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2002年12月22日、後楽園ホールで行われた全日本新人王決定戦、僕と金井晶聡(姫路木下)が争ったフェザー級決勝戦は、超満員の後楽園ホールの観客を大いに沸かせたものでした。
それまで6戦全勝全KOで西軍代表のMVPとして、後楽園ホールに初登場した金井と、デビュー戦引き分けの後、わずか1KOながらも8連勝で東日本を制した僕との対決は、金井のパワーを僕の手数が抑え、金井は両目瞼をカットし激しく流血、試合は終盤まで僕のペースで進みました。
悲願の全日本のタイトルへ向け、僕は全身全霊を注いで渾身のブローを金井の血まみれの顔面に打ち込み続けましたが、彼の破壊的パンチ力と僕のパンチ力の差はいかんともし難く、最終回残り1分を残したところで僕は金井に乾坤一擲の左ボディブローを痛打され、逆転のKOを許すのでした。
“新人王史に残る名勝負”と翌月のボクシング誌に書き立てられたその試合で、 金井は全階級を通じてその年の新人王MVPを獲得。その後デビュー以来の連続KOを14
に伸ばし、日本記録を樹立しました。しかし、15戦目に日本王座へ挑戦し、当時の無敗王者、角海老宝石ジムの榎洋之に完膚無きまでに叩きのめされてからは、それまでの勢いが影を潜め、再起後も精彩を欠いた試合が続きました。
その金井晶聡が、昨年9月24日、京都のKBSホールで行われた興行にメインイベンターとして登場しました。
興行の第一試合に自分が現在トレーナーを務めるエディタウンゼントジムの選手が出場し、そのセコンドの役割を終えると、あとは自分も会長やジムのスタッフと一緒に会場で試合を観戦しました。
試合の後片付けを終えて控え室を出るとき、姫路木下ジムのスタッフに声をかけられて少し会話を交わしました。最後に「金井に会ってく?」と笑顔で言われましたが、その時は「僕が会場にいるってことだけ伝えてもらえればいいですから。楽しみにしてます。」とだけ伝えて、会うのは遠慮しておきました。しかし、メインイベントの2試合前の途中に控え室のトイレに向うと、試合を数十分後に控えた金井がウォームアップをしているところに出くわしました。金井に会ったのは、彼が15連続KOをかけて日本タイトルに挑戦する試合前の控え室で、同じく姫路木下ジムのスタッフに促されて彼を激励に行ったとき以来、およそ2年ぶりでした。
交わした言葉はわずか二言三言だけでしたが、はっきりと記憶に残るものでした。
金井「久しぶりやな。」
清水「久しぶりだな。調子はどうよ?」
金井「ええよ。2002年のフェザー級新人王は強いってとこ、見せたるよ。」
清水「負けちまえよ。世の中そんなに甘くねぇよ。」
金井「KOで勝つよ。」
清水「楽しみにしてるわ。」
短い会話でしたが、ものすごく中身の濃い会話でした。金井も、僕との久しぶりの再会を、少なからず喜んでくれているように思えました。
前回会ったときは、初のタイトルマッチに加え、15連続KOの記録もかかっていたせいか、少なからず気負っている様子がありましたが、今回はそんな様子は微塵も感じさせず、好調さを伺わせていました。2度の敗戦を経験したせいか、まるで何かに吹っ切れたかのように、さわやかな表情をしていました。僕の挑発的な発言にも動じることなく、笑顔で「KOで勝つよ。」と応えてくれました。
しかし、このときは彼のその表情の裏に隠されたこの試合にかける真意を、まだ読み取ることはできませんでした。
自身の最後のキャリアとなった2004年6月の試合で、僕は右眼に眼窩底骨折と網膜剥離を患い、選手としてリングに上がることが出来なくなりました。5ヶ月間の入院生活の間に計4度の手術を受けましたが、右眼が右眼として試合前の様に機能することはなく、リングに上がることは出来なくなりました。
自分が現役の選手としてリングに立つことが不可能だと悟ると、それからは金井の試合があるたびに、勝ち続けて欲しいと思うようになりました。彼に敗れた後も自分が現役でいる間は“金井が何だ、おれがやってやる”そんな意地がありましたが、それが叶わなくなってからは、彼の試合があるたびに自分が人生を賭けて挑んだ相手だけに、自分に勝った以上このままでは終わって欲しくはないと、そう思っていました。
ボクサーは誰だって自分の弱さを認めたいものではなく、自分に勝った選手にはやはり勝ち続けて欲しいと思うもので、思い返せば自分も新人王トーナメントを勝ち続けている間は、何度となく試合後対戦相手に激励されてきたものでした。
「2002年の、フェザー級新人王は強いってとこ、見せたるよ。」
それだけにこの言葉を聞いたときは、純粋に嬉しく思いました。金井が、“お前が弱くなかったって事、おれが証明したるわ”そんな風に言っているかのように、自分には聞こえました。そしてまた、自分があの試合で確固たる信念を持って拳に込めて打ち込んだ思いは、しっかりと彼に伝わっているんだな、と、その時は感じる事ができたからです。
対戦相手のWOZジム吉澤祐規選手のことは、全く知りませんでした。ネットで情報を収集した限りでは、2003年度S.フェザー級の新人王で当時日本ランキング9位、若干20歳にして15戦(14勝6KO1敗)のキャリアを持ち、ライト級では将来を嘱望されている選手とのことでした。
一方の金井は、一時期世界にも名を連ねたそのランキングも、2度の敗北によってフェザー級の8位まで後退していました。ここ数戦の彼の出来を考えると、上り調子の吉澤選手との対戦は厳しい試合が予想され、このマッチメイクに現在の金井の追い込まれている状況と、姫路木下陣営の背水の覚悟が感じられました。
試合のウェイトも気になりました。試合は60.0kg契約の10回戦で、金井が新人王を獲得したフェザー級のリミット(57.15kg)からは大分増えていました。選手の前日量に付き添った江藤さん(エディタウンゼントジム元チーフトレーナー)から、金井が計量時にリミットを100gオーバーしていたということも聞かされていました。新人王時代から彼の減量苦というのは何度か聞いたことがあり知ってはいましたが、フェザー級より1階級上のS.フェザー級のリミット(58.98kg)をさらに上回る60.0kgの体を作ることが出来ない事には、疑問を感じざるを得ませんでした。
控え室で姫路木下ジムのスタッフと会話したときに金井の調子を尋ねましたが、返ってきた返事は、「まぁねぇ、いままで勝ってきた選手のこともあるから、負けられないよねぇ。」という曖昧なものだったことを思い出しました。
金井のあの吹っ切れた表情と姫路木下陣営の心なしか覇気のない様子に、彼はこの試合に進退をかけているのではないかと、思うようになりました。
会場の京都KBSホールは、京都御所の隣にあるおよそ1000人収容の小さな会場で、主にWOZジムが主戦場としている会場でした。セミファイナルが終わる頃には立ち見客も一杯になり、地元の吉澤選手の人気と同時に、このカードに対するファンの関心の高さが伺えました。
両選手の入場がコールされると、照明が落とされ、青コーナーからアップテンポの曲をバックに金井が入場して来ました。妙に聞き覚えのある曲だと思ったその曲は、奇しくも現在自分がトレーナーをしているエディタウンゼントジムの当時の看板ボクサーで、昨年6月に史上初のOPBF東洋太平洋フライ級・日本フライ級の同時タイトルマッチに臨むも6RKOで敗れ、復活を期して練習を続けている小松則幸選手の入場テーマと同じ、TOMCATのTOUGH
BOYでした。
2人のボクサーがどん底から這い上がろうとするその姿がTOUGH BOYと共に僕の中で重なり、体が熱くなるのを感じました。リングに上がった金井は、青コーナーでしゃがみこみ、一心に気持ちを集中させているようでした。自分の勝利を、ただひたすらに何かに祈っているようにも見えました。
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