写真 山田永里子

その18 資本



格闘技の資本ってなんだろう?

それはやはり選手という人材であろう。
選手がいなければ、競技として成り立たない。

これはしごく当たり前のことである。

もちろん、ジムを運営するにあたって、選手育成に力を注ぐだけでは、金銭的に辛い事は、俺のような浅はかな男でも理解できる。
しかし健康目的でジムの門を叩く人も、ボクシングという競技を何らかの形で目にしているはずだ。

ボクシングの知名度がなければ、ジムの運営は困難を極める。
ボクシングの知名度を上げるのは、一人一人の素晴らしい個性を持った選手達である。

俺は10年弱の短いトレーナーキャリアの中で、たった5人のプロボクサーしか送り出していない。
4回戦2人(うち一人は引退)とA級ボクサー3人だけだ。
自分自身でも驚くべき少ない労働力だ。
うちのジムは創設以来極端に、プロ選手が少ない。
10年間でリングに送り出したプロ選手、すべてを合計しても2〜30人くらいだ。
大手のジムなどは常時それ以上の人数のプロがいるであろう。
それにうちのジムは入会する時に、プロ志望のAコースと健康目的のBコースと必ず分けられる。
Aコースを選んだら、毎日6時半に必ず来なければならない。
ただでさえ入会する人間が少ない中で、Aコースを選択するのは1割いるかどうかだろう。
その少ないAコースを選んだ子達も、この厳しい制約に耐えられずにすぐに辞めてしまう。

ここ数年は、延々とこの繰り返しである。

ふらりとジムに来たくらいでは、続けられないシステムになっている。

『うちのジムの広告は福島学である。』とずっと思っていた。
しかしよくよく考えてみると、俺のようにこの世界にいる人間は、〜選手は〜ジム所属だとかすぐに分かる。
でもこれからボクシングを始めようとする子は、福島学は知っていたとしても、
うちのジムに所属している事までは、ほとんど知られていないだろう。

つまりうちのような名もなきジムの門を叩く人のほとんどは、
『福島学選手がいるジム』と思ってはいないという事だ。

俺自身も色々な格闘技会場で人に紹介される時、
『JBスポーツジムのトレーナーの山田さんです。』
とまず言われる。だが言われた方の顔には?マークが浮かんでいる。慌てて
『福島学選手のトレーナーさんです。』
と付け足されると、言われた方もなるほど!って顔になる。

つまりすべては選手ありきという事なんだ。

選手がいてボクシングがある。
ボクシングがあるから、ボクシングジムがある。

こういった環境の中で、俺は今まで書いてきた通り、たくさんの格闘家を見てきた。
ボクサーはもちろん、彼らがいなければ、今の俺は到底成り立たない。

山田武士の資本は人材である。

だが福島を筆頭に俺の見ているプロ選手は、まず偶然にもうちのジムに入会しなければ、俺との関係は何も始まらなかった。
もちろん入会したからと言って、必ず俺が見るとは限らない。
中には俺に見てもらいたいなどという、物珍しい輩もいるかもしれない。
だがうちのジムに福島が所属して、そのトレーナーが俺だという事などは、
1度でもこの世界に入らない限り、なかなか分からないものだと思う。
『鎖国とペリー』の中でも触れたが、各々ジムに入門しプロになってから、初めて外の匂いを嗅ぎ分けられるようになるのだと思う。

しかしそれでは、もうすでに手遅れなのが、今のボクシング界である。

もう外には出ることが、容易ではなくなる。

俺はトレーナーでありながら、選手達とすごく仲の良い人間だと自負している。
それは所属ジムが違えど、まったく変わりはしない。
食事に行くのはもちろん、合コンやキャバクラにも一緒に行く。
単に俺が遊び人って事が、大半を占めると思うが、とにかく選手と仲が良く顔が広い。
しかし所属ジムが違う選手とは、遊びには行くが練習などを一緒にはしたことがない。
これは各選手達が
『ボクシングに関しては、山田さんには頼りたくない』
という素晴らしい自尊心から来るのかもしれない。
でもそれ以外に、俺と練習する事で
『自分の所属しているジムと、山田さんが揉めてしまう事になる』
っていう考えがあるのも確かである。

また『鎖国とペリー』で書いた事の重複になるが、気兼ねなく出稽古に行けないという事が多くを占めていると思う。
スパーだけではなく、練習だけでも違うジムに行く。
移籍云々ではなく、気分転換や視野を広げる事に有効ではないか。

鈴木悟とは、かなり以前から私生活で遊んでいた。
しかしボクシングを一緒にした事などなかった。
二人で初めてスパーしたのが、足にレガースを付けてのものだった事に、不思議な感覚になった。
悟がボクシングを引退し、Kー1MAXに戦う場所を移したから、俺達のコンビが誕生したのだ。
悟がボクシング界にいたら、決してありえない出来事である。

このフットワークの軽さが他の格闘技団体にはある。
その反面フットワークの軽さの裏側には、練習場所を確保しなければならないという、別の意味での苦労がある事になるが。
つまりKー1やプライドなど今ある格闘技団体は、選手を育てる環境ではなく、戦う場所を提供しているだけなんだ。
フリーという肩書きを背負うことは、とても大変なことではある。

しかし自分に合った場所を見付け、そこで練習して試合するという当たり前のことが可能なのである。

ボクシング界は選手にプロ加盟ジムに所属させ、勝ち星を重ねるとC級、B級、A級と上に上がれるという、
見事なピラミッド型でありジムには会長とトレーナーが存在する。
すべての加盟ジムがひとつになる事で、チャンピオンという階段を高く険しいものにしている。

これは本当に素晴らしく気品のあるものである。

しかしこの長く伝統のあるシステムが保守的にしているのも、現実問題なのは確かである。
訳の分からない契約に縛られ、辛い思いをしているのは、紛れもなくボクシング界の宝であるはずの選手達だから。

何度も言うが、選手はジムの飼い犬ではない。

それといつも気になることがある。
ボクシングの試合を深夜見ていて、A選手がB選手をボディで倒した。
しかし解説席の人間は

『ボディで倒れるとは、B選手は練習不足ですね』

と倒したA選手を誉めるのではなく、倒れたB選手を責め立てる。
なぜA選手のボディ打ちを解説しないのか?
なぜ倒れたB選手を叩くことで、その試合を終わらせてしまうのか?
たまたま寝ないで(起きてしまったが正しいかな)見てくれた、数少ない視聴者に解説するなら、
ボクシングの素晴らしさを伝えるべきではないのだろうか。
勝ったA選手もテレビを見て、このような言葉を耳にしたら、つまらない気持ちになるだろう。

ボクシング界の高いピラミッドを登り、日本ランカーになる厳しさを伝え、
彼らの素晴らしさを表現することで、他の格闘技と比較しても良いのではないか。

それに対しゴールデンタイムに放映されている団体の解説は、絶対に選手を下げるような言葉は使わない。
女の人でも子供でも楽しめるような解説になっている。

最近、こんな事があった。
いつも行くキャバクラがある。もう何年も行っているので、俺の仕事はバレている。
しかしこれまで、1度もボクシングの話をした事がない。
福島が日本チャンピオンになった時も、世界に挑戦した時も、東洋チャンピオンになった時もだ。
一緒に行った人間が

『武士の見ている選手が、〜チャンピオンになったんだよ』

とわざわざ説明して初めて

『へ〜、良かったね』

心のない感謝を配られるだけだ。
それがこの前、突然

『たけしくんは〜、ボクシングだから今日のテレビは見てないよね〜?』

と聞かれた。そしてその日は俺の見ていた高谷選手が、HERO'Sのミドル級トーナメントに出場した日だった。
高谷選手は須藤元気選手を果敢に追い掛け、一つのミスから惜敗したのだ。

『はぁ?今日なんかあったっけ?』

と触れられたくない事なので、軽くトボケてみた。

『そうか〜、見てないんだ〜。今日ね〜元気君が勝ったの〜。でも相手がパンチをブンブン打ってきて、もうハラハラしたよ〜。』

と人が数ヵ月間、頑張ってきたものに対して、ブンブンの一言で片付けられた。
イライラしたのでボーイを呼び、さっさと会計をして店を出た。

だがさすがゴールデンタイムは違う。

試合前に流れるVTRを見たのだろが、そのおネェちゃんに須藤元気選手がどういう選手かまで、丁寧に説明されてしまった。

この出来事から1ヵ月後。違うキャバクラでの事だった。

『ねぇ〜、たけしはボクシング以外は興味ないの?』

と突然怪しい質問がきた。

『あっ!この前のHERO'Sのトーナメントの話なら、気分悪くなるからしないで』

とすかさず切り返した。そうすると

『あっ!わかった〜。それにはたけしが教えてる選手が出てたんでしょ?
でも大丈夫だよ。私の言いたいのはプライドの方だから!』

『へ〜・・』

『それに出ている五味選手が強いんだよ〜。この前も修斗のチャンピオンの川尻を・・』

『店長!この女、チェンジしてくれ!』

と途中で話を切り、大きな声で叫んでしまった。
昔からおネェちゃんの店に出入りをしていたが、ここ最近の格闘技の話題の多さにはびっくりする。
それだけ注目されているという事であろう。

ボクシングの世界チャンピオンの名前は出た事がないのに。

年末の紅白VS格闘技も、3年目となると形になってきていると思う。
数年前では、こんな事は考えられなかった。
まさに格闘界のバブルのような感じがする。
これからどうなるかなんて、俺なんかにはまったく分からない。
しかしボクシングは一つの興行としては、完全に引き離され、背中すら見えないような差をつけられた。
知名度としても、かなり差が出ているのは確かだ。
格闘技として唯一無二の存在だった、昭和36年とすっかり時代は変わった。
もしかしたら数年後には、今の格闘技ブームは消滅しているかもしれない。
しかしそうなったからと言って、お客さんがボクシング会場に足を運ぶとは限らない。

諸先輩方が人気高揚委員会で言われたように、客層が違うという事だから。

今の状態ではボクサーが永久追放になろうと、外に出ていくことは無くならないだろう。
ならば俺は、他の格闘家が俺の所に足を運び、ボクシングを学ぶ事で、結果を出させてやる。

彼らがボクシングを学び、雑誌などで紹介される事で、ボクシングの素晴らしさを伝えていきたい。

大手のデパートの店が味見にくるような職人になるんだ。

なぜたくさんの格闘家が、俺の所へ集まってくるのか。
たくさんの選手に言われた事を、羞恥心を引き出しにしまい込み、ここで言葉にしてみよう。

『いい加減気付いてくださいよ!あなたには男が惚れるフェロモンがあるんですよ。でも男限定ですが!』

という最後を除けばとてもありがたい言葉をいつも頂いている。
羞恥心を取りのぞいたので、偉そうに締め括らせてもらおう。

ボクシングというスポーツを作り上げていくのは、個性豊かな選手達である。
そしてその影には、俺のようなヘボトレーナーがいる。
選手のやりやすいような環境を作り上げることが、日本ボクシングに必要不可欠な事だ。
例え俺のようなヘボトレーナーでも、何かの役に立つこともある。

すべては人という資本から成り立っているのだ。

他の格闘技と客層の違いをあげ、演出面やファンサービスを無視して、試合内容だけでファンを喜ばせようとするなら、
まずは「選手ありき」だという考え方に修正するしかないのではないか?

命をかけて、試合という作品を作り上げるのは、選手達なのだから。

いい加減、気付きやがれ!


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●山田武士
1973年、埼玉県新座市生まれ。AB型。
1996年、チンピラ(自称)からJBスポーツジムトレーナーに。

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