写真 山田永里子

その20 戦う器



試合前の選手の表情は、本当に十人十色である。
人により、本当に様々な雰囲気を作り出す。
試合に挑む気持ちは、新人でもベテランでも変わらない。
負けてもよいなどと思い、リングに上がるプロは居てはいけないだろう。

僕は職業柄、たくさんの人に聞かれる事がある。
『やっぱり選手は、リングに上がる前は怖くて仕方がないのでしょ?』
という質問だ。
なぜか、選手には直接聞かずに、クッションのように僕を間に入れて質問する。

この質問に答えはない。
人それぞれに心があり、その試合の為に歩んできた道がある。
『試合前のボクサーは〜』
というカテゴリーに選手全員を当てはめる事は、非常に誤解を呼ぶ事になると思う。

怖いと思う場合もあるとは思う。
しかし普段と変わらずに、リングに向かう選手もいる。
極度の緊張状態になり、言葉すら発しない選手もいるし、
逆に非常に冗舌になる選手もいる。

とにかく、選手により様々なのである。
僕が見ているボクサーを含め、たくさんの格闘技の選手にも、いろんなスタイルがある。
名前を出すと、彼らの名誉(?)にかかわるから、個人名は避けておこう。

『自分はずっと喧嘩しかしてこなかったし、それが一番自分を作りやすいので、
いつも試合前はタイマンする時の状態に持っていきます』
と言う選手もいる。
『トイレには何十回も行きます。もう何だか、体の中に少しでも排出物があるのが嫌なんですよ。』
と言う選手もいる。
その他にも、絶対飲むことはしないのに、いつもホットコーヒーを控え室に持っていき、
その湯気を鼻からスーッと吸い込むことを繰り返す選手や、
バナナとゼリーを両手に握り締めて、
『どっちを先に食べたらいいですか?』
と、必ず僕に聞く選手もいる。
かと思うと、試合のギリギリまで本当に爆睡し寝続ける選手もいる。
これを緊張といえば、そうなのかも知れないが、ある意味戦いの前の儀式とも見えてくる。

でもやはり僕が見ている選手の例としては、やはり福島学には触れておきたい。
福島とコンビを組んだのは、96年の年末あたりだと思う。
僕が初めて見た、プロボクサーが福島である。
当時、僕は24歳になるかならないかであり、福島は22歳である。
この年の近い、若いコンビには怖いものは全く無かった。
強がりを言うつもりはない。本当に何にもなかった。

僕の立場から言うと、選手を見続ける難しさを、当時は米粒ほども理解していない。
苦労も努力もないので、怖さを感じるセンサーは持ち合わせていない。
福島は天性の強い心の持ち主だ。
試合前に、動じた様子を見せたこともない。
最初に見た選手が、こういった男だと、こちらとしては大変心強い。

日本タイトル挑戦を、カウントダウンして待つ立場になった、99年の事である。
黙っていれば、次の年のチャンピオンカーニバルで、チャンピオンに挑戦できる。
それなのに、前哨戦の相手に選んだのは、チャンピオンの真部選手に挑んで、惜敗したばかりのランキング4位の北島選手だった。
チャンピオンの真部選手はサウスポーで、北島選手はオーソドックスである。
このマッチメークを頼んだ、福島と僕の肝っ玉が座っているというより、
何にも知らないヤンチャ坊主のような感覚であった気がする。
負けるという気持ちが全くないのは当然で、何よりどんなものでも蹴散らす事が出来ると、盲目的に信じていた節がある。
入場の数分前、
『ねぇねぇ、判定勝ちなら福ちゃんが飯おごれよ』
『なら俺がKO勝ちしたら、山ちゃんがおごってよ』
なんて会話をしていた。
緊張感も悲愴感も存在しない。

メインクラスになると、テレビで放映される。
試合前の控え室に、カメラが入ってくる。
ドアを開けて、いつもビックリされる。
二人でくだらない話をしながら、いつも爆笑しているのだから。
これはテレビを意識して、わざと演じているものではない。
仲の良い選手が激励に来たときも、
『いや〜ありえない程の空気ですね。喫茶店みたいですよ』
と半ばあきれ顔だ。
これが福島学のスタンスだ。
自分で始めた事なんだから、自分が一番楽しみたい。
非常に素晴らしい精神だと思う。

しかしこんな二人にも、緊張という言葉を心に植え付けられる時が来た。
それは3年前の、あの世界戦のリングであった。
デビュー以来、楽しく自分らしくのスタンスで、ずっと突っ走ってきた。
世界戦も走り抜けてやると思い込んでいたのかもしれない。

入場を待ち、両国のリングに向かう扉が開いた。
後楽園ホール以外の場所で試合するのが、初めてであった事もあるが、あまりの歓声に何が飛んだ。
あんなに大きな両国が、まるで洞窟のように感じたのだ。
あれよ、あれよの間にリングイン。
ラリオスが入場して国歌の吹奏だ。

あまりの緊張状態に陥ると、視界が崩れるらしい。
君が代を聞きながら、日の丸を見る。
目の悪い僕や森川先生にも、二階席の日の丸の横にいる観客の顔がはっきり見える。
リングの側に座る、両親などは隣にいるかのようにすら見える。

視力が良くなったというより、全てのものが大きく見えるような感覚だ。
そういった圧迫感を感じ、まるで洞窟の中のように思えたのかもしれない。
しかし今までの浅はかなキャリアでは、これが緊張状態がもたらす副作用だとは気付くことが出来なかった。
まあ気付いたところで、どうなるものではなかっただろうけど。
いろんな意味で、勉強になった世界戦であった。

10月10日に内藤大ちゃんの世界戦を観戦に行った。
大ちゃんとは4、5年前に深夜に放送された、筋肉行脚という番組で、腕立て伏せバトルで戦って以来の仲である。
福島や大ちゃんや正樹などは同学年であり、僕も仲間に入れてもらい、何度も一緒に食事をしたりもしている。
ポンサクレックと再戦はぜひ生で見たいと思い、試合会場である後楽園ホールに足を運んだ。
ポンサクとの1戦目の結末や、その後、大ちゃんが最短で日本タイトルを防衛した事から、非常にドラマチックなものになった。

会場に着き、森川先生と大ちゃんの控え室に激励に行った。
試合開始まで数十分の、一番緊張するであろう時間帯である。
控え室に向かうのだが、この日は場所はホールでも、メインは世界戦である。
パスカードがないと、下の控え室に行くことが出来ない。
するとわざわざ、宮田会長が上に上がってきてくれて、僕達を控え室まで引導してくれた。
すると思いがけない言葉を宮田会長の口から聞くことになった。

『山田さん(なぜかいつも僕なんかを、さん付けで呼んでくれる)には一つ言いたいことがありまして。
3年前のラリオス戦で山田さんがリングインして、リングをまわりながら、
両国を見渡していた姿を見て、よし!僕も世界戦をやるぞ!と思ったんですよ。
本当にあれが始まりなんです。』
と突然言われ、握手してもらった。僕的には寝耳に水で、
『いやいや、何をおっしゃっているのですか。勘弁してください』
としか言いようがなかった。

大ちゃんへの激励を終え、席に戻ろうとしと階段を上がっている最中に、うちの会長が
『宮田会長が、さっき山田に言ったことは、本当みたいだよ。
俺も宮田会長に、山田がリングを見渡していた姿を見たことが始まりだって言われた事があるよ。』
と説明された。



さて、当の本人の僕だが、器の小ささを隠す事なく言わせてもらえば、
自分のした行動なのに、まったく憶えていないのである。
人生初の極度の緊張状態で、リングに上がってからゴングが鳴るまでの時間が、
ほんの数十秒くらいにしか思えなかったくらいだ。
その有り難い言葉を試合の数十分前に、わざわざ僕に伝えられる宮田会長の器の大きさに驚いた。
比べることなんて、非常に失礼だとは思うが、僕なんかの器もモノも違うなと。

椅子に座り、大ちゃんの入場を観る。そしてチャンピオンのポンサクレックの入場だ。
リングインしたポンサクの顔を見て、隣に座る森川先生と驚いた。
何の気負いもない、能面のような顔に見えたからだ。
10度を越える防衛をする男は、まさに仕事をしに来た職人の顔のようである。

3年前の僕はひどかった。
世界という重圧に潰され、緊張している事にすら気付けない、籠の中の鳥のようであった。
世界戦の一ヵ月くらい前から気分の荒波に飲み込まれ、
それを認めたくないために毎晩寝ないで騒ぎ、自分の心から背を向けた。
怖がる自分を認めたくなかった。

あれから3年。
僕はたくさんのことを経験し、自分は変わったのではないかと思っていた。
しかしチャンピオンのポンサクレックの表情を見た時、
とてもじゃないが、こんな男にはなれる訳がないと思った。

戦う器の違い。

情けないがそれは認めるしかなかった。
試合後、森川先生と二人でタクシーに乗りながら、家路に向かう。
本来なら、その5日後にシドレンコ対福島学のWBA世界バンタム級タイトルマッチが、
同じ場所の後楽園ホールで行なわれるはずであった。
3年前の屈辱から、必死にはい上がり掴んだチャンスだ。
1度目は王者のシドレンコの負傷で流れ、2度目は福島自身の負傷で中止になった。
怪我に関しては、誰も責める事が出来ない。
一番、悔しく口惜しい気持ちをしているのが、福島自身なのは紛れもない事実である。

この日観た世界タイトル戦で、僕の心を締め付けたのが、淡々と入場し淡々と戦う、ポンサクレックの表情だった。

3年前の揺れ動く気持ちに背を向けた僕と、2度も流れはしたが、もし実現していた時の僕。
この僕自身を比べてみた。

3年前と違い、6月の1戦目の前も、10月の2戦目の前も、僕はかなり落ち着いた生活を送っていた。
自分自身に『あの頃より大人になった。』と思い込ませてきた節がある。
福島本人は本当に成長したと思う。それは最初の福島編で詳しく書いた。
それに比べ、僕はどうなんだろうか?
自分に自問自答しながら、自分から逃げないように追い込む。
そんな中、森川先生に
『今回の俺達は、3年前に比べ冷静過ぎたかも知れないな。
ポンサクの顔を見た時に、こりゃ仕事をしに来た男の顔だと思ったよ。
世界の猛者は、調子が良かろうが悪かろうが、きっちり戦う術を持っている。
どの世界でも、何年もトップでいる人間は、やはり強者どもの集まりだね。』
と言われた。
もう10年以上の長い間、その道でずっと活躍し続けている、
森川ジョージ先生に、そう言われると物凄い説得力があった。

確かに3年前より、今の僕は成長しているとは思う。
しかし自分の物差しだけを基準にし、だから大丈夫だと考えるのは間違いである。
あの頃の、アリンコのように小さかった僕よりは、少しは器も大きくはなったかもしれない。
しかし自分のキャパシティだけで判断し、危うくあんな凄い人達と、同じ土俵に上がったつもりになるところだった。
またもや勉強させられた。
このままの気持ちで、世界戦に挑んでいたら、間違いなく福島の足を引っ張っていたと思う。
リングの中の、チャンピオンの淡々とした態度を見たら、膝がガクガク震えていたはずだ。

自分には戦う器はない。

これは認めなければならない、僕の大事な宝である。
戦う器がないから、今の僕がいるのだ。

怖がる自分を確認し、たくさんの事を、目を凝らして見続け、耳をすまして聞き続ける。
僕が出来ることは、たったこれだけしかない。

『俺達は農耕民族なのだから、大きな行事の前には、
収穫祭と称し飲めや歌えで、大騒ぎするしかないんだよ。』
タクシーの中での先生のこの言葉、絶対に忘れませんよ!
永遠のシタッパの僕と篠田さんは、膝をガタガタ震えさせながら、
生き死にのギリギリまで騒ぎますから(笑)


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●山田武士
1973年、埼玉県新座市生まれ。AB型。
1996年、チンピラ(自称)からJBスポーツジムトレーナーに。

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