その74 六本木ファイトクラブ・宮田豊三さん


写心 山口裕朗

「楽しんでもらえれば、それでいいと思っているんです。ボクシングを通じて、それぞれの目的をかなえてゆきたい・・・」
 夜の六本木――、ここにも“ボクシング”が存在するということを、静かに訴えかけているように感じられた。

 先月は久々の女性“戦士”、脚本家の南青緑(みなみ あおみどり)こと上杉京子さんでした。彼女に紹介していただいた今月の“戦士”は、「六本木ファイトクラブ」 代表の宮田豊三(みやた とよぞう)さんです。
 “会長”ではなく“代表”と書いたのは、選手育成を目的としたり、プロ加盟しているジムではなく、趣味で通ってくる会員さん相手のジムだからという理由と、宮田さん自身が、ジムでは“宮田トレーナー”という肩書で会員さん達と接しているからです。

 私は滅多に六本木に足を運ばない為、交差点からすぐのジムを探すのに結構骨が折れた。しかし、立地はかなり良い場所にある。
 六本木交差点から外苑東通りを東京タワー方面に向かって進み、右手にスターバックスが見えたら、そのひとつ手前のビル6階に「六本木ファイトクラブ」がある。

 エレベーターで6階に上がると、すぐに入り口の扉があった。
 「こんにちは!」と挨拶をして中に入ると、“写心家”山口裕朗氏が既に撮影を始めていた。

 「新田さん、ようこそ。少し待っていただいてよろしですか?」と、汗だくの宮田さんが話しかけてきた。
 まだ指導中だった為、私は「ゆっくりやって下さい」と答えて、ジムの中を見て回った。

 宮田さんは、鏡の前で会員さんにシャドーボクシングの個人指導を続けた。私は目をパチクリさせて見入ってしまった。
 ジャブ、ワンツー、コンビネーション、ウィ―ビング、ダッキングと、音楽に乗りながら全てのパンチを会員さんと一緒に繰り出す。3分間の間は、ひと時たりとも休憩が入らない。とにかく会員さんと一緒にパンチを打ち続けるのだ。
 会員さんも結構バテバテという様子だった。

 シャドーの後はミット打ち、そしてスパーリング(と言っても実際には当てないマスボクシング)。
 宮田トレーナーは、これらの練習全てにマンツーマンで対応する。会員さんよりも運動量が多く、一人が終わると次の会員さんへと間断なく動き続ける。

 「いや〜、こんなに動くトレーナーを見るのは初めてですよ」私は一緒にジムを切り盛りしているという宮田さんの奥さんに話しかけた。
 「好きなんですよ。動くのが――」ニコニコしながら、奥さんが明るく答えてくれた。

 ひと通りのレッスンを終え、宮田さんと我々は、ジムでよく利用しているという焼き鳥専門の居酒屋へ移動した。

 1970年、武蔵野市生まれで葉山育ちの宮田さんは、子供の頃から格闘技が大好きだった。
 小学校、中学校時代から空手やキックボクシングの道場に通い、高校も横浜高校へ空手の推薦で入学した。
 通常であれば空手部へ入部することが原則となるのだが、クラスの担任だった海藤先生(名門・横浜高校ボクシング部の元監督)が、ボクシング部への入部を強く勧めてくれた事、また自信の意思とによって、宮田さんのボクシング人生がスタートすることになったのだ。

 「礼儀や上下関係は厳しかったですねえ・・・。挨拶はもちろん、先輩達の練習着の洗濯が日課でした」

 そんな体育会系の中で揉まれた宮田さんは、2年生になるとインターハイでライトウェルター級準優勝。国体の団体戦で準優勝をおさめる等の活躍をした。
 団体戦では、「戦士と語る」シリーズでも登場していただいた松本好司氏や、葛西裕一氏らと同じチームでの出場だった。
 「すごい年代に活躍していたんですね」この年代の選手たちは、プロ転向後も数々のタイトルホルダーとなっている。

 宮田さんは法政大学ボクシング部へ進学し、全日本3位まで上り詰め、61戦41勝20敗の戦績を残した。
 当時の後輩には、現・ワールドスポーツジムの斎田達也会長や、クレイジー・キム氏などがいた。

 しかし、宮田さんはプロへの道は歩まず、就職して社会人となった。飲食関係、営業、その他の職を経験しながらも、都度近くのボクシングジムへ通う生活が続いた。
 十番TYジムへ通っていた頃、週2回程トレーナーをするようになり、やがて専属のトレーナーとして指導に従事するようになった。

 ところが、十番TYジムが閉鎖することになってしまい、それまで指導していた練習生・会員さん達の強い要望で、2003年9月にジム創設を決意したのだ。
 「新田ジムのオープンと同じ年ですね!」新たな親近感が沸いた。

 六本木という土地柄、選手を目指す練習生はほとんど来ない。会社勤めのサラリーマンやビジネスマンが中心なので、宮田さんは今のところプロ協会への加盟も考えていない。



 「楽しんでもらえれば、それでいいと思っているんです。ボクシングを通じて、運動不足解消やダイエットなど、それぞれの目的をかなえてゆきたい・・・」

 私はこの言葉を聞いて、宮田さんに対してより親近感を抱いた。「新田ジムの理念と同じです!」
 新田ジムはプロのジムである以上、私は更に「選手の目的をかなえてゆく」こともおこなっているが、一般会員さんにも、ボクシングを通じてそれぞれの目的をかなえて欲しいと考えている。

 私達は意気投合し、楽しい時間を過ごすことが出来た。しかし、それにしても宮田さんほど体を使いまくって指導に当たるトレーナーはちょっとお目にかかったことがない・・・。
 休日は祝祭日のみとのこと。時間がある時は奥さんや会員さんと食事に出かけることが多いという。
 「他に趣味があるわけでもないですしね。しいて言えば運動と風呂とサウナくらいですかね・・・」

 柔和な笑顔でそう話す「六本木ファイトクラブ」代表・宮田豊三トレーナーは、今日も会員さんよりも沢山動いて、汗だくになりながら指導を楽しんでいる。




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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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