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「自分はボクシングでは勝てなかった――。でも、今は人に夢を与えられる立場にいる。ボクシングを始めるきっかけになった“漫画”で、誰かの人生を変えてやりたい。自分がそうだったように・・・」
戦うリングは違えども、その思いは“戦士”と呼ぶにふさわしい。理不尽な現実に負けまいと力強く語る姿には、はっきりと“戦士”の影が写し出されていた。
日本人初の世界ミドル級王者・竹原慎二さんに紹介していただいた今月の“戦士”は、元プロボクサーで、現在は小学館「ビッグコミック」の副編集長として活躍中の木暮義隆さんだ。
残暑厳しい都内の神保町にある小学館本社ビルに木暮氏を訪ねた。今月も写心家・山口裕朗氏が一緒だ。
「どうも、こんにちは! 木暮です!」エレベーターでビルの6階へ上がると、すぐに木暮氏が出迎えてくれた。初対面だったが、とても気さくで親しみやすい雰囲気の人だ。
まずは編集部の接客用?の机でお茶をご馳走になりながら、いろいろお話を聞かせていただくことになった。
竹原さんとは、世界挑戦前に取材をして以来のお付き合いとのこと。引退後には、少年サンデーで「竹原慎二物語」を編集するなど、親しい関係が長く続いているという。
「有名なボクサーの紹介が続いて来て、いきなり俺なんかでいいんですか?」と恐縮されていたが、「戦士と語る」でご紹介いただいているのは、「ボクシングを愛している人」、「気心の知れた人」という方々なので、木暮氏はまさにピッタリの方だった。

1970年2月14日のバレンタインデーに、岡山県倉敷市で誕生し、千葉県へ引っ越した後、父親の仕事の都合でブラジル移り住んだ。
主に日本人社会での生活ではあったが、小学6年から中学2年までの約3年間を過ごし、ブラジルの母国語であるポルトガル語も、日常会話程度は話せるようになって戻って来た。
「まあ、日本の大学でポルトガル語の授業を聴講したんですけど、ついてゆけずにやめてしまった程度のものですけどね。ハハハ・・・」と、木暮氏は恥ずかしそうに笑っていた。
ブラジルに引っ越した日本人の子供達は、皆それぞれ日本の漫画本を持ちこんでいた。木暮氏が持ち込んだ漫画本の中のひとつが、「あしたのジョー」の単行本だった。
「何度も何度も読み返しましたね。いつかボクサーになるって、ずっと思ってました」ボクシングの世界に近づき始めた頃の話を、懐かしそうに話してくれた。
帰国後、早稲田実業に進学した木暮氏だったが、そこにボクシング部は無く、やむを得ず少林寺拳法部へ入部した。
都大会優勝、全国大会出場と活躍し、やがて早稲田大学へ進学した。そして在学中に沼田ジムに入門し、いよいよボクシングの世界へ足を踏み入れたのだった。
「続きはご飯でも食べながら、ゆっくりやりましょうか?」話が盛り上がって来たところで、我々は落ち着いてじっくり話が出来る場所へ移動することになった。
木暮氏のお勧めで、我々は小学館ビル近くの「三幸園」という焼肉屋さんへ入った。「ここは安部譲二さんとよく宴会をするお店なんですよ」――ボクシング好きで有名な小説家・安部譲二さんとは、小学館入社2年目から8年間に渡り、ボクシングの連載コラムをお願いしてきた関係だった。

さて話は戻るが、沼田ジムに入門した木暮氏は、早稲田大学在学中にプロデビュー戦を迎えることになった。
木暮氏の体格は、本来スーパーバンタム級かフェザー級位だったが、スーパーフェザー級での試合に挑むことになった。
結局、計量では900グラムもリミットをアンダーし、体格差のある相手に勝ち星を持って行かれてしまった。
「ん〜、ちょっと相手大きかったな・・・」沼田会長の言葉に、木暮氏は涙目だった。
続く第2戦は、契約56kgでの試合だった。これなら体重はバッチリ。第1ラウンドのゴングと共に、颯爽とリングに飛び出して行った木暮氏だったが、何か様子がおかしい。
第1ラウンドが終わって木暮氏がコーナーに戻ると、「ん〜、ゴメン木暮。相手、サウスポーだったな・・・」と、沼田会長がボソッと耳元で呟いた。木暮氏は再び涙目だった。
「でも沼田会長は僕の師匠です! 人格は素晴らしい方なんです・・・」涙目で語る木暮氏だった。
そんな沼田会長だったが、木暮氏が小学館への就職が決まった時には、「そうだよ!早稲田へ行ってんだから、いい会社入んなきゃ!」と、本当に喜んでくれたという。
「ま、俺にもっと才能があれば、また違ったこと言ってくれたかも知れないですけどね・・・」何はともあれ、木暮氏はボクサー生活にピリオドを打ち、大学を卒業して小学館へ入社をした。
最初の仕事は「少年サンデー」の編集部だった。漫画の編集というのは、作家との打ち合わせから、原稿の直しの指示、等々をおこなってゆく仕事だという。
新入社員の頃から、ボクサーの取材をさせてもらうことが出来、薬師寺保栄の世界戦前にはL.Aキャンプにも同行して、「薬師寺保栄物語」という読み切り漫画の編集を手掛けた。
その後、「川島郭志物語」、「飯田覚士物語」、そして先月の“戦士”「竹原慎二物語」と、元世界王者達の読み切り漫画を手掛けていったのだ。

「取材に同行してお付き合いしているうちに、だんだん仲良くなって、その後もお付き合いさせてもらってるんですよ」中でも竹原氏とは特別親しい関係のようだった。前の職場「ヤングサンデー」(平成20年7月に休刊)で、平成18年12月から竹原氏の原案するボクシング漫画『タナトス 〜むしけらの拳〜』(作画/落合裕介)を立ち上げている。まさに公私に渡るパートナーのようだ。
「4回戦で勝てなかったけど、今は世界王者達と付き合えるようになりました。今は人に夢を与えられる立場にいる。自分が始めた漫画で、誰かの人生を変えてやりたい。自分がそうだったように・・・」木暮氏は、今の仕事に誇りを持っているのだと感じた。
野茂英雄の活躍と共に人気が出た『MAJOR』という野球漫画が、現在早稲田大学で活躍中の斉藤佑樹投手の野球を始めるきっかけの一つになったらしい。「漫画の編集って凄い仕事だって思ったんです!」木暮氏の目が輝いていた。
娯楽や情報収集の主流が、ゲームや携帯端末へと移り、人々の漫画離れが進む昨今、木暮氏のような編集者に是非頑張っていただきたいと思った。
「少年サンデー」から「ヤングサンデー」、そして今年の7月から「ビックコミック」の編集へと異動になった木暮氏だが、仕事の上でいろいろな葛藤もあるという。
それでも、「やったこと、挑戦したことは“宝”であり“財産”です。フィクション作りの現場にいることは自分の誇りなんです。ここにいる意味があるんです」と熱く語ってくれた。
私も「あしたのジョー」に影響を受けてボクシングの世界に入った人間の一人である。たかが漫画、されど漫画――。
木暮氏のますますのご活躍をお祈りします。
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