写真 山田永里子

その19 基本の裏側



ふと考える事がある。

早いパンチに対しては反応できるのに、なぜか鈍臭いパンチに全く反応が出来ないことがある。
健康維持の目的で通ってきている会員さんや、総合格闘技の選手で打撃をほとんど練習した事がない人、
プロ志望なのだが、まだ入って間もない選手だったり。
彼らのパンチに、体が反応してくれないのだ。
まともには喰わないが、ブロックしてダラダラとスパーしてしまうことがある。
『危険察知能力』が働かないという事もあるが、ボクシングの教科書にない打ち方に対処できないという事も、理由の半分を占めていると思う。

確かにビリビリとした緊張感はない。このパンチを喰ったら、ぶっ倒れるだろな的な恐怖感もない。
そうなると、なかなかピシッとした動きが出来ない。これは非常に良くない事とは思いながら、
動きに『、』や『。』が入らず、ダラダラした文章のようになってしまう。
そういう意味では『危険察知能力』は、やっぱり俺にはとても大事なカテゴリーだ。

そしてもう一つ、我流的(ここでは好きなように打ってくるという意味で)な打ち方に対処できないという事もある。
長くボクシングをやってきた為か、ジャブで相手を崩して右につなぎ、返しの左っていうものが頭に染み付いているのかもしれない。
だからいきなりの右や、右のダブル。ため込みのない、体重がのってない手打ちのワンツーなどに、反応できないことがある。

プロ志望の子が初めてスパーする。昔は俺が相手をしていた。
始まる前に
『喧嘩する気持ちでやれ』
と会長に言われ、初めてのリングに上がってくる。
ゴングと同時に、ジャブも右ストレートも忘れ、がむしゃらに向かってくる。
これが案外、外しにくい場合があるのだ。
でも数十秒やらせておくと、向こうはスタミナ切れになってしまうけど。

同じ子と数ヵ月後に、またスパーする機会があった。その間にたくさん練習したのだろう。
確かに技術もスタミナも、かなり上達していた。
しかし一回目にスパーした時よりも、俺にパンチを当てる事が出来ない。

どうしてそうなるのだろう。

それは想像できる攻撃になったからだ。
このパンチの後はこのパンチって感じで、攻撃の形もタイミングもすっかりボクシングになってきているから。
だから苦もなくよけられる。
ボクシングを学んだ為に、パンチがよけられてしまうという矛盾が起きる。

何度も触れるが、やはり基本は大事だと思う。
しかし中には、相手の予想を超える動きが必要な時もある。
もちろん基本通りに構え、教科書のような動きのまま戦える事が、一番強いのかもしれない。
しかしそれをやり通すのは、もの凄い難しい事だと思う。
普通に戦い続けるためには、強靱な体の強さが要求される。
ボクシングは、体と体のコンタクトのあるスポーツだ。
こう来たらこう的な方程式にとらわれ過ぎると、逆手にとられ攻略される事があると思う。

しつこい程に何度も言うが、基本は絶対に必要だと思っている。
その上に自分に合った形を掴む事で、飛躍的に伸びる選手もいる。
何か一つ、得意なものを探しだせれば、ボクシングが楽しくなる。
そうすることで、日本も東洋も獲ってきた男が、俺の傍にいるから。

総合格闘技の選手を見ていて、いろんな選手に
『山田さんは総合用の打撃を理解している』
って言われる。
しかし当の本人からすると、はっきり言って理解していない。
確かに自分でも総合スパーしたり、勉強をして頑張っているつもりではある。

総合用の打撃とは?
小さなオープンフィンガーグローブを使うため、ボクシングのようにグローブを使った防御がなかなか出来ない。
だから極力、空振りさせる方へ重きを置く。
ボクシングでも総合格闘技でも、空振りさせる方がより良い防御だと思う。
でも長い間、試行錯誤されて編み出されたボクシンググローブを使った、パーリングやストッピングやブロッキング。
これらの芸術的な防御も、ボクシングの偉大な財産の一つな事は確かだ。
オープンフィンガーグローブを付けて、この防御を使いこなし、試合している選手をまだ数人しか知らない。

そういった事から、総合格闘技のパンチの攻防が、芸術的な要素が少なく残酷に見えてしまうのではないか。
グローブを使った防御が出来ず、蹴りもタックルもある総合格闘技は、必然的に立つ位置が遠くなる
打撃が得意な選手は、相手に組み付かれるチャンスを与えないよう、捨てパンチを極力押さえ、無駄な動きをせずに、微妙なキョリの調整をして、確実なパンチや蹴りで相手を仕留める。
もしくは八割くらいの力を使い、比較的強いパンチで組み立てたコンビネーションを、体の勢いごとにもっていくパターンもある。
どっしりと構え、しっかりと打つ事が大事である。
それに対し打撃が不得意な選手は、ほとんど打撃を使わない場合もある。
使ったとしても、それはタックルに入るための、牽制のようなパンチだったりする。

しかし現在の総合格闘技は、文字通り『総合』になってきている。
寝技も打撃も何でも出来ないといけない。
デカスロン的なものになってきた。
そうした流れもあり、出稽古としてボクシングジムに通っている選手もたくさんいるだろう。
するとやはり、ボクシングジムだから、構え、ジャブ、右ストレートと、まずは基本を教わる。
しかし彼らは今まで打撃を何にもしてこなかった訳ではない。
自分達の道場で打撃を試行錯誤しながら、各自で練習はしてきている。
ボクシングの教科書と照らし合わせると、違ったヶ所はたくさんあるだろう。

でも俺の場合はいきなり修正するような教え方をするよりも、
まずは実戦してみてから判断する事にしている。
するとここでも、打ち方が荒削りの選手のパンチの方が、よけられなかったりする。
なぜ当たるのか?
彼らも自分達の練習で打撃をやり、試合などをこなしている強者だ。
各自が掴んだ打撃の感覚を持っている。
ちゃんとした打撃専門で見てくれる人もいない。
誰にも咎められないから、なおさら自由にやってくる。
ある程度のフォームはあるが、自分の好きなように打ってくるのだ。
例えボクシングの教科書と違っても。

俺は彼らが好きなように打ってくるパンチを修正などせずに、
もっと気持ち良く打てるように、手助けをすることに力を注ぐ。
それが『総合用の打撃を理解している』って思われるのかもしれない。
しかしそれは総合だけではなく、ボクシングでも同じだと思っているのだ。

福島は右フックが得意である。
この右フックを生み出した経緯がなかなか面白く、大好きなエピソードだ。
福島とコンビを組んだのは、97年の新人王を引き分け敗者扱いになった頃である。
その年は相手が見つからず、試合は出来なかった。
98年に6回戦に上がり、連勝して勢いを取り戻していた。
6回戦を2勝し、8回戦へと駒を進めていた。
コンビを組み、3試合目の出来事だった。
当時の俺は、まだセコンドに付くことが許されておらず、
例え福島の試合でもギリギリまで、ジムで仕事をしていた。
急いでホールに行くと、福島の試合は始まっている。
慌ててリングサイドに行く。
試合に目を向けると、相手云々よりも、福島自身がベロベロだ。
パンチが効いたとか、そういった事ではなく、明らかに体調不良だ。
つまり減量失敗である。
何をしても体が流れ、まったく自分のボクシングにならない。
そんな流れの中、活路を見いだしたのが右フックだ。
体が動かない中、懸命に右フックを繰り出し、何度か相手にクリーンヒットさせ、足元を揺らした。
だがその後の追い打ちが出来ずに、試合は判定になった。
福島には申し訳ないが、途中から観た事もあるし、なによりも普段とはまるで違う戦いぶりに、
勝ったとは思えずにさっさと控え室に戻った。
福島自身も、自分の腑甲斐なさにガッカリ。
そんな中、判定は辛くも勝者として福島の名を呼んだ。
この1試合だけで、観客席などから
『福島は終わったな〜』
などと言われた。
確かに足を踏張れず、ほとんどのパンチがフック系になってしまってはいた。

試合後のジムではフック禁止令が出て、ワンツーのみでバックやスパーをやった。
でも俺は少し、みんなと違う考えだった。
それは
『最悪の状態で出せる事が、一番その選手の体に合っている形ではないのか?
良いコンディションで打てば、確実な武器になるのではないか?』
っていう疑問に似た感覚だ。
長いキャリアの間で、いつもベストな状態とは限らない。
ワーストな状態でも打てるパンチを磨くのも、悪くはないのでは?
そんな確信のない考えではあったが、一つ疑問に思うと避けられない男である。
禁止されていたが、ジムの柱の影で福島と右フックをたくさん練習した。
次に組まれた初10回戦は、無難に真っすぐで綺麗な戦い方で勝利した。
しかし、その試合に物足りなさを感じた。
うまいけど、強さや恐さがないような気がしたんだ。

生意気にも2度目の10回戦の相手に、選んだのはインドネシアのチャンピオンだった。
序盤、福島はかつてない程に空振りをたくさんした。
相手は上体が柔らかく、福島のパンチを殺していく。
やや不利かなと思い始めた6Rだった。
相手をロープにつめた福島が、渾身の右フックを打った。
これは当たらなかったが、二人で何度も隠れて打ってきた右フックだ。
タイミングは合っていた。
『今のでいいんだ!もう一回、もう一回!』
と思わず大声で叫んだ。
リング中央に場所を移し、もう一度、目で下にフェイントを入れ、渾身の右フックを振り抜いた。
見事に顎を鋭角にとらえた。
そのパンチから一瞬間を置いて、相手は崩れ落ちた。
見事なKO勝ちだった。
試合後、あれだけクソミソに言われた右フックを、今度はみんなが誉め讃えてきた。
こうも対応が変わるのか。
なにはともあれ、あの試合で右フックを無視しなくて良かった。
調子が悪くても、打てるパンチ。
そこには何かヒントがあるはずだ。

耳が痛くなる程であろうが、何度でも言わせてもらう。
やはり基本は大事である。
その基本に個々の選手の持っている何かを足し、オリジナルを作り上げて、個性を大事にしたい。

ボクシングは体のコンタクトのあるスポーツだ。
福島とよく言う言葉がある。
誤解を怖れずに言わせてもらう。
『何だかんだ言っても、最後は喧嘩するしかないんだから』
って言葉だ。
2つの拳だけを使い、殴り合う格闘技だ。
見栄えや格好なんか関係ない。
相手をブッ飛ばせばいいのだ。
『体調不良でも打てた右フック』
俺にはこれがトレーナーとして最初に学んだ基本なんだ。

例え、それが基本の裏側だとしても。


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●山田武士
1973年、埼玉県新座市生まれ。AB型。
1996年、チンピラ(自称)からJBスポーツジムトレーナーに。

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