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橘選手は、神奈川県出身の28歳のボクサーである。元々は神奈川県平塚市のピストン堀口ジムの練習生だったが、当時のトレーナーがエディジムに移籍したこともあって、紆余曲折を経てエディジムに来た。(拳跡集「絆」参照)
エディジムでプロボクサーになり、5年間で築いてきたキャリアは11戦8勝(1KO)2敗1分。派手な試合をするわけでもなかったが、その謙虚な性格と気持ちのこもったボクシングは見ず知らずの関西の地でも多くのファンに親しまれた。そしてそのファンの期待に応えるがごとく、一戦一戦着実に勝ち進みA級まで登りつめてきた。
しかし、8回戦でA級初勝利をあげたあと勢いそのままに日本ランカーに3度挑戦するも3敗。安定した仕事を捨て、不退転の覚悟で目指してきたプロボクシングの道も、日本ランキングとなるとその壁は想像以上に高く、しばらくは勝利から遠ざかっていた。
その後ジムが高槻へ移転。かつての先輩後輩ボクサーらがジムを去り、またこれまで苦楽を共にしてきたチーフトレーナーがジムを去って行ったが、「大阪に来たときから、ボクシングを終えるのはエディジムと決めていた。」と後に語るように、環境の変化にも惑わされることはなく、一人愚直に練習に取り組んで来た。
そしてそんな橘選手に、村田会長はチャンスを与え続けた。4戦連続となる日本ランキング挑戦を2月にマッチメイク。ジムが移転してからは、新しいトレーナーが加わりもしたが、橘選手のミットは毎日会長が持った。新ジムではスパーリングパートナーにも事欠いたが、週2,3度合間を縫っては橘選手と共に近隣のジムへ出向き、スパーリングを積ませた。
2月11日、大阪は京橋のIMPホールで行われた10回戦。相手は日本ミニマム級9位の岸田直哉選手(クラトキ)。試合は序盤から橘選手がフットワークを駆使してテンポ良く好打を打ち込んでゆく。キャリアの上回る岸田選手に対して、試合終了まで橘選手の旺盛な手数は止まることはなく、ペースを譲らずに最終回のゴングを聞いた。
キャリア12戦目、挑戦4度目にして、ついに悲願の日本ランキングを手に入れた瞬間だった。
一方、ジム移転後の昨年末、大阪府立体育館で行われたとある興行。エディジムの4回戦の選手が出場することもありセコンドとして同行すると、移転後ジムに姿を見せていなかった多くの選手達が会場に応援にかけつけていた。久しぶりに声をかけ近況など聞いていると、ある選手がこんなことを言っていた。
尊敬する先輩ボクサーが移籍し、これまでずっと面倒を見てもらって来たトレーナーが辞めてしまった。仲がよかった周りの選手達も皆ジムに来なくなり、自分達もどうしていいか分からない、と言う。ボクシングを続けたいのはもちろんだが、現在のジムで続けていく自信がない、と言う。
あっけに取られ、返す言葉すら出てこなかった。
今までいた先輩がいない、同僚がいない、トレーナーがいない。だからジムへ行けない。ボクシングが続けられない。自分達の意思の薄弱さを環境の変化のせいにし、行動する前に言い訳が口をつく。彼らはなんのためにボクシングやってきたのか。“強くなりたい”という男児の根本ともいうべき精神の下に、リングの上で勝利を目指してきたのではなかったか。
なんとも残念な気持ちにさせられたものだった。
そんな彼らのボクシングに対する姿勢が村田会長にはどのように映っていたのか、一度尋ねたことがあった。
「自分たちの時代は、ボクシングしかなかったんや。けれど、今の時代はそういう時代じゃないやろ。ボクシングしなくても、生きていけるしな。」
会長の言葉に、全ての答えが集約されていた。
橘選手は、決して特別センスのあるような選手ではないと村田会長は言う。実際一撃必倒のパンチ力を持ち合わせているわけでもなければ、特筆すべきスピードもない。相手によって臨機応変に対応できるような器用さを持ち合わせているわけでもなかった。
だが、ボクシングに対する情熱とその確固たる決意は、他の誰にも勝るとも劣ることはなかった。
4戦連続となる格上の日本ランカー挑戦、限界を超える日々のジムワークも、「勝ったら日本ランキングに入れると思うと、何でもなかった。」と試合後語ったように、強くなりたい、一つでも勝ちたい、ただただその思いで今回の挑戦を実らせた。
愚直であること、真っ直ぐであること、ボクシングに対するその真摯な姿勢こそが、実は他の何にも勝るとも劣らない橘選手最大の武器ではなかったか。
その後のエディジム。以前は割とトレーナーにまかせきれりだった選手指導も、現在村田会長はプロ、練習生、老若男女問わず毎日ミットを持っている。見るよりもやはり直接ミットを持ったほうが、それぞれの選手のくせや特徴が分かって指導しやすいと会長は言う。若干年のせいかミットを持った後はお疲れの模様でもあるが、選手と共に汗を流しているその姿は、以前よりもいくらか楽しそうにも見える。
以前のジムでは危機的状況であった練習生の数も、高槻では着実に増えてきている。指導の甲斐あってか、いまでは連日のように練習生がリングの上でスパーリングをこなしている。あとは高槻から、新たなプロボクサーの誕生が待たれるばかりだ。
エディタウンゼントジムの第2章は、まだ幕を開けたばかりである。
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