『\<上> 無言の報復』

 2003年11月。日本スーパー・バンタム級タイトルマッチで、中島吉兼(角海老宝石)が稀にみる大逆転KOでタイトル初防衛に成功した翌日、ボクは久しぶりに横山啓介をジムに訪ねた。
 前夜の興奮がさめやらぬボクは、中島というチャンピオンの練習量が尋常でないことや、連日のミット打ちで磨いてきた相打ちの左ストレートが土壇場の最終回に逆転KOパンチとなったことなどを横山に話して聞かせ始めた。ところが、中島より2階級下のクラスにいる元日本2階級制覇者は、熱弁に冷や水を浴びせるかのように静かに笑いながらこう言った。
「仕事しないでボクシングだけしてるんなら、いくらでも練習できますよ。オレも実家にいてまだ仕事してないころはそうでしたからね」
 そして黙り込むボクにこう続けた。
「なんかこう、戦っててしっくりこないというか、バチーンというのが最近の試合ではないんですよ。昔のオレがよかったときというのは、そいういうのが試合中に感じられたんですけどね」
「次の試合では、そういう感覚が戻りそう?」
「どうですかね。やってみなきゃ、わかんないすね」

 どうもつれない横山の応対。その原因は、そうして二人で腰を落ち着けて話をするのが、およそ9ヵ月ぶりのことだったからなのかもしれない。
 その間に横山は2試合を消化して1勝1敗。3月の移籍初戦では関西のノーランカーにTKO負け。8月には元比国ミニマム級王者を判定で下し、移籍後の初勝利を収めていた。それは大阪で日本2階級制覇を達成して以来、2年ぶりの白星でもあった。
 移籍初戦で敗れたあとの醜いエクスキューズに辟易させられたボクは、一心同体なんだと思えるような親愛の情を横山に抱けなくなっていた。が、その事実や根拠を横山に伝える勇気はなく、またなにもかも根絶やしにされたわけでもなかった。たしかに熱は冷めたものの、物書きとして取材者としての思惑や打算、ボクサー横山を最後まで見届けたいという野次馬根性は残っていたのである。
 この元日本チャンプはいつになったら本気になるのか。あるいは、うだつのあがらぬまま、もう二度と日の目を見ることなく消えていってしまうのか。
 どちらにしても興味はあったし、舞台裏や本心のありのままを、この面識すらなかった一介のライターにさらしてきてくれた横山への恩儀や感謝も当然あった。また過去に2度もジムを移籍していることなどから、現役生活に支障をきたすおそれもあるなかで、彼は自分を題材にしたこのTalk is Cheapへの連載を快諾してくれたのだった。


 そもそも、親愛の情などというものはボクの独善たるエゴイズムにすぎなかったのかもしれない。また自分でも気付かぬうちに、白か黒かの決着を横山に急かしていたのかもしれない。
 自分の概念や願望といったフィルターを介さずに横山の移籍第2戦を見ていたとき、ふとそんな感慨が浮かんできたりもした。
 ディフェンシブでカウンターにもさして威力のない小柄な元比国王者を相手に、横山はチャンスで畳み掛けることもなく淡々とラウンドを重ねていった。その凡庸なファイトにしびれを切らせて席を立つ観客は少なくなかった。リスクを冒さず勝利に徹する横山に、ボクも賛同こそしなかったがその意図は理解できたし、次のファイトへ淡い期待を生むことにもなった。
 要するに、ここまではまだ馴らし運転で、元日本2階級制覇者の面目躍如はこの次からだ。平坦な10ラウンズにあえて身を投じている元チャンプの背中からは、そのようなメッセージを読み取ることもできたのである。


 やはり、“次”の試合の対戦相手は日本の上位ランカーに決まった。12月6日、後楽園ホールでの8回戦で、日本スーパー・フライ級2位の結城康友(ヨネクラ)と拳を交えることに。
 ミニマム級とライト・フライ級で日本王者となって世界ランクにも名を連ねた横山だが、もはやそれは過去の話。2003年に入ってからは日本ランク落ちしたままで、ふたたびタイトルをめざすには結城を破ってまず日本のトップ10内に復帰しなければならなかった。
 横山の携帯電話へ久々に連絡を入れてみると、彼の周囲にも変化が起こっていることを知らされた。
 コンビを組んできた篠田朋恒トレーナーが1ヵ月ほど前に脳内出血で倒れて入院、いまは高橋直人会長にマンツー・マンでみてもらっているのだという。
 後日、JBスポーツジムを訪ねると、待ち受けていたのは顔も身体もすっかりスマートになっていた“逆転の貴公子”こと高橋会長だった。ある写真に写った自分の肥えた顔にショックを受け、ここ何ヵ月かはジムワークを欠かしていないのだという。最近は横山ともスパーリングをしており、「アイツは弱い」と繰り返しながらも、教える側の真剣さや愛情が伝わってくる口ぶりだった。
「横山がうちに移籍してくるときは、いろんなよくない評判を人から聞かされてたんだけど、ぜんぜん素直だし、オレはそんなの感じたこと一度もない。アイツにつけていた篠田というトレーナーはボクシング博士で、どんな疑問も納得させられるし、横山がどれだけ篠田に信頼おいていたのかもわかりましたね。ただ、2階級制覇してるってのが、よけいかな。ボクシングを知らなすぎるし、足とかジャブとかもブサイク。とにかくアイツは弱い。パンチはまあまあだけど、オレが本気でスパーやったら倒しちゃうと思う…」
 やがてのっそりとジムに現れた横山は、高橋会長のつきっきりのコーチを受けてファイターとして戦うための特訓を重ねていった。

「この前の試合は右ストレートがよかったと思うけど、今日はぜんぜん打たなかったよね」
「会長から右ストレート禁止令が出てるんですよ」
「ファイターになれということでしょ。横山クンがファイター・スタイルでこられたときのスパーが一番やりにくいと会長は言ってたよ。ボクシングをすれば簡単に倒せるとも言ってたけど」
「どうなんですかね。オレだって会長とスパーするときは本気出してないんですけどね…。でもとりあえず、会長の言ってる意味はわかるんで…」



 試合までまだ3週間。目の前で料理をつまんでいる横山にかつての枯れきった面影はなかった。だが、 どうも以前のように会話が弾まないのは、二人の間に微妙な壁のようなものが存在しているからにほかなるまい。その原因は自分にあることにもうすうす感づいたボクは、もどかしさとあきらめを覚えつつ、残りのビールを飲み干して店の会計を済ませた。そして、このタイミングでは気がすすまなかったが、横山のリクエスト通りにこのTalk is Cheapで始めた連載のコピーを渡し、それぞれ帰途についたのだった。          (つづく)
   


■ ドロップアウト・パンチ By 大久保克哉 ■ Back Number

最新の「ドロップアウト・パンチ」
『[<下> やまぬエクスキューズ』
・2005 『[<上> 3.2キロのサプライズ』

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●大久保 克哉 (おおくぼ かつや)
千葉県生まれ、34歳。東洋大学出身。ローカル紙記者を経てフリーに。ボクシングをメインにJリーグ、野球を取材、執筆中。近著『語ろうパ・リーグ』(カンゼン)、『格闘家のためのメディカルケア』(ベースボール・マガジン社)。

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