

今年に入り、たくさんのセコンドに付きながら、本当にいろいろな事を勉強した。
門馬秀貴が戦ったグレイシーの負けない戦い。
これはムエイタイの戦い方に重ねることが出来る。
勝てないと判断したら、負けないように戦いのシフトをチェンジする。
どんな格闘技でも、1流に善戦は出来ても、やっつける事の難しさは同じだ。
15の試合の時は、インターバル中の選手とセコンドの心の会話を学んだ。
川尻達也の試合では、君が代をリング上で聞く経験も出来たし、ファンの温かさも味わえた。
秋山成勲の試合では、大舞台での入場や、セコンドの連携に磨きがかかった。

これは2月〜3月までの、試合の流れである。

待てよ。

3月11日に福島学は怪我以来、9ヶ月ぶりの試合を行っている。
しかし俺はいつも通り、リングの中には入っていない。
ロープ越しに顔を出して、横から少しアドバイスをするくらいだ。
数ヵ月のコンビの選手のセコンドにはついて、10年コンビを組んでいるの福島のチーフセコンドにはついていない。
自分では今まで当たり前と思っていたことが、他の舞台で経験する事で、疑問がうまれてきたのは事実だ。
これは俺だけが感じるのではなく、もちろん選手もそう感じるだろう。
そして何より他の舞台をテレビなどで目にした、知り合いや関係者などから、もの凄い数の質問をされた。
『山田さん、ボクシングをやめたんですか?』

この質問も数多くいただいた。もっと詳しい人達から言わせると

『なんでボクシングでは、リングの中に入らないのに、他の格闘技の試合では中に入っているんですか?』

と言うような質問に変わっていくのだ。

このままでは駄目だ。

そう思い、自分の会長にこの事を相談してみた。
すると快く受け入れてもらえ、次からは試合する選手を見ているトレーナーが、
チーフセコンドとしてリングの中に入れるようになった。

このセコンドの話も、他の格闘技から学んだ事だ。

たくさんの格闘技に関わる事をしなければ、俺はこの先ずっと、
セコンドとしてリングの中に入り、選手と会話することはなかったかもしれない。

だがしかし、たくさんの方から質問される中で

『ボクシングをやめたの?』

っていう質問が、もの凄いたくさんあったのは事実だ。

今の格闘技の人気は凄いと思う。
興行もたくさんあるが、大きな会場を埋め尽せる程の集客力がある。
何度も書いてきているが、興行に関して言えばボクシングは学芸会である。
チケットを選手の手売りにして、ファイトマネー支払う形では天井が見えてくる。
世界戦も深夜放送に追いやられ、知名度の低さと言ったら、これ以下がないほどに落ちた。
マスコミが動く力も違う。
秋山選手の試合前、公開練習が行われた。
ボクシングの世界戦以上のマスコミの数に、時代の流れを感じざるを得なかった。
次の日の新聞やインターネットなどには写真までデカデカと出ている。
しかも俺のことを『名伯楽』などと持ち上げて、さも俺が凄腕トレーナーだと説明しているのだ。
俺が見ている選手として、福島学の名前を筆頭に川尻や野地など、有名選手の名前がズラリと並んでいる。
この記事を見ると、

『こんな凄いトレーナーと練習をしているなら、打撃がかなり進化しているはずだ』

と見る者の心を揺さぶり、期待感を煽ることになるだろう。
俺のような浅はかなトレーナーでも、集まっている有名選手の名をあげれば、意外にハクがつくもんだ。
見る側にしっかりと要点を説明し、何を注目すれば良いのかを分かりやすく伝える。

どんな仕事でも当たり前の事だと思う。

それにこの公開練習の映像は、たくさんの番組で放映されたようだ。
秋山選手の紹介で使う映像として、夜でも朝でもいろんな番組で流れたようだ。
おかげで格闘技に全く無頓着なうちのオフクロですら、秋山選手と俺の練習シーンをブラウン菅越しに見ることなる。

そういった状況の中

『ボクシングをやめたの?』

的な声がたくさん聞こえてくるのは仕方がないのかもしれない。
しかし中には

『本業を手抜きしてる』

的な声があるのも確かな事実だ。

本業。

主とする職業。

俺の仕事はJBスポーツのトレーナーである。
うちのジムに集まる選手を見ることだ。
もちろん、みんなの言わんとすることは分かる。
福島やボクサーをないがしろにし、他の格闘技に目がくらんでいると思われているのだろう。
最近はゴールデンタイムに放映される興行に足を運ぶ。
しかしこちらもボクシングと同じで、下からコツコツと積み上げてきたのだ。
いつかメインのリングに選手をあげたいと思い、
分からない事を必死に勉強し、選手と共に歩いてきた道である。

前にも書いたが、俺は今までプロボクサーを5人しかリングにあげていない。
しかし今、俺のところへ足を運ぶプロ格闘家は、両手ではゆうに数えられない人数になっている。

なぜそのような数の違いが出てきたのか?

この答えは簡単だ。

これまでも書いてきたが、うちのジムでプロボクサーになりたいのなら、
AコースとBコースに分けられている中から、Aコースを選ばないとならない。
そしてAコースを選んだら、毎日必ず6時半にジムに来る事が義務付けられる。
無断で休んだらクビにされる。
仕事をして6時半に来れないなら、仕事を変えるか他のジムに行きなさいと勧められる。
入会後、一ヶ月が経つと「根性試し」と名付けた、苦しくて痛いスパーリングが待っている。
しかもこの一ヶ月間は、トレーナーが付く事もなく、ひたすらジャブとワンツーを繰り返すだけだ。
この孤独感に耐えながら、ボコボコにされても歯を食いしばる子は、今は皆無に近い。

ただでさえ少なくなったAコースを、強制という力で押さえ付ける形をとり続けていた。

つまり、強烈な鎖国だ。

それに対して、俺の元へ足を運ぶ格闘家達には、そんな強制は全くない。
うちのジムに所属するわけではないので、強制や束縛を受ける必要がない。
選手と俺との繋がりだけだから、練習に来るのも休むのも連絡一本で済むのだ。
こういった自主性を重んじるやり方(束縛されるのも束縛するのも嫌いっていうだけだが)
を、続けてきたらドンドン選手が増えてきた。

もちろんボクサーもたくさん育てたい。
しかし入会して来ない人は見ることが出来ない。
前にも触れたが、『〜ジムはこうだ』と言うように知識は、プロボクサーにならないと見えてこない。
そしてそうなると、外へは出れないのがボクシングである。
俺はボクサーも格闘家も大好きだ。
選手が何の格闘技をやっているかなんて、コンビを組むときに考えもしない。

ただこれまで、うちのジムではプロボクサーを目指した時点で、強制的な束縛を受けざるを得なかった。
ボクサーではない、格闘家達は俺とのコンビを組むだけでなのに。

一貫して金銭の受取りを拒否してきたことは、これまでも至る所で書いてきた。
しかしゴールデンタイムに出たりすると、それを見た知り合いなどから

『たくさん金をもらえるの?』

などと質問される。
どうして金銭を受け取らないかという理由を、そういった方々に説明するのは困難な事だ。
だからいつもこう言うようにしている。

『僕はトレーナーですが、福島やボクサーのファイトマネーから金を貰い生活しているわけではない。
森川先生の温かい心で好きな事をやらせてもらっているんだ。
先生のボランティアの心がなければ、今の僕は存在しない。
それなのに僕だけ他の格闘技から金銭を受け取っていては、先生にもボクサーにもは筋が通らない。
もしそうするなら、JBを辞めるべきだと思う。』

といつも答えるのだ

先生に恩返しをするためには、面白い試合をする選手をリングに上げることだ。

もちろん、まずボクサーを。

その事へ向けて、うちのジムのシステムを変えることにした。
AコースとBコースに分けていたこれまでのスタイルを、今年の4月から全面廃止にする事にした。
練習時間も好きな時に来てよくなり、休みも自分の判断で決める。

全ては選手の自主性に任せる。

これまでうちのジムは、各団体の選手を受け入れてきた。
他のジムから見たら、ありえない環境だろう。
山口裕司の東洋タイトル挑戦試合もそうだ。
他のジムの選手であるが、素晴らしいボクサーだと評価して、必死に興行を実現させた。

外へ向けての門戸開放はやり続けてきた。

しかし我がジムでは強制と束縛でプロ選手を押さえ付けていた。
ジムオープン当初、トレーナーが育っていなく、全ての試合のチーフセコンドを会長がやってきた。
今はあの頃とは違い、トレーナーも育ってきた。
これからは普段からずっと選手を見ているトレーナーが、チーフセコンドにつくことへ変わった。

鎖国を解くと言いながら、自分達のジムが殻に閉じ籠っていた。

俺は各団体の選手達を受け入れて、たくさんの事を学んできた。
そして一番疑問に感じたのが、うちのジムのスタイルだったんだ。

なぜ他の格闘技の選手数だけが増えるのか?

これを紐解いていくと、自ずと答えは見えてきた。

2006年4月。

JBスポーツは新たなものへと出発する。
この先、まだまだ分からない道を試行錯誤しながら、進んでいくであろう。

でも俺なら大丈夫だ。
たくさんの選択肢から選んだ道ではない。
目の前にたった一本しかない道だ。

選手とリングで戦えるなら。

視界は良好です!!!




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●山田武士
1973年、埼玉県新座市生まれ。AB型。
1996年、チンピラ(自称)からJBスポーツジムトレーナーに。

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