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「お芝居の話をしている時よりも、ボクシングの話をしている時の方が、何だか生き生きしている感じですね」
「いえいえ、お芝居の話も好きですよ・・・」
と言いながらはにかむこの俳優は、生粋のボクシングファンのひとりとして、私をほんわかと温かい気持ちにさせてくれた。

先月の“戦士”、TVディレクターの大塚恭司さんから、「この人も、もの凄い“ボクシングおたく”ですよ」と、ご紹介いただいた今月の“戦士”は、知る人ぞ知る名脇役、酒井敏也さんだ。
「顔を見れば、大抵の人は知っていると思いますよ」と、大塚さんがおっしゃっていた通り、ネットで検索して見つけた写真をプリントアウトして周囲の人間に見せると、「あ〜、知ってる、知ってる! よく出てるよ!」と、知名度はかなりのものだった。
そんな著名人にも拘わらず、酒井さんはニコニコしながら初対面の挨拶に応じてくれた。
この日はお芝居の稽古があるということで、都内の某稽古場へお邪魔し、待ち時間を利用していろいろとお話を聞かせていただいた。
1月末に青山劇場で公開されるというこのお芝居は、ほとんどの役者さんが若手ばかりで、ひとりだけ年配(?)の酒井さんは最年長の49歳。稽古場の雰囲気も若い人たち中心に形成されていた。
「いや〜、若い人達と上手くコミュニケーションを取るのは難しいですね・・・」
苦笑いしながらそう語る酒井さんは、この稽古場においては、ひとりだけ違う空気を漂わせていた。
岐阜県で製陶業を営んでいた両親のもとに生まれた。小さい頃はとても大人しい子供だった。
「いや、本当に大人しい子供でした・・・」
中学時代は、「補欠でしたけど・・・」というバレー部に所属し、卒業後は工業高校の窯業(ようぎょう)科へ進学した。
高校では卓球部に入部したのだが、男女で楽しそうにトランプをしている演劇部の部室が気になっているうちに、気がつくと部活を変えて芝居の道への第一歩を踏み出していた。
ボクシングとの出会いは、「今夜は世界戦があるでよ・・・」と、父や祖父がよくテレビでボクシングを観戦していた頃にさかのぼる。
ファイティング原田に始まり、小学5年生で大場政夫の逆転KO勝ちに身を震わせ、次は輪島功一vs柳斉斗の第2戦に感動を受けた。具志堅用高の追っかけもやった。
そうして自他共に認める“ボクシングおたく”氏が生まれたのだ。
酒井さんの趣味は粘土細工とのことだが、「今年使った年賀状です」と言って、見せていただいた絵ハガキには、ご自身で作成した、今年の干支である牛をあしらった作品がデザインされていた。それは「まさに芸術家の作品」という感じの、本格的なものだった。
製陶業という家業の影響もあるのだろうか、風貌や雰囲気からも、“芸術家”という印象の人だ――。
学校を卒業し、一時は自動車会社に就職した酒井さんだったが、演出家・つかこうへい氏の芝居に魅せられ、俳優の道を志すようになった。半年後に予定されていたオーディションを目指して事務所に直接電話をかけ、「蒲田行進曲」の脇役に採用された。“つかこうへいの秘蔵っ子”として、酒井敏也の活躍が始まった。
その後、数々の有名なテレビドラマや映画、舞台に出演し、根強いファンを獲得している。

さて、この日の稽古の出番が来たので現場を見学させてもらった。「ひとりだけ違う空気を漂わせていた」という印象は、むしろ芝居全体をリードしている存在のように感じられた。
顔つきも全然違って見えた。セリフを言うシーンでは、若い役者さん達とはひと味違う貫録さえ感じられた。
「これがプロの役者なんだ――」私は素人ながら、そんな勝手な納得をしていた。

少しボクシングの話題にも触れよう。
「先月お話させていただいた大塚恭司さんのように、自分でボクシングをやりたいとは思わなかったんですか?」と質問すると、「人と戦うのは嫌だから、自分ではしません・・・」と、お茶目な感じではにかんだ。
「でも、ボクシングのおたくランキングでは、結構上位に入ると思います・・・」酒井さんの目が、だんだん生き生きとしてきた。
「大きな自慢が二つありまして、一つは日本王座3回級制覇の湯場忠志さん(都城レオ)が新人王を獲得した時、試合後に僕の隣に座ったんですよ! それともう一つは、元WBC世界Sフライ級王者の川島郭志さんの公開スパーリングを見学に行った時に、僕もテレビに映ったんです・・・」
自他共に認める“おたくの上位ランカー”。恐るべし・・・

2週間後、青山劇場でのお芝居を終えた酒井さんと、改めて食事の時間を持っていただくことになった。
劇場の入場口で待っていると、毛糸の帽子を目深にかぶり、一見どうみても一般のお客さんといった雰囲気の酒井さんが出て来た。
そこへ酒井さんを見つけた母娘がすかさず駆け寄り、「ずっとファンなんです!握手して下さい」と、大はしゃぎで手を差し出して来た。
酒井さんは丁寧に握手に応じ、少し会話を交わすと、母娘は「ありがとうございました!頑張って下さいね!」と、嬉しそうに立ち去って行った。
「ん〜、素敵だ――」やっぱり“知る人ぞ知る”人気俳優なのだ。お茶目な“ボクシングおたく”氏の顔とは違う、プロの姿を垣間見た気がした。
我々は、酒井さんが最近見つけたという渋谷の小洒落たカフェレストランに入り、軽くビールを一杯飲みながら雑談を楽しんだ。
「高校時代、お芝居の後の達成感が気持ち良かったんですよね。今はその時の感覚はなかなかありませんけど・・・、ボクシングにはそれと似たものを感じるんです」
酒井さんがボクシングに魅せられているのも、お芝居の道を歩んでいるのも、そんな共通点があるからなのだ。
「チャンピオンカーニバルは、芝居で言えば紀伊国屋ホールでのお芝居みたいな感じです。ホントにステータスなんです」酒井さんの目は、子供のように生き生きと輝いていた。
「後楽園ホールはリングサイドのパイプ椅子より、ひな壇のベンチ椅子の方が見やすいんですよね。レフェリーでは浦谷さんが大好きなんです。2ショットで写メールを撮影してもらいました!」と、そこにいたのは名脇役の酒井敏也ではなく、“ボクシングおたくの上位ランカー”だった。
「お芝居の話をしている時よりも、ボクシングの話をしている時の方が、何だか生き生きしている感じですね」
「いえいえ、お芝居の話も好きですよ・・・」
と言いながらはにかむこの俳優は、生粋のボクシングファンのひとりとして、私をほんわかと温かい気持ちにさせてくれた。

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