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「五体満足でリングを降りることの出来る選手を作りたい――ボクシングは“ルールのあるケンカ”だから、『一生懸命頑張ろう』って言いたいんです」
網膜剥離を患って引退した元ミドル級王者は、この“ルールのあるケンカ”を愛し、だからこそ「怪我のない五体満足な体で選手たちを引退させたい」と訴えている。

41ジム磯目会長から紹介された今月の“戦士”は、大和田正春氏――。“浪速のロッキー”こと赤井英和を引退に追い込んだ選手として有名な人物だ。
埼玉県狭山市の多寿満(たずま)ジム前に到着した我々を出迎えてくれた大和田氏の体は、現役時代よりもかなりボリュームアップしていた。
小さな螺旋(らせん)階段を起用に上り、古びた建物の2階にあるジムへ案内してくれた。
大和田氏は現在、多寿満ジムのトレーナーとして後進の指導にあたっている。ジムから2kmくらい離れた場所で、奥さんと二人で暮らしている。
大和田氏は、“ロッキーを倒した男”という話題性だけではなく、日本ミドル級チャンピオンとして5度の防衛を果たした優れたボクサーだった。
在日米軍兵士の父と日本人の母との間に生まれ、伝説の名王者・マービン・ハグラーと風貌が似ていた為に“和製ハグラー”と呼ばれた彼は、1987年にOPBF東洋太平洋ミドル級タイトルにも挑戦している。
この試合は惜しくも7ラウンドTKO負けを喫してしまうが、その3か月後には日本ミドル級タイトルの5度目の防衛を果たした。
その防衛戦の後、残念ながら網膜剥離の為に引退を余儀なくされた。通算戦績は、28戦16勝(14KO)11敗1分け――。高いKO率が示す通りパンチ力は素晴らしかったが、その反面に顎が打たれ弱く、常にスリリングな試合を戦っていた。
大和田氏の試合は何度か見させていただいているが、常に倒し倒されの試合だったという印象が今も残っている。
今回、大和田氏をご紹介していただいた磯目会長とは、角海老宝石時代からの友人だそうだ。磯目会長が41ジムを開設した際のオープンパーティで、大和田氏は狭山市から神奈川県の相模原市まで駆けつけて祝福したという。
ところが大和田氏は、「現役時代、自分以外はみんな敵だと思っていた・・・」と言う。「スパーリングでも手抜きをしたことはない。誰とやる時も、いつも倒そうと思ってやっていた」確かに、本来ボクサーとはそのような生き物なのだ。
余談だが、1999年以来少しずつ友好関係を広げてきた「戦士と語る」だが、今回は多寿満ジムで意外な人物と再会した。
「今日、新田さんが来るって言ったら、『是非会いたい』って言ってたんですよ」と大和田氏が紹介してくれたのは、なんと私が18年前に試合で戦った桜井靖高氏だった。
「わあ、桜井さん!ご無沙汰しています!」「いやあ、ホントに久し振りだねえ!」現役時代、多寿満ジムに所属していた桜井さんは、息子さんがキッズボクシングの大会に出場するということで、その指導の為にまたジムに通い始めていた。
本当に懐かしかった。「現役時代はみんな敵」であっても、引退すれば“戦友”のような関係になれるのもボクシングの魅力の一つだと思う。
さて話を戻そう。私は大和田氏と共にジム近くのレストランへ場所を移して、会話を楽しむことにした。ビールジョッキを空けると大和田氏はだんだん饒舌になり、表情も柔らかくなってきた。
ボクサーらしからぬ優しげな表情は、ミドル級のタイトルを5度も防衛した男にはとても見えない。年下の私に対してもずっと敬語を使い、丁寧な態度はずっと変わらなかった。
角海老宝石ジムの所属だった大和田氏だが、赤井英和との壮絶な戦いを映画化した作品「どついたるねん」(監督:阪本順治)に、本人役で特別出演依頼がきた際、ダイエットの為に自宅近くにあった多寿満ジムに通い始めたのだと言う。
その後もジムに通い続けていたが、やがてトレーナーを頼まれるようになり、現在は選手育成に汗を流している。

仕事はずっとメッキ加工一筋――。中学卒業後、夜間高校に通いながら自動車メーカーの下請け会社で、部品やボディ等のメッキ加工に従事してきた。それ以来ずっとメッキ一筋。現在は“センター長”という役職で活躍している。「なんかメッキが好きなんですよね・・・」きちんと自分の土台を持っている力強さを感じた。
メッキの話をする時の大和田氏は、ボクシングの話をする時と同じくらいキラキラと目を輝かせていた。
好きな仕事をして、ボクシングと携われて、大和田氏の生き方は“ボクサーの第2の人生”の模範の一つと言える生き方かも知れない。
それもやはり健康な体あってのことだ。大和田氏は網膜剥離で引退し、現在も多少視力の後遺症がある。ひとまず仕事に支障はきたしていないが、トレーナーとして後進の指導に精を出す日々を送る中で、ある信念を持って取り組んでいる。
「五体満足でリングを降りることの出来る選手を作りたい――ボクシングは“ルールのあるケンカ”だから、『一生懸命頑張ろう』って言いたいんです」
網膜剥離を患って引退した元ミドル級王者は、この“ルールのあるケンカ”を愛し、だからこそ「怪我のない五体満足な体で選手たちを引退させたい」という信念を持っているのだ。
1987年、私がプロデビューしたその年に、大和田正春は日本ミドル級王座5度目のタイトル防衛を果たした。しかし、網膜剥離で引退を余儀なくされた。その試合を後楽園ホールで観戦したことを鮮明に覚えている。そういう意味でも、大和田正春とこうして語り合うことが出来たのは、私にとって感慨深いものだった。
「現役時代はみんな敵」でも、引退すればみんな“戦友”だ。時代も階級も違う大先輩だが、元日本ミドル級チャンピオン・大和田正春に対してもそんな風に感じさせてもらえた夜だった――
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