PHOTO BY 山口裕朗

 その1

 10月末のある朝、俺の携帯が鳴った。
 誰だ?こんな朝早く?
 その着信音を隣で聞いていた奥さんが、『携帯鳴ってるよ』と、しっかり聞こえている俺に、わざわざ伝えてくれた。
 『ありゃ〜、最近のキャバクラの子は、仕事から帰った後、寝る前にメールを送るパターンが増えてるんだよな〜。』と頭の中で思いながら、ドキドキして携帯を開く。すると受信メールの題名が「森川メール」と書いてある。うちのジムのオーナーで、人気漫画「はじめの一歩」の作者の森川ジョージ先生からのメールだった。
 メールの中身を見る前、容疑を晴らすかのように『あ〜先生からだ!どうしたんだろうな〜!こんな朝早くメールなんて来た事無いのにな〜』などと、インチキ臭い独り言を奥さんに聞こえるような声で言う。人間とは常にやましい事があると、黙っていられない。これは真実。
 奥さんの『へぇ〜めずらしいね』という冷めた返事を、手のひらで踊らされている孫悟空のように聞きながら、先生からのメールを開けてみる。中身は『ガメスがシドレンコに負けたとさ。3ー0だって。シドレンコは16勝6KO無敗だって。この勝者がサラテに挑戦らしいよ』と書いてある。
 シドレンコって誰だ?ガメスはまだ現役だったのか〜!?今、何歳くらいだ?
 これがこのメールを読んだ俺の感想である。

 なぜ森川先生が、このような内容のメールを俺に送ってきたのかと言うと、福島学のバンタム級転向が具体化してきているからだ。
すぐに返事を送ると、折り返し電話がかかってきた。先生とバンタム挑戦話で盛り上がり、しばらく雑談も含め話をして電話を切った。そして小者の俺は、疑いが晴れたという安堵感に満たされ、爽やかな顔で奥さんに話し掛ける。だが奥さんは、話をさせるスキも与えず、サッと靴を履き仕事に出掛けていった。イラリオサパタのような身のこなしである。



 福島のバンタム転向。これは3年前の悪夢の後から、少しづつ話は出ていた。3年前の初の世界挑戦。チャンピオンのラリオスは強かった。今でも思い出すと、胃の辺りがキリキリする。倒されたのは右ストレート。でもそれより、今でもはっきりと鮮明に憶えているのが、開始数十秒に福島が放った右フックに対して、ラリオスが合わせた左フックだ。
 このパターンで合わせたパンチはとても効率的で、あたる確立は確かに高い。
 普通はブロックした手と逆の手で打ち返す。相手の右パンチを左手でブロックしたら、自分も右を返す。相手の左がきたら、右手で防御して左のパンチを返す。
 このブロックから返しのパンチの時間が短ければ短いほど、効果的であろう。でもこれは基本的にはみんな知っているパターンである。だから違うことをすれば当たる。ブロックした手の方で打ち返すのだ。右のパンチを左手でブロックして、そのブロックした左手で左フックを返す。左ボディを右の肘でブロックしたら、右アッパーを返す。例えばだが、このようなパターンで組み立てることも出来る。特に左ボディに対しての右アッパーは有効だと思う。

 前にホールで日本ランカーとノーランカーとの試合を観ていた。その日本ランカーは、左ボディがうまい。試合中に何度も打つ。それに対して、このノーランカーが繰り返し打っていたのが、ブロックした右手で打ち返えす右のパンチだ。時には右アッパー、時には右フックと。試合はノーランカーが惜敗したが、大善戦と言っていい内容だった。そのセコンドを見ると、角海老宝石の田中先生がいた。
 俺はさっそく、次の日に角海老に行き田中先生に話を聞いた。身振り手振りを入れて、細かく教えて頂いた。
 このパンチは確かに有効だ。使うタイミングを間違えなければ、大きな武器になる。ただ、相手の右のパンチを左手でブロックして、左フックを返すパターンには、ずっと疑問があった。
 福島は右フックが得意である。どんなに体調が悪くても、この右フックには力が出る。調子が悪くても出るパンチ。それはその選手が得意な証拠である。

 福島がよそのジムでスパーをしていた時に、福島の右フックに対して左手でブロックして左フックを返された。あっちのセコンドがそのパンチを大きな声で誉める。しかし俺は疑問だった。そのパンチを、果たして試合で本当に打てるのだろうかと。スパーは14オンスの大きなグローブと、ヘッドギアをつけてやる。この状況で打てたとしても、試合の時の8オンスのグローブで出来るのだろうか?
 インターバルで福島が戻ってきた時に、『あんなの試合じゃ打てないよ。試合は恐怖感もあるし、福島の8オンスの時のスピードにあれをやるのは無理だ。それより前に、今の右フックで倒せるよ。』って伝えたことがある。
 左ボディに右アッパーは、試合でも出来ると思う。顔面ではなく、ボディへのパンチになら練習に近い感覚を保てると思う。たとえ失敗しても、腹なんか鍛えておけば効かないし。
 しかし顔面はどうだ?オーソドックス相手の、右のスイングという一番強いパンチに対して、ブロックで防ぎブロック越しのパンチの勢いに体勢を崩す事無く、躊躇なしに左フックを返す事が出来るのか?もし失敗したら?俺の答えはノーだった。もちろんヘロヘロの右には出来るだろう。しかし『福島学の右フック』には出来ないと。
 そして実際、試合で打たれた事はなかった。正確に言うとやってくる奴はいたが、福島の右フックの勢いに負けて引きながら打つのが精一杯だった。これでは効かないどころか、向こうの見栄えも悪い。そう思っていた。ずっとそう思っていた。

 しかし世界は違った。ラリオスは、あの試合で福島が初めて打った右フックに左フックを合わせたのだ。しかもガードしてから返したのではなく、引き付けて強烈に合わせたのだ。何度か受けてみて、それから合わしたのではない。最初の右フックだ。
 試合前にビデオで研究したラリオスは、強引な右アッパーを武器にしていた。相手の右のパンチを、左手で止めて引き付けたところで、右アッパーを打つ。日はズレるが、統一戦でホーリンを1Rにたった1発でぶっ飛ばしたのは、この右アッパーだ。
 ラリオス戦の前、この右アッパーに対して、こっちが用意したパンチは右のフックだった。踏み込みを早くして打つ。たとえ倒せなくても、これを見せることでラリオスに右アッパーを出しにくくさせる。そうすれば、リーチの長いラリオスの懐に起こされずに、潜り込めるだろうと。試合前に何度も何度も、俺の右アッパーに対して右フックを打った。
 世界戦でなくても、ボクシングの試合は一度ペースをとられると、その流れを引き戻すのは非常に大変である。まして世界戦ならなおさらである。ラリオスに釘を刺すように、放ったあの右フック。返された左フックを目の当たりにして、俺は初めて思った。これが世界なんだと。試合の細かい内容は、もう書く必要はないだろうが、俺の浅はかな知恵はたった数十秒で、ものの見事に打ち砕かれた。
一杯のコーヒーを飲む事すら出来ない短い時間で。

 よく指導者(この言葉も好きではないが)と呼ばれる人が、『選手が教えた事を試合で出さないから、試合で負けた。』って言葉を聞く。果たしてそうだろうか?
 試合で出せない事が、教えたという事になるのだろうか?選手の力を見極めず、勝手に押しつけているだけではないか。俺はこうやっただの、俺ならこうやるだのと。そして負けたら選手の責任、勝ったら指導のおかげと必ず言いだす。
 あのラリオスとの世界戦で、まぎれもなく福島はラリオスに負けた。そして俺はラリオスのセコンドに負けたどころか、存在すらも気付かれないような、小さな小さな男だということを、気付かされた。
 世界戦から数週間後、弟分であるトラの試合の応援に、福島と二人でホールに行った。激励しようと控え室に行くと、ドリームジムの三浦会長に『この前は残念だったな。あの左フックを合わされたら入れないよな〜』とサラリと言われた。
 参った。ちょっと見ただけで、あのパンチを見抜くこの人は、やはり噂通りのすごい人だ。もうケツの穴を覗かれたような感覚だ。唯一救われたのは、俺があの左フックに気付いていたという事だけか。自分の小ささにもがき苦しむしかなか
った。

 あれからもうすぐ3年が経つ。その間に、無敗の韓国チャンピオンとの激闘を制し、東洋のベルトも巻いた。その虎の子のベルトを初防衛で失ったり、決して順調にきた3年間ではなかった。
 生き残りをかけ挑んだのがヨックタイとの2連戦だった。初対決は2003年の12月だった。ヨックタイは前の試合で、佐藤修選手からダウンを奪って、引き分けている。しかもバンタム級の世界ランカーながら、二階級上のフェザー級に転向した、一回り体の大きい佐藤選手に負けなかった。
 俺は東洋タイトルを初防衛で失った、福島の再起戦の相手にヨックタイを選んだ。

 ウェイトも契約体重にして、S・バンタムのリミットより軽い体重にした。
 ヨックタイはムエイタイでも実績があり、ボクシングではS・フライ級でチャンピオンにもなっている歴戦の雄だ。タイの選手の大半はムエイタイ出身である。
 一度でも、ムエイタイを見たことがある人は、そのゆっくりとした動きに驚く。
 ムエイタイという格闘技は、長い歴史の中で無駄な動きを削ぎ落とし、出来上がった完成されたものである。佐藤選手との試合で、動きがなく見えたのはムエイタイの戦い方に似ていたからだ。
 俺はボクシングのトレーナーだ。だが、なぜかたくさんの格闘技の選手を見ている(教えているという言い方はしたくない)。キックの選手もたくさん見ている。
 その過程で何度も、ムエイタイのトップとの試合を経験してた。彼等ムエイタイ戦士はやられない術を知っている。彼等のゆっくりとした動きに付き合ったら、まったく歯が立たない。彼等と勝負するためには?それは彼等のゆっくりとした動きに、一切付き合わず自分勝手に動き続け、細かい手数を出し暴れ続ける事である。

 この試合に対してヨックタイは、気合い十分だった。福島に勝ち、この当時の世界バンタム級チャンピオン戸高選手に、S・フライ時代に破れた借りを返したいと試合前から、かなり意気込んでいた。
 この試合の前半、福島はとにかく動いた。ただポイントはヨックタイに持っていかれていた。気合いの入っていたヨックタイは、佐藤戦の時のように待ってカウンターという戦い方ではなく、自ら距離をつめ福島を潰しにきた。
 そうなんだ。彼等はこういった戦いも出来る。中盤から足を止め、調子に乗り始めたヨックタイの出足を止めにかかる。
 だがヨックタイも黙っていない。接近戦になると福島の脇を右手で差し上げ、左ボディをみぞに打つ。また脇を差し、福島の両手を使えないようにする。左手で頭を押さえて、右を打ち下ろす。疲れると自分から両手を福島に差し出し、まるで福島がクリンチしているように思わせる。いずれも反則ギリギリの、老かいな技であった。
 やはりタイ人は、やられない方法知っている。競技は違うがキックの試合で何度も味あわされた、苦い記憶がよみがえる。しかしここからはセコンドの俺の予想を、福島が良い意味で裏切ってくれる。この男は、良い意味で裏切り者だ。物凄い手数で試合の流れを、だんだん自分の方へと引き寄せていくのだ。これは他の誰の力でもない。福島学の意志の強さが、終盤の驚異的な追い上げを可能にした。
 試合は前半はヨックタイ、後半は福島という展開で終わった。判定はドローだった。終盤に追い上げてのドロー。こういったドローなら再戦すべきと思い、試合後すぐにマッチメーカーのジョー小泉さんに頼んだ。

 たくさんの試行錯誤を繰り広げ、悩みに悩んだ福島学のスタイルが、このヨックタイとの試合の後半に見えた気がした。この自分のスタイルを導きだしたのは、紛れもなく福島学のボクシングに対する意志の強さだ。俺はそれを目を離さずにしっかりと見続ける。

(以下次号)



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●山田武士
1973年、埼玉県新座市生まれ。AB型。
1996年、チンピラ(自称)からJBスポーツジムトレーナーに。

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