写真 山田永里子

その21 エリート雑草(黒船襲来編)



『大曲先輩があっという間に倒してチャンピオンになりました!
自分、どこに向かうのでしょうかね?』
っていう複雑なメールが、俺の携帯に届いた。
やっと掴んだ日本ウェルター級1位の位置。
約束されていたチャンピオンカーニバルでの、日本タイトルマッチ。

しかし一足先にチャンピオンに挑戦した、ジムの先輩がいきなりの奇襲攻撃で、
あっという間の王座交替劇を演じてみせた。
もちろん、先輩の快挙を喜ばないはずはない。
しかし心中は間違いなく複雑だったと思う。
そしてそのメールに対しての俺の返信は、
『そうか。とにかく、今日はガッツリ飲み明かそうな』
って内容だった。
『すいません。よろしくお願いします。』
って返信が、もの凄く俺の心に突き刺さった。

『エリート雑草』の最後に書いた一文がある。
『ヒロシ、もうすぐだ。イッキに抜き去ってやれ』
っていう俺からのエールだ。

ボクサー山口裕司選手と俺の親友のヒロシ。
トラッシュ中沼正樹の言葉を使わせてもらうと、どちらも俺の大好物なんだ。

ヒロシとは本当にプライベートでよく会っている。週1回くらいの割合で遊んでいる時もある。
前回の『エリート雑草』が完成してからも、ヒロシは追い抜く為の「バトン」をなかなか渡されず、
長い、長い、助走を必死に続けている。
『調子ですか?常に自己新です!』
『思いを寄せていた人に振られたばかりなんで、僕にはもうボクシングしかありません。』
『もう小物は食い飽きたんで、そろそろ大物食いたいですね。』
『明日でも明後日でもいいんで、70キロでも80キロでも構わないから、東洋チャンピオンの日高選手と戦いたいです。』
と試合が終わるたびに、至る所で自己アピールし続けてきた。
行きすぎた態度もあるとは思うが、ヒロシは懸命にもがき苦しみ、チャンスを掴もうとしていた。

そんなある日、ヒロシが試合観戦の為に行った後楽園ホールで吠えた。
同じく試合を観戦していた、加茂さんに噛み付いたのだ。

なぜヒロシはそんな事をしたのか?

包み隠さず書かせてもらうなら、このTalk is Cheapの『拳跡』の中の、日高選手のコメントに対して意見をしたのだ。

『ヨネクラジムの何とかという選手が生意気なこと言ってるらしいけど、それなら自分でもう少し上がってきなさいよと言いたい。ボクは上の人とやったほうがメリットがある。』
と書いてあった。
チャンピオンらしく堂々としたコメントである。
勝負の世界なら、互いに舌戦する事はよくあることだ。
ヒロシも事あるごとに、日高選手の名前を出して、対戦要求をしてきた。

しかしヒロシは、日高選手が言った内容に怒ったのではない。

山口裕司と言う一人の人間の事を、日高選手の言う通りに「何とか」と書いた記事に腹を立てたのだ。
例え日高選手が、
『山口裕司の名前を出さないで』
と記者に言ったとしても、中立な立場の記者が偏った書き方をした事に怒ったのだ。
ボクシング界を盛り上げるための記事なら、互いの名前を出して論ずる必要がある。
プロの選手はそうされる責任がある。
しかし名前も伏せられ、単なる悪口になるような記事に腹を立てた。
もし名前を書かないなら、そのセリフすら記事にしない方がいい。
この誰に伝えていいか分からない怒りを、食事をした事もあり、面識のある加茂さんにぶつけたのだ。
しかしいきなり言われた加茂さんには何の事か分からない。
『えっ?えっ?』
となるのは仕方がないことだ。
次の日に加茂さんから、俺の携帯に連絡がきた。

『昨日、山口君とホールで会ったんだけど、凄い剣幕だったの。
私は試合を観なければならなかったし、ちゃんと話を聞いてあげられなかったんだけど、山田っちなら何か聞いてるかな?と思って』
と聞かれた。この話を聞いて
『ありゃ〜、ヒロシとうとう爆発しましたか〜』
と切り出し、あとは先の下りを説明した。

世界5位のバキロフ選手と互角の試合をしてから、もう一年が過ぎた。

アマチュアエリートとしてプロ入りし、無敗の戦績を伸ばすも、めぐってこないチャンス。
カーニバルでの挑戦が確実だと思われていたが、それもジムの先輩が奪取して叶わぬ夢となった。
狙うは東洋タイトルだけである。
しかしマスコミは「何とか」と書く事で、自分自身の名前すらも表現してくれない。
そんな怒りに満ち溢れていたのだろう。
所属ジムも違うし、ただプライベートで会っている俺としては、楽しく仲良く遊んで話を聞く事しか出来ない。

そんな中、12月に日高選手の2度目の防衛戦が行なわれた。
日本タイトルという道が閉ざされた立場のヒロシは、この試合の勝者に標準を合わせるしかない。

試合は壮絶な打撃戦の末、挑戦者のレブ・サンティリャンが王者日高選手をKOで破り、王座に返り咲いた。
ヒロシはこの試合をリングサイドで観戦していた。
俺は会場には行かず、自宅のG+の生放送を見ていた。
ころころと変わるターゲット。
ヒロシの気持ちになって考えていた。
新チャンピオンのサンティリャンが、喜びを表しながら、リングサイドの観客のまわりを歩き挨拶している。
そのままテレビを見続けていると、ブラウン管にはサンティリャンに笑顔で接しているヒロシが映っていた。
この二人はいつか戦うのだろうか?

この試合から3週間後、ヒロシは後楽園ホールのリングの中にいた。
対戦相手はインドネシアのウェルター級ランカーだった。
その相手は背が高く、手足の長い、蜘蛛のような選手だ。
そして日高選手、サンティリャン、どちらもサウスポーのパンチャーであるが、
この相手は右構えのボクサーな事にも驚いた。
『これくらいの相手、スカッと倒してやる』
こう思い、戦う選手のはやる気持ちは分かる。
試合が開始され、ヒロシが早いジャブを二つ打つ。
しかしこの2発は相手の深い懐に邪魔され、まったく届かなかった。
しばらく様子を見ながら、プレッシャーをかける。
ただ打つだけでは、なかなか相手に届かないと判断したヒロシが、次に仕掛けたジャブは、
相手が打つのと同時に、左肩を入れ体の軸を回転させる、カウンターに近いものだった。
そのジャブをまともに喰った相手はロープへと飛ばされる。
それを追い掛け、もう一度ボディに罠を仕掛ける。
観客席で見ているこちらも、何の疑いもなくチャンスだと思った。
しかし相手はこれまでに数発のジャブしか繰り出していない。
ヒロシの中に、まだ相手のデータはインプットされていない。
だがいろいろな感情が入り交じり、焦るヒロシは大胆に、注意を怠りイッキに飛び込んだ。
その瞬間に、相手は抜群のタイミングでこの試合初の右を打った。
『危ない!』
と客席で見ている、俺と森川先生が叫んだ。
実際に、俺なんかは目をつぶってしまったくらいだ。

ヒロシの試合は見続けている。

しかしこの時のような、事故が起きるようなタイミングで仕掛けることは、今まで一度も見た事はなかった。
これを体をズラす事で、凌いだヒロシは、雑になりかけた展開を自分で調整し直し、中盤にストップして試合を終えた。

数日後、俺の地元にヒロシが来てささやかな祝勝会をしていた。
今まで、ヒロシのボクシングに口を挟んだことなどなかった。
しかし1Rのあのタイミングは、どうしても聞きたかった。
『あのタイミングをヒロシ自身がどう考えているか?』
って事だ。
これに対するヒロシの答えは、自分自身の焦った気持ちも理解しつつ、理路整然としていて、聞いた俺が安心するものだった。

ヒロシと俺の仲が良く、そして森川先生がヒロシのボクシングが好きなことは、知る人ぞ知る事実である。
だからなのか、うちの会長も事あるごとに、ヒロシの動向を気に掛けてくれている。
チャンピオンカーニバルの目玉カードの、クレイジーキム選手対川崎タツキ選手の計量会場の時だった。
いつものように、うちの会長がヨネクラジムの林君に、ヒロシの動向を尋ねた。
すると林君から、もの凄い事を頼まれることになる。
ヒロシの東洋タイトル挑戦。
その試合をうちのジム、JBスポーツの興行でやってほしいと言われたのだ。
チャンピオンを日本に呼ぶ為の高額な金銭面から、ヒロシのファイトマネー、試合場である後楽園ホールの押さえ、ポスター制作、チケット販売、それら全てをうちのジムがやるのだ。
しかしジムを移籍するわけではない。
うちのジム所属の選手ではないから、テレビ局の協力も得られない。
つまりうちのジムが、他のジムの選手の為にお金を出し、懸命にチャンスを作るという事だ。

前代未聞の興行だ。
うちには何のメリットはない。
しかしボクシング界の為に、山口裕司は必要だ。
目先の金にとらわれず、業界の為に立ち上がる。
至る所で常に言い続けていたことだ。

試合の日時も4月20日と決まった。

だがまず最初に俺が気になったのが、これを聞いた時のヒロシの心の動きだ。
中学時代からヨネクラジムに通い、高校、大学とアマキャリアを積み上げ、プロ入りの際はきっちり筋を通し、選んだヨネクラジム。
それだけ長い歴史がある中、プロ入り初のタイトル挑戦試合を、まったく関係ないうちのジムが組む。
筋を通す男だからこそ、ヒロシの心が気に掛かった。

すぐにヒロシと二人で会う約束をした。
待ち合わせ場所に行くと、普段見た事のないような、淋しそうな顔をしたヒロシが待っていた。
『すんません、アニキ。アニキに世話になりっぱなしで。』
といきなり謝ってきた。
とにかく知り合いの店に行き、美味しいものを食べて飲もうと。
店に入っても、ヒロシの顔はなかなか晴れない。

ヒロシは『手紙』の熱烈な読者である。
毎回、更新されるたびに感想をくれる。
酒を飲みながら、熱く語り合うことも度々だ。
俺が書き続けている、ボクシング界の鎖国についても、何度も二人で話し合った。
たくさんの他の格闘技と触れ合う事で、良いところや悪いところを学びあう同士だ。
そんなヒロシだから、この試合を組む意味がある。
ペリーになるとは言わないが、鎖国を見直す切っ掛けになればいい。

俺は好きな事だけをやって生きている。
『ルーツ』にも書いたが、他の格闘家から一切金銭を受け取る事無く指導している。
それは父親からの教えという大儀もあるが、やはり森川先生が居なければ成り立たない事だ。
俺なんかにも、守るべき家族はいる。
いくら何でもボランティアでは、生きてはいけない。
先生の暖かい心があるから、人並みの生活をさせてもらえているのだ。
書くのは照れ臭いが、毎日を感謝の気持ちで生きている。
決して金に惑わされる事の無い、先生のような見本がいてくれるから、俺みたいな男でも鎖国をとくような生き方や指導が出来るんだ。
選手の出稽古が自由な今の格闘技界。
JBスポーツがなければ、良いパフォーマンスを見せられない格闘家がたくさんいるのは事実だ。

この『手紙』を書くようになって、連載そのものが企画書のようなものになっている。
普段はあまり密に話すこともない、先生や会長がわざわざ読んでくれて、俺の浅はかな考えを理解してくれている。

すべての始まりは、この連載だったのかもしれない。
そして俺が言えるのは
『ペリーが誰になるかは分からないが、うちのジムが黒船なのは確かである。』
って事だ。

ヒロシ!出稽古に来ている格闘家とは形は違うけど、黒船にようこそ!
そして自分に自信を持てよ。
この船は誰でも簡単に乗れるわけではないんだ。
森川先生が、ヒロシの試合を何度も観て、ヒロシのボクシングを評価したんだ。
もちろん、俺だってそうだ。
仲が良いからといって、簡単に乗せることが出来ない船だ。
『選ばれた者』が乗る船なんだ。
とっくに気付いていただろ?
俺達は『選ばれた者』だって事を。
「バトン」は渡したぞ。

弾けてこい!




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●山田武士
1973年、埼玉県新座市生まれ。AB型。
1996年、チンピラ(自称)からJBスポーツジムトレーナーに。

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