その64 渡嘉敷勝男会長


写心 山口裕朗



 「40歳まで芸能界で頑張ろう。そしたらジムを持ってチャンピオンを育てよう――」人気タレントとしてブラウン管の中で活躍していた男の胸に、そんな思いが詰まっていたことを、どれだけの人間が知っていただろうか。
 「ボクシングに感謝しているから・・・」――ズシリと重い言葉だった。

 先月の“戦士”=元・日本ミドル級チャンピオンの大和田正春氏から紹介されたのは、“トカちゃん”の愛称でお馴染みの、元WBA世界ライトフライ級チャンピオン渡嘉敷勝男さん(現・渡嘉敷ジム会長)だ。

 何とかお時間を取っていただき、渡嘉敷ジムを訪問すると、選手や練習生に指導する“渡嘉敷会長”がそこにいた。
 私にとっては、タレントとして活躍している“トカちゃん”の方が印象に強く、ジム会長としてのイメージが掴みづらかったのだが、その姿は紛れもなくボクシングジムの会長さんだった。

 夜9時にジムを閉めた後、近くの焼き鳥屋へ連れて行っていただいた。“写心家”山口裕朗氏も少し遅れて到着し、「今日はよろしくお願いします」と、盃を合わせた。

 「ボクサーとして世界の頂点を極めながら、引退後、第2の人生である芸能界でも一から地位を築いていかれた姿を見て、とても尊敬していました」と、私はずっと胸に抱いていた思いを打ち明けた。
 この夜は渡嘉敷会長のその“根性”について、何かを感じ取ることが出来たらいいなと思っていた。

 渡嘉敷会長は沖縄で生まれ、生後間もなく転居し兵庫県宝塚市で育った。浪速工業高校(現・星翔高等学校)時代は喧嘩に明け暮れる札付きの“悪ガキ”だった。
 「マンガの主人公になり切っちゃうんだよね。“硬派・銀次郎”なんて、『これって俺のことじゃん』って思ったよ」
 “硬派・銀次郎”とは、本宮ひろし氏が描いた漫画で、勉強は苦手でも、スポーツ万能、喧嘩は誰にも負けない、そして 決して多くを語らないが、その純粋な生き様から出会った様々な人々を虜にしてしまう天涯孤独の主人公・山崎銀次郎の学生生活を描いた青春ストーリーだ。
 「ああ、“硬派・銀次郎”は僕も大好きでした!」グッと親近感が湧いてきた。

 漫画さながら、渡嘉敷少年は地域の番長や不良連中ら数十人を一人で敵に回しながら、その迫力で黙らせてしまったり、ヤクザの親分の息子がたむろする喫茶店に一人で乗り込んで、平気でコーヒーをすすって来るなど、数々の伝説を作ってきた。
 「ま、勝てるわけないんだけど、ハッタリで乗り切ってきたよ。ハハハ!」いやいや、ハッタリでもなかなか出来ることではございません。

 そんな渡嘉敷会長がボクシングを始めようと思ったきっかけは、世界王座13度防衛の日本記録を持つ“カンムリワシ”具志堅用高(現・白井具志堅ジム会長)の存在だった。
 具志堅用高の世界初防衛戦をテレビで見た渡嘉敷少年は、顔を腫らしながらもダウンを跳ね返して判定で防衛を果たした具志堅用高の雄姿に胸が熱くなった。
 「コイツは凄い! でも、同じ体格なんだからオレの方が強いだろう」渡嘉敷少年は、「具志堅用高を倒すこと」を人生の目標と定めた。

 思い立ったら即実行――渡嘉敷少年は、その翌朝5時から走り始めた。そして学校を退学し、半年間で100万円を貯めて東京へ旅立った。
 「せめて、ここから近い大阪にいてくれ」という家族の思いも振り切り、具志堅用高のいる東京にこだわった。“明確な目標があれば、自然と行動は決まってくる”ということを見事に体現している。

 新宿で喫茶店の仕事に就いた渡嘉敷少年は、近くにあった協栄ジムに入門した。ジムには具志堅用高の写真が掲げられているではないか。同一ジム所属選手同士の世界戦が、通常は認められていないことなど露知らず、渡嘉敷少年は大喜びだった。

 協栄ジムに入門し、とにかく練習量だけは誰にも負けないことを心がけた。毎朝15kmのランニングと4時間のジムワーク。目標はあくまでも具志堅用高を倒すことだからだ。そしてある日、その目標である世界王者・具志堅用高と対面することになる。
 皆がひれ伏して頭を下げる中、渡嘉敷少年はわざと顔を世界王者の間近に近づけて「こんにちは!」と、自分をアピールした。
 他のジムから呼ばれて来たスパーリングパートナー達を、次から次へと倒してゆく世界王者を目の当たりにし、「怖いだろ」とトレーナーが言ったが、「全然怖くないです」と言い放った。
 「学校をやめ、田舎を捨て、酒、タバコ、シンナー、全てを捨てて来たんだ!」渡嘉敷勝男は、“カンムリワシ”のスパーリングパートナーを買って出た。
 無謀な挑戦ではあったが、必死にパンチを放ち続けた。しかし、忘れもしない世界王者の7発目の左ストレートがまともに顔面に直撃した。鼻血が吹き出し、鼻骨が砕けた――
 それでも、渡嘉敷勝男は最後まで倒れなかった。全てのパートナーがバタバタと倒れてゆく中、一人だけ最後まで立ち続けたのだ。
 むしろ、たった一発だけだが、当たったパンチに満足感で一杯だった。「根っからポジティブなんだよね」このプラス思考も注目すべき点である。
 「こいつ根性あるよ。スパーリングパートナーに使おうよ」と言う“カンムリワシ”の声を聞きながら、「あんたが俺のパートナーだよ」と、心の中で呟いていた。ここが普通の人間と違うところなのだ。

 具志堅用高を倒す為に上京して来たにも拘わらず、同じジム所属の選手同士の世界戦が通常認められていないことを知ったのは、何と入門2年後のことだった。全日本新人王を獲得し、ランキングも上昇中だったが、さすがに落ち込んだ。
 しかし、これまで可愛がってくれてきたジムの人々への思いもあり、渡嘉敷勝男の夢は、その後に具志堅用高を破って王座を奪っていったメキシコのペドロ・フローレスを倒すことへチェンジしていった。
 具志堅用高が王座を失った同じ年、そのペドロ・フローレスを破って世界王者となった韓国の金煥珍を15回判定に下し、渡嘉敷勝男はWBA世界ライトフライ級チャンピオンとなった。
 「具志堅先輩を倒す目的は果たせなかったけど、世界一のお手本がいつも身近にいたから、ここまで来れたんだと思う。協栄でなければ世界チャンピオンにはなれなかったんじゃないかな・・・」渡嘉敷会長は遠くを見つめた。

 「食べながらやろうよ!」熱く語りながらも、時折、渡嘉敷会長は我々に気遣ってそう言って下さった。実はそんな人柄も渡嘉敷勝男を築きあげてきた要因の一つなんだろうな・・・そう思った。



 その後、5度の王座防衛に成功し、6度目の防衛戦でメキシコのルぺ・マデラに敗れて王座を陥落。再戦でも完敗を喫してしまう。
 翌年、後に15回の王座防衛を果たすWBC世界ライトフライ級王者、張正九に敵地韓国で挑戦するが、9回TKO負けを喫してしまった。
 この試合は、第1ラウンドに生まれて初めてのダウンを喫したものの、7、8、9ラウンドと相手のスタミナ切れを狙っていたところで、いきなりレフェリーストップとなってしまった。
 張正九が、「ストップがなければオレは負けていた。あいつは怪物だ」と語った程、チャンピオンを苦しめた試合だった。

 しかし、この試合を最後に渡嘉敷勝男は引退を決意した。信頼していたコンディショニングトレーナーが、「幸せにしなくちゃならない人がいるんだろう」と言ったことがきっかけだった。
 ビデオで見た張正九戦では、自分で思っていたよりもかなりパンチをもらっていた。「一人の人生じゃない。彼女を幸せにするんだ」今の奥さんの存在が決め手だった。
 通算戦績は19勝(4KO)4敗2分――熱いボクシング生活にピリオドを打った。

 引退後、第2の人生に悩む中、テレビ出演の話が舞い込んできた。「意外に面白い・・・」そう思ったトカちゃんは、「よし、40歳まで芸能界で頑張ろう。そしたらジムを持ってチャンピオンを育てよう――」そう決心した。
 「ボクシングに感謝しているから」――ズシリと重い言葉だった。やっぱり“ボクシング人”だった。

 そして2000年の秋、芸能界で確固たる地位を築いたトカちゃんは、決意どおりに40歳で渡嘉敷ボクシングジムをオープンした。「今はほとんどジム中心の生活。後援会に支えられてますよ。ジムを持ってから、人のありがたみが分かるようになったね・・・」
 元・東洋太平洋ライトフライ級王者の山口真吾他、現在直接指導している数名の選手が引退するまでは、トレーナーとして頑張り、その後はプロモーター業に専念しようと考えている。

 将来の夢を尋ねると、「まあ、いろいろあるけど、最大の夢は女房に『あなたと一緒にいて良かったわ』と言わせることかな!」そう言って笑った。
 マンガのように熱く、生粋の“ボクシング人”で、人間味のある、根性の人――これからも皆に愛される“トカちゃん”でいて下さい。今回はありがとうございました。





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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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