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『どうも〜はじめまして!トラッシュです!』
と待ち合わせ場所の上野で元気よく挨拶された。
トラッシュ中沼。噂はいろんな選手から聞いていた。噂の内容は、豪快で我の強い男というものだった。酒をたくさん飲み、遊び方も半端ないと。
そんな正樹と初めて会ったのが、今から4年前くらいだろうか。紹介してくれたのは、もちろん福島学である。福島がたまたま上野で遊んでいる正樹に会い、一緒に遊んだ事があった。次の日にその話を俺にしてきた。そして『山田さんとトラちゃんは、絶対に気が合いますよ!』って言われたのを覚えている。では一度会ってみたいと。
待ち合わせ場所の上野に行くと、ボクシング界のそうそうたるメンバーがいた。現役チャンピオンや、世界ランカーなど。全員の名前を書きたいが、皆いろいろな事情があるだろうから、福島と正樹くらいにしておこう。まずは居酒屋に行き、親睦を深める。
顔は知っているが、ちゃんと話すのは初めての人間もかなりいる。でも、そこは同じ業界である。すぐに打ち解け、みんなでバカ話をしながら、陽気に騒いだ。俺は楽しくなると、もう止められなくなる。小さい頃からそうみたいだ。
うちの母親にも『あなたは調子に乗ると誰かが後ろで押さえてないと、倒れるほどに反り返ってしまうようなところがある』といつも言われてた。酒が入っていなくても、楽しくなったりしてテンションがあがると、もう先を考えずに感性だけで走り始めてしまう。
この日も気分が良くなり、だんだんテンションが上がってきた。最初のキャバクラで、たった50分足らずの時間に焼酎一本を一人で飲み、テンションをきっちりレッドゾーンに振り切った。この会の前に『トラちゃんは、本当はすごい気を使う人なんです』と、福島から聞かされていた。実際に初めて会い数時間一緒にいると、正樹はすごく細かいところに目が届く、繊細な男だと思った。みんなといても常に周りを見渡して、場の雰囲気を感じて盛り上げる。その空気の作り方が、とても素晴らしい。
そんな楽しい雰囲気で、俺はかなり酒を飲んでしまった。酔い過ぎてすっかり、素の姿が出ていたと思う。キャバクラなのに、女の子とまったく話をせずに、正樹と盛り上がった。かなり前の話だし酒もたっぷり飲んだから、詳しくは覚えてはいない。でもこの出会いは最高だった。次の日に正樹から『山さん!最高に楽しかったです!自分は山さんみたいな人は、大好物です!』ってメールがきた。それから、二人は楽しく遊ぶようになる。年は俺が2つ上だから、正樹は敬語を使って慕ってくれている。でも俺は、正樹から男としてたくさんのものを学んだ。
この男は、多分に誤解されていると思う。本当は人の何倍も傷つきやすく、とても繊細で心優しい男だ。自分があまりにも「気」を使えるから、それが出来ない目先の欲望に流される奴を許さない。自分が信じた人間の事は、心底信じてくれる。純粋さを絵に書いたような男だ。しかし今の世の中、なかなか通じないのかもしれない。気に入らない、筋が通らない事に対して、臆することなくはっきりと意見を言う。それが生意気に見えたり、わがままな男に見えてしまうのかもしれない。
しかし酒の席で愚痴を言うような真似はしない。はっきりと気に入らないと思った人間に、直接言うのだ。これは出来そうで出来ないと思う。正直すぎて、自分の道を狭めているかもしれない。でもそんな男として、裏表ない正樹に俺は惚れたんだ。
俺はうちのジムのトレーナーになる前に、一度就職している。某有名スポーツクラブに。小さい頃から漠然とサラリーマンにはなれないだろうと思っていた。体を動かす、スポーツクラブなら大丈夫だろうと。気の遠くなるような、長い期間の何度の面接を受け、意気揚揚と社会に飛び出そうとしてした。
まだ就職まで時間があった。うちのジムの記念すべき初興行での事だった。会長に観に来いと誘われ、後楽園ホールに行った。うちのジムの選手が勝った時、相手のジムの選手を応援していた奴等がヤジりだした。T0数名で。頭にきた。『リングに上がることも出来ないクズが、イッパシの口を聞くな』と怒鳴った。すると彼らは捨てセリフを吐き、会場から帰ろうとした。すぐに追い掛け、リーダーのような奴を捕まえて、ぶっ飛ばそうと乱闘になろうとしていた時、後ろから羽交い締めにされた。
『しまった!後ろにもいたのか』って思い、頭突きをしようとしたら『山田!もうやめろ!』と言われた。振り替えると羽交い締めにしてるのは、うちの会長だったのだ。
ジムの記念すべき初興行だ。なんたる出来事だ。次の日にジムには詫びを入れに行った。しかしこの狂気を、男気と勘違いされ気にいられ、後にトレーナーとして呼び戻されるのだから、何がどうなるか分からない。
そんな事を繰り返しながら、春の新入社員の研修を迎えた。研修というのは名ばかりで、洗脳だったと思う。奉仕の心を学ばされる。研修場所から監禁され、ひたすら毎日洗脳するのだ。アホ臭いと思った。こんな事で変わる奴が居るのか?って思っていた。しかし笑えるほどに、大半の同期が変わっていくのだ。嘘だろ?って驚いたし、怖くなった。世の中やっぱり個性を潰すのだ。みんなを一緒にするのだ。
二日目の夜に研修場所に、部長や常務が見に来た。といっても親睦会という名の飲み会をやるだけ。ここでまた驚く事になる。女子の新入社員に酒をお酌させるのだ。キャバクラのように。なんだこれは?だったらコンパニオンを別に呼べよって思って腹が立った。馬鹿らしくなって自分の部屋に戻ると、同期が焦って部屋まで呼びに来る。
くだらない。
この時にもう辞めようと思った。狂った洗脳大会を終え、配属先を決められた。しばらくは普通(?)に働いていた。
そんな中で決定的な事件が起きた。いつもクラブ内で威張り散らしている会員が、他の会員と喧嘩になった。俺は『いつも威張ってる人だから、喧嘩したいと思ってるんだな。止めたら悪いな。終るまで責任をもって見守ろう』と見続けていると、先輩社員が飛んでくる。なぜ止めないんだと。
俺は皆の邪魔にならないように、その時間使っていない、エアロビクスのスタジオに連れていき、思う存分やらせようとしていた。喧嘩の理由は、そいつが我もの顔で施設を使っていることに、腹を立てた弱そうな自称格闘家が絡んだ。彼らのの喧嘩はじゃれ合いのようだ。すると威張っている方がやられた。やられた男は、やられる前は『絶対に止めるなよ!分からせないといけないんだ』なんて騒いでたのに、いざ始まって殴られる(といってもビンタに毛がはえた程度)と、下を向いて戦意喪失。
びっくりした。
そんなに弱いなら威張るなよ。この乱闘騒ぎは問題になり、支配人を集めて別室で話し合った。やられた人間が『山田が止めないでやらせたんだ』って言っている。
またか。またこういう男か。お前がいつも威張り、それに反抗してきた人間と喧嘩になり、やらせろというから止めないでやらせたのに。
自分がやられたら、これか。こんな考えで普通に生きれるような世の中なのか?またかと呆れた。
俺はその話し合いを聞いていて、面倒臭くなり『俺が二人ともぶっ飛ばしますよ』って言う途中に、慌てて支配人が遮り、その部屋から出された。その後どういう話し合いになったかは、知らないけどうまくまとまったらしい。
自分で体を鍛えるという目標を立て、決心して通ってるのに、他人頼りで大人が子供のようになっている。大きな幼稚園である。会社を辞めてボクシングに戻ろうと決めた。
わずか半年で退社した。お別れ会を開いてもらい、マイクで一言と言われ
『俺はお前等のような浅瀬の砂利にはならない。海の底の深海魚になる!』
と訳の分からない言葉を残し、普通の社会人の立場を放棄した。
もちろん、気持ち良く辞めたという感覚などない。それより自分の性格が好きな事以外に興味がない事への不安が多かった。俺は生きていけるのだろうか?こんな事で大丈夫だろうか?ガキの頃に一緒だった奴等は、もうとっくに働き始めていて、手に職を持っていたり、家業を継いだりして就職していた。みんなに『お前は逃げた。不満もあるだろうが、みんな我慢して働いているんだぞ』と言われた。
俺は逃げた。皆が我慢しているところから逃げ出した。自分の弱さを見つめ、生きる場所を探して苦しんだ。
なぜ、こんな昔の事をダラダラ書いたのかと言うと、正樹に初めて会った時に感じたのだ。
この男は深海魚だと。
正樹はこれを読んでも、何の事か分からないだろう。でも俺はそう思った。初めて正樹に会った時に、何かを感じたのは確かなんだ。
ここには書けないような、馬鹿な事も一緒にたくさんした。『上野事件』はその最たるものだろう。
正樹は俺の友達だ。それは正樹が4回戦だったとしても変わらない。それとは別に、俺はトラッシュ中沼の大ファンである。トラッシュが打つ右アッパーに何度痺れた事か。北野戦で最後に打ったアッパーなどは、その代表作であろう。アッパーを打つ前に、たくさんのフェイントを使う。右フックを打っておいて、相手のダッキングに合わせ軌道を変える右アッパー。観客席から観ている、こっちが驚くような仕掛けである。リングの中の相手は堪らないだろうと思う。正樹は嫌がるかもしれないが、やはり天才だと思う。もちろん、その一言で片付けられたら、自分の努力を無視されたようで嫌だろう。
ふと酒の席で、右アッパーの事を聞いた事がある。すると軽くシャドウしながら『肩抜き出来れば、誰でも打てますよ』と笑顔で言われた。もちろん理にかなっている。でも誰でも出来るわけではない。
たくさんの会話の中で感じる事がある。トラッシュという男は、本当に頭を使い戦っているのだと。前に一度、後輩に質問され、シャドウをしながら説明してあげていた。すると『それはトラさんだから出来るんですよ』と返され、真剣に『そうじゃないだろ!頭を使わないから出来ないんだ』と力説していた。
確かにそうだ。俺は凡人だが互いの言うことも理解できて、何とも言えなかった。前にも書いたが、ブロックと称されるトラッシュの防御は、実は弾いて対処しているのだ。パーリングなり、ストッピングなり、それを最小限の動きでやっている。これも普通の選手には出来ないだろう。出来ない事は理解しにくい。するとただ、手を上げてブロックしているように見えてしまうのではないか。
しかしトラッシュ本人は違う。打たれているとは思ってないだろう。
よくトラッシュのボクシングを指摘するもので、手数の少なさというのがある。本人も手数の少なさを、反省したりはしている。だがトラッシュの右アッパーやブロックのカラクリを理解できない人間も多いはずだ。トラッシュ本人にしか分からない感覚。後輩の選手や俺自身がカラクリを理解しながらも、自分に置き換えて考えると
『トラッシュだから出来るんだろうな〜』
と思ってしまう事と同様に、トラッシュからしたら、「手数を多く」というのは理解をすることは出来ても、なかなか実行出来ないのと同じ事になるのではないか?
1発狙いになってもいいではないか。トラッシュだから出来る戦いだ。
個性的なボクシングを否定してはいけない。
もちろん手数が少なく、負けることもある。でもそれがトラッシュだ。最後まで「もしかしたら何かを起こすんじゃないか?」って思わせるパンチを打てる選手にも色気はあると思う。
中沼正樹の人生だ。正樹がやりたいように生きればいい。気分屋のところも確かにある。人を信じる力が大きく、純粋すぎて子供のようなところある。
正樹は嫌がるかもしれないが、俺は正樹に似ていると思っている。かなわない事もたくさんある。でも正樹に無いところも持っていると思う。生きる道が狭くなったっていいじゃないか!二人で潜ろう深海に。正樹が嫌だといっても連れていくから。
言ったよな?
『自分は山さんの舎弟みたいなもんですから』
ってさ。
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