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「ボクシングってのはほんと凄いですよね。拳闘は人類最古のコミュニケーションなんです。だから新田さんのミットを持ちたい・・・」
新宿ゴールデン街の“夢二”で、この男がつぶやいたひと言は、真っ直ぐに私の胸に突き刺さって来た。多くの顔を持つこの男の中で、ボクシングという“魂の営み”の占める割合が、とてつもなく大きなものだということを改めて感じた。
前回ご登場いただいた、ヨネクラジムOBの元日本ランカー臼井知史さんから紹介された今月の“戦士”は、ボクシング界、芸能界と、縦横無尽に才能を発揮して活躍する梅津正彦さんだ。
梅津さんからいただいた名刺の肩書は、「“勝たせ屋”コーチ&アクション・ディレクター」という、独特のものだった。
彼はボクシングのトレーナーとして数々の実績をあげつつ、ボクシング関係の映画やドラマの世界でも、特命係長只野仁をはじめ、アクション・ディレクターとして多くの有名作品を手掛けている、才能あふれる人物なのだ。

西澤ヨシノリ(ヨネクラ=第45代日本ミドル級・第10代東洋太平洋Sミドル級王者)、杉田竜平(畑中=第35代日本Sフェザー級王者)、大曲輝斉(ヨネクラ=第44代日本ウェルター級王者)他、梅津さんが手がけた選手はビッグネームがずらりと顔を並べる。
またアクション・ディレクターとして、ボクシング指導をした作品も、北野武監督映画「KIDS RETURN」、NHKドラマ「乙女のパンチ」、日本テレビ「1ポンドの福音」、TBS「内藤大助物語」と、メジャー作品が大変多い。
「一体この人は何者なんだ――」それが私の梅津氏に対する第一印象だった。
昭和43年12月に品川で産声を上げ、3歳〜18歳までは山形県の酒田(NHKドラマ「おしん」の故郷だそうだ)で育った。
幼少時代に父上を亡くしたことから、「がんばれ元気」に感情移入するようになったのが、ボクシングとの最初の関わりだった。
「親孝行したかったので・・・」と、地元で一番の進学校へ入学し、1年生の時に体操でインターハイ出場するも退部。そこから40km離れた「つるおか藤ジム」へ通い始めた。
全国大会出場権を手にしたものの、学校に正式な部が存在しなかったこと、赤点保持者だったということなどの理由からか、出場許可が出ずに大会出場は逃してしまった。
そして卒業後、オリンピックを目指して練習に励んだが、ノーコンテストや、目のケガ等で、思い通りの実績を残すことが出来なかった。
「僕の話なんてどうでもいいじゃないですか! もっと面白い話は沢山ありますよ!」と、照れ臭そうに笑う梅津氏にとっては、自分よりも見てきた選手や映画への関心の方が高いようなのである。
他を照らすことで、自分が照らされる――。彼の“生き方のスタンス”を垣間見たような気がした。
大学に入学後、梅津氏は映画監督を目指し、「松竹シナリオ研究所」で力を付けることになった。これが、アクション・ディレクターへの第一歩となったわけである。
1992年には山田大樹監督の「七人のおたく」で助監督を務めるなど、映像の世界で着実に頭角を現してきた。
ところが、仕事の傍らで健康の為にアベジムに通っていたことが、またしても彼に転機を与えることになった。
「健康の為」だったはずが、後のスーパーヒーロー・高橋ナオトのスパーリングパートナーを務めることになり、二人は親しい関係を築いていった。
やがて高橋ナオトが引退してJBスポーツジムを立ち上げた際、副会長兼トレーナーとして活躍し、ボクシングのトレーナーとしての顔を持つようになったのである。
その後、慶応大学の社会人コースに入学。学生として過ごす傍らで、同大学・高校のボクシング部特別コーチを引き受けることになった。
梅津氏は「練習場や道具は魂だから」と、掃除、片付けを中心に人間教育から始めた。そして、梅津氏自身が相手の研究を夜中までおこない、ひとりひとり面会をして心構えや対策を話した。
「はっきりモノを言うと嫌う選手もいるけど、性分なので」と、何でも腹を割って話すようにした。
その結果、神奈川県の名門・武相高校や横浜高校などの強豪を押しのけて、県団体優勝を飾った。梅津氏は、ボクシングが“魂の営み”であることを学生達に伝え、見事に結果へと結びつけたのだ。
梅津氏が「兄貴」と慕う元世界王者の畑中清詞氏(現・畑中ジム会長)には、「結局は、お前ら指導者達の愛情が一番やったんよ」と言われ、涙が出そうになったという。
次々と転身を遂げる梅津氏は、また映像の世界へ戻った。
「一ポンドの福音」、「乙女のパンチ」、「内藤大介物語」など、有名作品における役者のボクシング指導が主な仕事だが、梅津氏は「ボクシングを世の中に出す時は、絶対妥協しない」と語る。
「『創作の世界だから』と、それを認める人、認めない人もいる。でも、ボクシングの素晴らしさを一般の人に分かってもらいたい」梅津氏は、「それでダメならクビにしてくれ」という覚悟で、ボクシングに誇りを持って仕事に取り組んでいる。
「北野監督はダントツで理解してくれました。懐は大きく、最後は全て自分色にしてしまう凄い人です」。1996年に「KID RETURN」でボクシング指導を務めた梅津氏の仕事ぶりは、一流の人間にはしっかりと評価されている。
さて、ボクシングの方もまだまだこれから――。私も対戦したことのある、元ソウル五輪日本代表選手で、日本バンタム級王者の瀬川(川益)説男(ヨネクラ)から、「コーチして欲しい」と依頼があり個人トレーナーを務めるようになった。
瀬川(川益)との練習を見ていた米倉会長から、ヨネクラジムのトレーナーとしてのお誘いを受け、正式にトレーナーとして就任した。
前出の畑中会長からも杉田竜平のトレーナーを依頼される。畑中会長が上京し、米倉会長に「梅津を貸して下さい!」と頼み込み、名古屋で杉田竜平を見るようになった。

何しろ、多方面で目覚ましい活躍をする梅津氏だが、それはやはり人間としての確固たる信念を持っているからなのだろう。梅津氏は、「結果が出るまでの誤解も含め、辛い時もあるけれど、ひとりを勝たせる為に、周りの全員を敵に回してもいい」とさえ言いきる。
「“自分”を勝たせる方法は知らないけれど、役者、選手を勝たせることは出来る。『あの時は解らなかったけど、今やっと(言われたことが)解るようになりました』という言葉を聞くと、トレーナーやってて本当に良かったなって思うんですよ」と、梅津氏の顔がほころぶ。
楽しさを取るか、結果を取るか――「結果があって初めて楽しいと思えるはず。笑うことが出来る。だから練習ではいっぱい泣いておいて良い」梅津氏のトレーナーとしての哲学がそこにはあった。「選手が負けた時は、黙ってそばにいるんです。勝った時は放っておいて大丈夫だから」
「一体この人は何者なんだ――」という私の疑問が少しずつ解き明かされてきた。
「本当は、大切なのは結果だけじゃないのは当たり前なんです。でもそれはともすれば、マスターベーションに過ぎなくなる。本気で、真剣に目指さなきゃ駄目。エベレストの次に高い山を知っていますか? 富士山の次に高い山は? チャンピオンとはそういうものなんです。トレーナーは、選手を勝たせなきゃ――負けたい選手なんていないのだから」
梅津氏は、厳しいトレーニングを課して、仮に一か月間恨まれ続けても、選手をチャンピオンにさせる道を選ぶ。「絶対勝たせる。試合で笑いたいだろ!」と、叱咤激励する。
「『リングで戦うのは一人だけれど、ボクシングは実は個人競技じゃない』って、分かっているやつが世界王者になるんだと思いますよ。周りの人間の“想い”をどれだけ力に出来るか・・・。人間の想念って絶対あるんですよ!!」
梅津氏が語ったこの言葉に、私は深く感銘を受けた。

取材の間、ひっきりなしに、「乙女のパンチ」主演のしずちゃんからメールが入ったり、「特命係長 只野仁」主演の高橋克典さんからの電話が鳴る。
現在、梅津氏は高橋克典氏の個人トレーナーを務めている。「道は違っていても、僕がどこかで手を抜いていたり、心でも同じステージにいないと、大切な友は去っていくと思うんです。だから何をするのも精一杯やろうと思うんです」
梅津氏自身もまた、個人競技ではない人生を生きているのだ。
「ボクシングってのは凄い。拳は、人類最古のコミュニケーションなんです。だから新田さんのミットを持ちたい・・・」
新宿ゴールデン街の“夢二”で、梅津氏がつぶやいたひと言は、真っ直ぐに私の胸に突き刺さって来た。
「一体この人は何者なんだ――」
私の疑問はもうすっかりと晴れてきていた。
1週間後、新田ジムに梅津氏が訪れ、私のミットを受けてくれた。
私は日ごろ運動をしていないので、軽く手合わせをしただけだったが、これまで多くのチャンピオン達のミットを受けてきた深みと力強さを感じた。
要求するパンチ、間合い、投げかける言葉、どれをとっても一週間前の語らいを理解するのに十分なものだった。


とても楽しい時間を過ごすことが出来た。ありがとう、梅津さん・・・

★梅津さんがアクションコーディネーターを勤めた作品
☆高橋克典主演映画 特命係長只野仁〜最後の劇場版〜
(こちらは竹田氏と共同コーディネート)
12月6日より松竹系にて全国ロードショー公開
☆また、来年、1月17日より全国東映系にて公開予定
「ふうけもん」
(中村雅俊、浅野ゆう子、哀川翔、中村玉緒、他)
☆ボクシング指導作品、NHKドラマ“乙女のパンチ”のDVDが1
1月26日発売開始です 。
★11/29(土)テレ朝
☆13:59-15:55「特命係長只野仁 劇場版公開まであとわずか!」
にて、ボクシングのトレーニング風景等をちょっぴり公開!
同日☆26:25-28:35「朝まで只野仁」に
て過去の人気シ−ンを一挙再放送!です。

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