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「チャンピオンにならんと肩身が狭いです・・・。テッペン行くぞコノヤロ〜!! BLESS UP!!」
11月に都内で開催された『NIKEフラッグシップストア原宿』のオープニングパーティで、オリンピック選手、アーティスト、女優、俳優、業界関係者らと時間を共にした“戦士”の心に、新たな闘志が芽生えた。

湘南RYUJUボクシングファミリーのチーフトレーナー・川端龍也氏に紹介していただいた今月の“戦士”は、日本フェザー級4位の上野則之選手(ワタナベ)だ。
自身のブログタイトル=「雑草心」からも分かる通り、2勝6敗1分という戦績から変身を遂げて日本ランカーへと上り詰め、日本タイトル挑戦に2度失敗するも、今なお前進を続ける不屈のボクサーである。
私はいつもの通り、“写心家”山口裕朗氏に同行してもらい、上野選手の練習を見学しにワタナベジムを訪れた。
宮田トレーナーのミットへパンチを打ち込み、リングで切れの良いシャドーをこなす上野選手の眼光は鋭く、パンチ一発一発には、何か強い意志のようなものが感じられた。

練習を終えた上野選手と我々は、五反田にある田中光吉氏(元日本ライト級1位)が営む居酒屋「くらんど」へ向かった。
私と山口“写心家”は生ビール、上野選手はコーラで乾杯――。
「くらんど」お勧めのホルモン焼きに舌鼓を打ちながら、しばらく上野選手との団欒を楽しんだ。

先ほどの鋭い眼光は影をひそめ、そこには柔和な好青年の姿があった。練習中に感じた印象よりも物腰の柔らかい人物だった。
昭和57年3月、栃木県芳賀群市貝町生まれの27歳。
「小さい頃は泣き虫でしたね。いじめっ子だったけど、実は弱虫なんです。ハハハ・・・」
サッカー、水泳と、スポーツは得意だが勉強は苦手な少年だった。
自分の力だけでは結果の出ない団体競技に疑問を感じ始めた頃、中学2年生の時に読んだ漫画「ろくでなしブルース」に影響を受け、ボクシングに興味を持つようになった。
地元のアマチュアジムを経て、高校3年の時に全日本パブリックジムからプロテストに合格。実に3度目の受験で果たした合格だった。
ブログのタイトルである「雑草心」――雑草のように、何度踏まれてもまた立ちあがる。その精神は、この頃から芽生え始めていたのだろう。
デビュー戦は第1ラウンドKO勝利をおさめたものの、その後は敗戦が続き、2勝6敗1分の戦績を残して一度リングから遠ざかった。
老人ホームで調理の仕事に就き、2年間普通の生活を送っていた。
しかし――、そのままでは終わらなかった。
心機一転、ワタナベジムへ移籍し、上野選手は変身を遂げた。ビル窓拭きのバイトをしながら勝ち星を重ねて日本ランキング入りし、2007年11月、遂には日本タイトルへ挑戦することになったのだ。
相手は後に世界王座を獲得した粟生隆寛選手(帝拳)。言わずと知れた元・高校6冠の強豪に最終ラウンドまで健闘を演じた。
「自分の力を出させてもらえなかった」という上野選手は、残念ながら判定で涙を呑んだのだが「雑草心」は、やはりそのままでは終わらなかった。
2年後の2009年6月、粟生隆寛選手が返上したタイトルを引き継いで防衛を重ねていた同・帝拳ジムの松田直樹選手への挑戦。
地元新聞の取材で、上野選手は「あきらめずに挑戦することの大切さを伝えたい」と語っていた。故郷からは100名近い応援団が駆け付けた。
しかし、残念ながら最終ラウンドTKO負け。またしても涙を呑んだ。

現在、上野選手はこの壁を乗り越えようと、自身を奮い立たせている。
「あきらめずに挑戦することの大切さを伝えたい」――自身が語ったこの言葉を忘れずに、戦い続けて欲しいと思う。
私もタイトル挑戦に3度失敗し、4度目に栄冠を勝ち得た“雑草”の一人である。負ける事、結果が出ずにいる事の辛さは知っているつもりである。
「テッペン行くぞコノヤロ〜!! BLESS UP!!」
上野選手は、レゲエシンガー「MUNEHIRO」として活躍する鈴木紗里奈の大ファン。以前、通っていたクラブで知人から紹介されて本人と会ったことがあり、その時にこの「BLESS UP!! MORE POWERS!!」という言葉を「MUNEHIRO」から直接もらったのだという。
――上野選手はこの言葉を、常に自身のブログの最後にしたため、座右の銘としている。

12月28日、後楽園ホールで元世界ランカーの福島 学(BJスポーツ)との試合が決まった。復帰戦に向け、柔和な好青年の眼光は鋭くなった。
まだまだ――「雑草心」は、このままでは終わらない。
「BLESS UP!! MORE POWERS!!」
「あきらめずに挑戦することの大切さ」を忘れずに、いつか栄冠を勝ち取って欲しい。

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