写真 山田永里子

その12 危険察知能力



『あぶねぇ!』『こわ!』
 何気なく後楽園ホールで試合を観ていて、思わず飛び出す言葉である。
 どんな時に出る言葉なのか。
 右と右の相打ち。左フックの相打ち。胸が開き、体が起き上がって打ちに行く時などなど。
 冒頭の言葉を言ってるのが、意外にも僕である。うちのジムで、パンチに対して一番恐怖心があるのが、意外にも僕なのだ。

 まだプロになっていない練習生が、スパーリング大会に出て腕を磨く。そこに福島と二人で観に行ったりする。たくさんのスパーを見ていつも言う言葉がある。
『ボクシングって怖くて危ないな〜』
 って言葉だ。
 タイミングも距離も構わずに、ガンガン打ち合っている選手達を見て、いつも出てきてしまう言葉。こういった大会で一番危ないと思うのは、右と右の相打ちだと思う。互いに右を打ちにいき、たまたまカウンターになっているようなレベルだけど。
 もちろん狙って打てる素晴らしい選手もいる。だがこのパンチはボクシングの中で、習得する事が一番難しい部類にありながら、一番偶発的に起こるパンチだとも思う。

 選手に質問される。
『自分、ワンツーを打つのが一番危ないって思い、どうしても変な距離から打ってしまうんです』と。
 こう質問してくる選手は、躊躇しながら打つことになり、遠くからワンツーを打ちにいっている。でも僕から見ると、断然その方が危なく見える。遠くから打ちにいけば、相手にしっかり見られてしまうし、自分のパンチが届かなくて、打ち終わりに逆に打たれる可能性もある。相手が狙ってなくても、逆にカウンターを喰う確率を上げてしまう。躊躇することが、逆に危ない場面を作り出すことがある。
 ただ攻めろと言っている訳ではない。怖がりながら遠くから打つより、前に入ったほうが逆に安全な場合もあるはずだ。
 よく『危険察知能力』という言葉を使う。僕は相手の右に対して、それを外し右を合わせることが出来ない。どうしても『危険察知能力』が働き、相手のパンチの方へ頭をなかなか持っていくことの出来ない凡人だ。この『危険察知能力』は、個々の選手により違うと思う。人それぞれに、安心できる位置、危険と思う位置があるはずだ。ガードをあげるか、あげないかもその感覚だと思う。

 福島はガードが低い。これはよく指摘される事だ。でも福島には福島自身の『危険察知能力』がある。もしこれがなく、ただ手を下げて戦っていたら、間違いなくこれだけの試合数はこなせてない。手を上げてガードをがっちりさせたら、もしかしたらチャンピオンになっていないもしれない。ブロックしてその上を打たせる事で、相手にリズムを作らせる事も確かにある。手を下げた方がパンチがよく見えるし、自由にパンチを打つことも出来る。
 福島はパンチが当たる瞬間に、勢いを逃がすように自分から体を流す。これは一瞬、パンチで吹っ飛ばされているように見えてしまうのかもしれない。でもこれが福島のパンチを殺す方法なんだ。ブロック越しとはいえ、まともにパンチを喰うよりも安全なんだと。ガードを下げるより、上げることに『危険察知能力』が働くのだ。

 僕は福島とは何百回スパーしたか分からない。しかしいつも『暖簾に腕押し』のような感じがする。
 3年前のラリオス戦の時に、当時のフェザー級ランカーの奥田春彦君に、パートナーを頼みわざわざ東京に来てもらった。一週間くらいだったけど、二人のスパーはお金が取れるんじゃないか?って言うほどに激しいものだった。互いにガチンコでやり合っていた。
 その後、僕と福島が大阪に行く機会があったので、奥田君に大阪を案内してもらい飲みに行った事がある。その頃奥田君は現役を引退していたし、基本的に僕達は酒の席でボクシングの話はあまりしない。でもやはり3年前のスパーの話にはなる。そこで奥田君が
『福島君はパンチが当たったという感覚がない選手やったな〜』
 って言っていた。
 たぶん奥田君の言っている事と、僕が思っている感覚は近いのだと思う。福島にはそういった独自の力がある。

 強打と迫力のある風貌で、一時代を築いた渡辺純一君にもとても仲良くしてもらっている。なぜか純ちゃんが日本チャンピオンの時に毎試合、計量後の食事に僕も参加していた。純ちゃんは、あの風貌とは違い礼節を重んじる、とても素晴らしい男だ。とても腰が低く、みんなに気を使う。しかし、その内に秘めた心の強さはボクシング界でも頭一つ抜けている。
 そんな純ちゃんがKOをした時の感覚を
『いや〜ピントが合うんですよ〜』
 とサラリと言うのだ。
 これは彼の中にある感覚だ。詳しく聞くと
『最初はボヤ〜と見えている感じでも、突然はっきりと見えるんですよ。そんなれば、パンチは当たりまくりです』
 と爽やかに言う。続けて
『1RKOをした時には、試合開始前のレフリーの話を聞きながら、もうすでにピントがあっているんですよ』
 なんて普通に言うのだ。

 確かまだ日本チャンピオンになる前に、千里馬ジムの武本選手と試合した。前半は武本選手の動きに、少し出遅れている感じだった。しかし中盤に入り突然、純ちゃんの言う『ピントが合った』状態になり、一気にパンチが当たりだし、KO勝ちしたのを思い出した。試合前に毎回一緒に食事をして、彼独特の会話を聞いていると、凡人の僕ながらに段々見えてきたりする。
 富本選手との2戦目に、純ちゃんが叩き込んだ強烈な左。その左を打つ前に、富本選手は一瞬ピタッと止まったように見えた。会場で観ていて、僕は『うわっ!止まった!』って思わず大きな声で言った。その瞬間に純ちゃんの左が見事に打ち抜かれていた。後日、本人に聞くと
『はい!あれはピタッと合いましたね〜』
 と笑顔で言われた。
 こういった感覚を最初から持っていたのか、練習で培ったのか。それは分からない。でも渡辺純一という男には最初から持っていたと、爽やかに言ってほしい。

 人により色んな防御はあるだろう。技術の問題ではなく、何が安全かを探す嗅覚という意味で。
 倒し屋にも、個々それぞれの感覚が存在するのだろう。僕にはそういったものはない。福島のようなパンチを受け流す技術もない。純ちゃんのような『ピントが合った』的な感覚も持ち合わせていない。僕はガードを上げ、ブロックしながら相手のパンチのタイミングを覚えて、どうにか生き延びるしかないのだ。
 僕は仕事柄(?)本当にたくさんの人間とスパーする。うちのジムのプロボクサーとは、もちろん全員とスパーしている。半分以上が福島とだけど。
 他の格闘家とスパーする事も多々ある。最初はボクシングだけでスパーしていた。しかしキックの選手とスパーしていれば
『本当は蹴られたら、こんな位置に立ってられないんだろうな?』
 とか、総合の選手とスパーしていたら
『倒されたら、何にも出来ないんだろうな〜』
 などと思いながらやっていた。

 彼らはボクシングジムに来て、ボクシングを習うために弟子入りしてきている。ボクシングルールだけで相手をやり、ブッ飛ばしていればそれでいいのだ。
 でも僕は世界でも指折りの『臆病者』だ。1度気になった事に対して、知らん顔が出来るほどの肝っ玉もない。ボクシングは伝統のある素晴らしい格闘技だが、その伝統に頼り指導する程のキャリアもない。そうなったら、やはり差し合うしかないのだ。臆病だから、『危険察知能力』が働くから、相手の土俵に潜り込む。
するとたくさんの事も見えてくる。
 いつものように、前足に体重をかけパンチを打とうとして、その足を蹴られたときの痛さ。オープンフィンガーグローブで、いつものようにパーリングやストッピングをやろうとして、指をむちゃくちゃ痛めたり。左フックを打ちにいき、抜群のタイミングでタックルされたり。接近したら、首相撲に掴まり身動き一つとれなくなったり。

 中でもびっくりしたのは、極真空手の入沢群とスパーした時だ。体重差は確かに、40キロある。だから足へ蹴りはなし。もちろん、顔面へのパンチもなしでやった。グローブは素手に近いパンチンググローブを付けて。つまり、極真空手の蹴りなしルールである。
 僕はボディ打ちには、半端ない自信を持っている。だから、体重差があろうがヘソから首の下までなら、そこそこやりあえると思っていた。
しかし実際は何にも出来ないで、腹をしこたま打たれ何とか終了ゴングを聞くことが出来ただけだった。
 ジムのみんなには
『顔面有りなら違うでしょ?』
 と聞かれた。いや待てよ。確かに顔面は無しだったが、蹴りも無しだった。条件は一緒だ。
 体重差は確かにある。でも体格差で、無理矢理押し込まれたりは全くしていないのである。しかしこれらの一連のスパー内容は、今から思えば当然のことだ。やはりボクシングにはボクシングの打ち方。キックにはキックの打ち方。総合格闘技には総合格闘技の打ち方。空手には空手の打ち方が存在する。パンチならボクシングだと確かに思う。しかし他の競技にその全て当てはめることは出来ない。

『ランディマングバット』で、ボクシングと他の格闘技を比べる事は出来ないと書いた。だから例えパンチ習得の為だとしても、ボクシングだけをやればいいと言うわけではないはずだ。
 しかしどんな格闘技の打撃にも、人それぞれの『危険察知能力』は存在する。僕は選手と接する時、個々の選手に存在する『危険察知能力』を見つけようと努力する。これを理解しないで、ただああしろ、こうしろと言っていても伝わらない。
 福島はガードを上げる事で『危険察知能力』が働いてしまう。それを理解しないで、ガードを上げろといくら言っても、うまく伝えることが出来ないと思う。
 渡辺純一に返しの右フックを教えたら、あの強烈な左の威力が半減するかもしれない。あの右手を伸ばし、ジリジリ距離をつめ左を叩き込む戦いだから、『ピントが合う』という感覚が生まれるのかもしれない。
『危険察知能力』が働き、ブレーキをかけて戦うくらいなら、自分の得意な場所で戦った方が良いのではないか?よく言われる『長所を伸ばす』と言う事と、同じなのか違うのかはよく分からない。でも僕が選手と接する時に一番理解したい感覚なのは確かだ。

 僕は『臆病者』で良かった。
『臆病者』のランキングがあったら、かなり上位に入れると思う。
いつも怯えている。みんなにやられたくなくて、必死に食らい付いていこうと思うから。これからも胸を張って、臆病街道をまっしぐらに進みたい。
『危険察知能力』とともに。




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●山田武士
1973年、埼玉県新座市生まれ。AB型。
1996年、チンピラ(自称)からJBスポーツジムトレーナーに。

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