写真 山田永里子

その16 ルーツ



半端者。
俺の事を表現するのに、すべてはこの一言に集約する事ができる。というか、この言葉以外に俺を説明することは出来ないくらいだ。

ずっと何もかもが半端だった。
学生時代から半端街道まっしぐらだった。何をやってもトップに立てないが、ビリにもならない。もう一踏ん張りが出来ない。このままでは駄目だ。そう思い始めたのがボクシングだ。
当時は格闘技って言ったら、今のようにたくさんの種類やジムも無かった。必然的にボクシングを選んだ。
もし他に理由をあげるとすれば、一つだけ忘れられない思い出がある。

俺がまだ幼稚園や小学生の頃は、近所の子供が集まり毎日みんなで一緒に遊んでいた。年齢層は下は幼稚園くらいから、上は小学校の高学年くらいまで、幅広いものであった。そこには子供ながらに上下関係がある。
当時はテレビゲームなんて存在しなかった。遊びはいつも、自分達で考える。林の中に基地を作って、そこに宝物を隠したり、公園は道端で野球やサッカーをやる。しかしまだ小学1年生の俺は、野球でバットを持つことが許されない。ひたすらピッチャーというか、バッティングマシーンのように軽く投げて、ガキ大将が打ったボールを取りに行くだけ。
サッカーにいたっても、キーパーばかりで蹴らせくれない。
でも楽しかった。
毎日学校から帰ると、外に飛び出し自然とみんなが集まり、暗くなるまで遊びまくっていた。

そんなある日、一番年上の子がおもちゃのボクシンググローブを持ってきた。たぶん、ビニール製のグローブだったと思う。当然2人がグローブをはめて、殴り合いごっこになる。しかも団地の中にある、ボイラー機か何かを収納している、大きな倉庫の上にみんなで集まって殴り合うのだ。
地上約2メートルの場所で殴り合う。子供は時として残酷な生きものだ。
まだ小学1年生だった俺は、もちろん体もすごく小さい。個々の殴り合いの相手は、ガキ大将が決める。ドキドキして対戦相手が誰になるのかを待つ。
しかしなんと、俺の相手はそのガキ大将だった。

ガッカリしたどころか、呆気にとられてしまった。
もちろん俺には、そのガキ大将を倒して政権を奪おうなんていう野心は、米粒程もない。俺が一方的にやられる姿しか想像できない。しかもそんな所から、吹っ飛ばされ頭から落ちたら大変だ。
そんな俺の心を無視するかのように、年上の子達はポカポカ殴り合っている。
そして次は自分の番だ。
グローブを付けられ、
『カーン!』
と残酷な合図。あっという間にポカポカと殴られて、何にも出来ずに戦意喪失。
オイオイと泣きながら家に逃げ帰った。

家にいてイジけてると親父が、ベロベロに酔いながら帰宅。ふと親父の手を見ると、なぜかボクシンググローブを付けている。
うちの親父はなぜか、酔うと訳の分からない物を買ってくる事がある。
どこの国の物かも分からない、民族のお面みたいなのを被って帰ってきたり。時には
『アフリカの猟で使う弓矢だ』
と言いながら、むちゃくちゃデカイ弓矢を持って帰ってきたことがある。そして家の前で、俺自身が鹿となり、藪の中を走らされて、弓矢で散々狙われた事もあった。
そんなくだらない物ばかりだったのに、なんとその日はボクシンググローブを付けている。しかも昼間に見た、ビニール製のグローブなんかではなく、しっかりとした革製のグローブだ。
しばらく酔った親父のパンチを受け、眠りこけた隙にグローブを取り、自分の手に付けてみた。もうそれだけで強くなった気がして、昼間の悲しさが取りのぞけた。
次の日からは、毎日見よう見真似でボクシング練習を開始した。親父が酔っぱらう前に座布団を腹にあてがい、ミット打ちの真似事だ。
たった1週間の修業(?)だったが、自分はもうあの頃の自分ではないと思い込んでいる。

俺は子供時代から単純である。
そしてあの殴り合いの開催日である土曜日になった。学校にいる午前中から、午後の殴り合いの事だけを考えていた。
さすがにガキ大将にかなうとは思っていないが、前回みたいにただ泣きながら逃げ出した時とは違うはずだ。
学校が終わり、速攻で家に帰りグローブを付け、柱を叩き復習をする。
しかしその革のグローブを持っては行けない。もし持っていったら、間違いなくみんなの物として、確実に取り上げられる。
しかたがない。今回はビニール製のグローブでやってやる。自分の頭の中では勝手に映画の主人公になって、団地の中の集合場所に向かう。
その日は反骨精神も高かったのか、自らガキ大将の対戦相手として立候補した。
すぐに対戦相手として許可され、グローブを付けて戦いの準備だ。
俺の同い年の子に
『何があっても逃げないから。俺はこの前とは違うから』
と訳の分からない自信を胸に言葉を告げた。
いつものように
『カーン!』
と開始の合図で、みんなが叫ぶ。

絶対に逃げない。
そう決めて戦ったはずだ。
しかし記憶はここで途切れている。
なぜか俺は、その後の事を何にも憶えていない。
もちろん気付いたら、ガキ大将を倒していたなんて奇跡は起きていない。

自分が前に踏み込み、逃げずに立ち向かったのか?
それともまた前と同じように泣きながら逃げ出したのか?
その大事な部分の記憶が欠如しているのだ。
その前までの事は、これほどはっきりと憶えているというのに。
『カーン!』の合図の後からの記憶は、どうやっても思い出せないのだ。

その後、どんな理由があったのかは分からないが、ボクシングごっこはやらなくなった。気が付いたら、もう俺も小学生の高学年になっていた。その頃にはガキ大将システムも無くなっていた。俺より下の子が同じような遊びをせず、人数が集まらずシステム的に無理だったと言うこともあるが、毎日あんなに泥んこになって遊んだり、高いところから飛び降りたり、そんな危ない遊びを親がやらせなくなったのだろう。

でもガキ大将システムはすごく良かったと思う。ガキ大将がいた頃は、厳しさもあれど優しさもあった。子供たちが自分達で考え、しっかりと遊んでいた。
『生意気だ』とかいう理由で殴られたり、『金を持って来い』などの理不尽な要求は存在しなかった。陰険なイジメが無かった。
この幼少の頃の出来事を大人になっても、ずっとずっと気にしていた訳でない。
そんな事があった事すら忘れていた。

話はそれたが、ではあの記憶が欠如された事をいつ気付いたのか?いつ思い出したのか?
これが嘘のような話だが、ボクシング始めて初のスパーした時だったんだ。
初めてだから、やはりたくさんのパンチを食らう。そんな時に、ふと頭に浮かんだのが『あの記憶の欠如』なのだ。
相手のパンチをブロックしながら、
『あれ〜あの時、俺はどうしたんだっけな〜。立ち向かったのか?逃げたのか?』
と、そんな事を考えながらスパーを終えた。今でも、あの時に子供の俺がどうしたのかは分からない。もう二度と思い出さないのだろう。
でもそれでいいんだ。
あの記憶が欠如しているから、俺は今でも逃げないで生きている。答えが思い出せないから、今の自分で答えを作り出していくしかないのだ。
今でもスパーで追い込まれたりすると、毎回思い出す。
そのたびに自分に問う。俺はあの時どうしたんだ?と。
そのたびに一歩前に出るんだ。
これが俺のボクシングを続けている理由の一つだ。

俺はうちのジムでトレーナーになって、もうすぐ丸9年になる。
それだけの年月を経ているのに、俺はまだまだ『半端者』である。
ボクシングトレーナーとして、まだまだ若輩どころか卵くらいの存在なのに、今までもたくさん書いてきたが、俺はたくさんの格闘家を見ている。見る人が見たら、
『一つの事も極める事も出来ない奴が、中途半端に色々と手を出しやがって』
って思うかもしれない。
でもこの立場になったのも、幼い頃の経験が生きているのだ。小さい頃に、近所の友達とその両親の大人数で、市民プールに行った時である。
俺は親父が買ってくれた、コーラをプールサイドでご機嫌に飲んでいた。プールからあがってきた友達が俺に
『一口だけ飲ませてよ』
と頼んできた。
しかし俺はまだ小さく、独占欲もあったから
『イヤだよ。これは俺のコーラだもん』
と突っぱねたのだ。それを聞いたうちの親父が、何も言わずに走って売店に行った。それを見て
『あ〜友達の分も買って来てくるんだな〜』
と思っていた。やはり戻ってくる親父の手には、たくさんのコーラの瓶が握られている。
しかし戻ってくるなり、いきなり頭からコーラをブッかけられた。
俺は驚いて、親父の顔を見た。すると怒りに満ちた顔で
『人に欲しいと言われたら、絶対に嫌だと言うな。自分の欲望を優先するな。』
と言われながら、コーラを頭からかけ続けられた。
俺は子供だったし、なぜ?なぜ?と意味不明になり、なかなか理解が出来なかった。

しかし今現在、俺は32年間生きてきた間で、親父に唯一これだけを教わったのだと思う。
『困ってる人や自分を必要としてくれるがいたら、
見返りを求めずに手を貸しなさい』
って事だ。
半端者の俺だけど、それだけは守り通している。
今の格闘技界には、フリーの打撃トレーナーが増えてきている。たくさんの競技に必要不可欠なのが、やはりパンチの技術だ。いろんな会場でそういったフリーの人を見かける。俺もたくさんの格闘家を見ているから、諸先輩方にアドバイスを頂く。
『山田も体を張っているのだから、ちゃんとお金を貰って指導しなきゃ駄目だよ。
そうすることで、選手も逆にやりやすくなると思うよ。プロとして自覚があるなら、お金を取りなさい』
っていう素晴らしいアドバイスだ。

しかし俺は頑なに金銭は拒む。
人に必要とされる事に、大きな意義を感じるからだ。そしてそれに対して、何の見返りも望まない。足の靱帯を切ろうが、頭でぶっ倒れようが、それは変わらない。
『半端者』の俺だけど、自分の中で守らなきゃいけないルールがある。
ギリギリの所で自分が崩れなかったのが、このルーツなんだ。

人が何かを始めるキッカケは、人の数だけ存在する。
俺みたいな『半端者』でも、それなりに理由があるもんだ。
例え人から見て、むちゃくちゃくだらない理由でも。

ルーツは存在する。




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●山田武士
1973年、埼玉県新座市生まれ。AB型。
1996年、チンピラ(自称)からJBスポーツジムトレーナーに。

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