その75 歯科医ボクサー・松井亮介さん


写心 山口裕朗



 「ボクシングには楽しませてもらったので、還元してゆきたい気持ちがあるんです。キッズをのんびり指導しながらやっていきたいですね――」
 若き歯科医として活躍する傍ら、ボクシング人としての熱き思いも失うことなく、爽やかに微笑む姿が印象的だった。

 夜の六本木――あまり縁のない場所だったが、2か月続けて訪れることになった。

 先月の戦士、「六本木ファイトクラブ」代表の宮田豊三(みやた とよぞう)さんに紹介していただいたのは、歯科医ボクサーの松井亮介さんだ。
 松井さんは現在、この「六本木ファイトクラブ」で“軽く”汗を流す一般会員としてボクシングと関わっている。

 1か月ぶりに「六本木ファイトクラブ」の扉を開けると、初対面の松井さんが笑顔で出迎えてくれた。
 「わざわざお越しいただいて、ありがとうございます!」
 “歯科医ボクサー”というからには、きっとエリートで近寄りがたい雰囲気の人かもしれない・・・というイメージを勝手に描いていたが、なんとも笑顔の爽やかな明るい“青年歯科医”といった感じの人だった。



 「いや〜、メタボでダメですよ・・・。ジムには85kgって言ってるんですが、本当は90kgくらいあるんです・・・」と恥ずかしそうに言っていたが、身長180cmの長身に、大き目のTシャツをゆったり着ていたせいか、そんな風には感じなかった。
 
 練習を終えると、松井さんは汗が引かないうちに、すまなそうな顔で更衣室から飛び出して来た。
 「お待たせしちゃってすいません! どこへ行きましょうかね」
 こちらを気遣って、大慌てで着替えてきた様子がひと目で分かった。そんなに急がなくてもよかったのに・・・、松井さんの人の良さが感じられた。



 我々は松井さんの行きつけのお店、ユーロパブ「グリアン」を訪れることにした。

 カウンターバーとテーブルが数卓の小洒落た雰囲気のお店で、まだ汗の引かない松井さんは、美味そうにビールをのどに流し込んだ。

 1975年、東京都町田市で、兄と姉の3人兄弟の末っ子として生を受けた。父は画商を営み、松井さんは特に不自由する事無く少年時代を過ごした。
 中学、高校はイギリスの日本人学校へ単身留学し、この頃から4人部屋の寮生活を経験した。

 中学入学時には身長が177cmあり、中2の時には180cmに達していた松井少年は、長身を活かしてバスケットボール部に所属した。
 州の大会で3回優勝という素晴らしい成績をおさめ、臨時で駆り出された陸上部でも、1500m走で州6位に入賞するなど、異国の地で大活躍の日々を送っていた。

 その後、イギリスの大学への進学も考えた松井さんだったが、医療系に進んだ兄や姉の影響も受け、日本の歯科大に進む選択をした。
 やがて研修医として2年を過ごした後、東京医科歯科大の大学院を経て、医療用マウスピースの専門家の道へ進んだ。
 スキューバーダイビング用マウスピースの特許なども取得している、正真正銘の専門家なのだ。

 それまでボクシングジムとは縁の無かった松井さんだが、「マウスピースと言えばボクサー」ということで、東京医科歯科大の近くにあった十番TYジム(当時)を恐る恐る覗いていた時のことだった。
 「よろしかったら是非入門して下さい!」
と、当時十番TYジムのトレーナーをしていた宮田豊三さん(現・六本木ファイトクラブ代表)が、笑顔で駆け寄って来たのだ。
 「正直、怖かったです・・・」
と言いつつ、松井さんはマウスピースの実験を目的として十番TYジムに入門した。

 約2年が過ぎた頃、十番TYジムが閉鎖されてしまい、松井さんはワタナベジムの体力増進コースに入門した。
 せっせと練習していたある日、トレーナーから声をかけられ、アマチュアの実業団選手権に出場することになってしまった。そして松井さんの相手はなんと“社会人チャンピオン”――。残念ながら3ラウンドRSCで涙を呑んだ。
 「でも、あれがボクサーとしての絶頂期でしたね・・・」
松井さんはおどけて笑った。

 その後、松井さんは30歳を前にしてプロテストを受験し、見事合格を果たした。そして同じ年に、東京大井町で歯科医院を開業したのだ。

 やがてトレーナーから、「一回試合しようよ」と言われ、松井さんは論文執筆と10kg以上の減量の両立を克服し、プロのリングへ立つこととなったのだ。
 「リングへ上がる階段では、“生まれたてのヤギ”みたいにフラフラで情けなかったですね。ハハハ・・・」
 いつもおどけて笑う松井さんだが、さすがにこの試合は第3ラウンドにボディブローとフックをもらい、気持ち良くマットに寝てしまったという。

 プロの戦績は、とりあえずこの一戦のみ――。決して活躍したわけではなかったが、“歯科医ボクサー”として稀有な光を放っていることは間違いない。
 「来年の4月頃、六本木でもう一軒開業する予定なんです」
“青年歯科医”として、仕事の方もとても充実しているようだ。

 十番TYジム時代から六本木に住んでいる松井さんは、現在、自宅に近い「六本木ファイトクラブ」に通っている。
 かつての師匠・宮田豊三さんの指導の下、大き目のシャツをゆったり着て、楽しく汗を流している。

 そして、今後のボクシングでの夢も語ってくれた。
 「ボクシングには楽しませてもらったので、還元してゆきたい気持ちがあるんです。キッズをのんびり指導しながらやっていきたいですね――」

 松井さんは、ボクシングのイメージを変えてゆきたいと言う。
 「まだまだ一般の人にとって壁がある。どんな人でも夢を追えるスポーツなのに・・・」
 キッズの指導を通じて、ボクシングの普及にも活躍していっていただきたい――。最後まで、その爽やかな笑顔が印象的だった。




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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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