|
「ここから“足柄物語”を発信しようぜ!って皆に言ってるんです。ボクシングってのは人間を作ることなんです。人づくりは本当に楽しい・・・」
“夢”、“感謝”、“報恩”から生まれた足柄山の手作りジムは、忘れかけていた何か大切なものを思い出させてくれた。

小雨の降る4月初旬に、小田急線の新松田駅まで我々を車で迎えに来て下さったのは、今月の“戦士”、足柄ジムの井上貞雄会長だった。
井上会長とは、先月登場していただいたM.Tジムの高城会長と同様、“神奈川拳志会”で懇意にさせていただいている。
新松田は、私の故郷である秦野(はだの)市から小田急線で僅か二つ先の駅だった為、里帰りしたような懐かしい気持ちだった。
「先週だったら桜が満開だったのにねえ」――井上会長は残念そうに呟いた。確かに数日間続いている雨で桜は散りかけていたが、青々と茂った足柄山の木々からは、十分に春の訪れが感じられた。
この辺りは神奈川県内とはいえ、山や自然に囲まれた、のどかな田舎なのだ。
まずは井上会長がよく訪れるという、昔ながらの喫茶店でホットコーヒーを一杯すすることになった。
店に入ると「あら〜、会長、今日は一体何なの〜?!」と、常連のお客さん達から声をかけられた。地域の中で活躍されている様子を垣間見ることが出来た。
日が落ちかけてきた頃、我々はいよいよ足柄山へと車を走らせた。
日は完全に沈み、車は暗い山道へとどんどん入って行った。「何処へ連れて行かれるか、生きて帰れるか心配になるでしょう?ハッハッハッ」井上会長は楽しそうに笑った。本当に狸やら熊やら出てきそうな雰囲気だった。
しばらく山道を登って行くと、前方に明かりが見えてきた。「さあ、着きましたよ!」小さな山小屋のような建物の中では、数名の練習生がシャドーをしたり、サンドバッグを叩いたりして汗を流していた。そこは紛れもなくボクシングジムだった。

足柄ジム会長・井上貞雄――昭和22年4月6日、足柄上郡山北町生まれ。農家の一人息子として生まれ育ち、19歳の時に小田原の箱根登山デパートで電気保守係として就職した。
その職場で運命の出会いがあった。昭和33年11月12日に、国際スタジアムで金子繁治(笹崎)とボクシング史に残るタイトル戦を演じた元プロボクサー・中西清明(AO)が、なんと同じ職場の先輩だったのだ。
一緒に働いていた先輩が、そのような人物であることを知ったのは、映画館で石原裕次郎主演のボクシング映画『勝利者』に、中西が出演しているのを見た時だった。
「ボクシングを教えて下さい!」井上少年は中西清明に頼み込み、少しずつボクシングを教わるようになっていった。二人の師弟関係がスタートした。
しばらく経つと、中西師匠は井上少年に語った。「ずっとお前のことを見てきたが、またボクシングの虫がうずき始めてきた」――中西清明は本気だった。
「親を捨てられるか?」師匠は井上少年の覚悟を確かめ、自らは離婚をしてまで井上少年とのボクシング人生に賭けた。部屋を借りて井上少年を住みこませ、朝から晩まで毎日厳しいトレーニングを積み重ねていった。
ところが――、3年ほど経ったある日、井上少年の母が病気で入院し、父も病気で倒れてしまった。一人息子の井上少年は悩んだ挙句、両親の面倒を見ることを選択した。
「中西さん、本当に済みません・・・」涙をこらえる井上少年に「親を取れ」と言ってくれたのは、他ならぬ師匠だった。
「私は師匠を裏切った気持ちをずっと引きずっているんですよ・・・」その気持ちが井上会長からは痛いほど伝わってくる。
東名高速の下で近所の少年達にボクシングを教え始め、昭和54年、32歳で足柄の自宅近くに本格的に開設したジムの名称は、師匠の名前を用いた“中西ボクシングジム”だった。
河原の流木などを拾い集めて、井上会長と練習生自身で建てた手作りジムは、当時マスコミでも話題となった。
3年ほど経ち、師匠である中西清明氏からは「そろそろ“井上ジム”にしろよ」という言葉をもらったが、井上会長は「足柄の人々に応援してもらえる、足柄のジムにしたい」という思いから、“足柄ジム”と改名した。師の弟子への思いと、弟子の師への思いに、私は胸を打たれた。
この足柄ジムの正面入り口には、大木を掘って作られた中西清明の大きな彫像が飾られていた。師匠への思いはこんなところからも伝わってくる。
我々が訪れた際、ジムには津田トレーナーと4名の練習生がいた。皆、車で山道を登って通って来ている。井上会長の弟子達だ。
井上会長は、朝6時のロードワークを指導し、昼間は会社勤務、夜はジムで選手指導という毎日を送っている。
ジムの隣には、最近増設したという談話室があった。部屋の真ん中には囲炉裏(いろり)があり、選手や地域の人達が一緒にくつろげる場が設けられている。
「ボクシングジムは地域の青少年育成の場である」という井上会長の思いが込められている。「時々公開練習を開催するんですよ。地域の人達が大勢集まって盛り上がるんです」
ジムの壁には“忍耐”や“礼に始まり、礼に終わる”といった教訓が飾られている。「ここから“足柄物語”を発信しようぜ!って皆に言ってるんです。ボクシングは人間を作ることなんです。人づくりは本当に楽しい・・・」井上会長の笑顔は輝いていた。
「会長、囲炉裏っていいですね!」新田ジムにはそんなスペースは無いが、「ウチにもいつか囲炉裏が欲しい!」そう思った。

ひと段落したところで、我々は山から“里”へ下って一杯やることになった。いずれジムを継ぐ予定になっている会長の息子さんも合流し、美味しい釜めしに舌鼓を打った。
「今度、選手やトレーナーを連れていらっしゃいよ。走る所はいくらでもあるし、山菜は美味いし、最高だよ!」と、お誘いをいただいた。いつかトレーニングキャンプに訪れたいと思う。
“諦めなければ失敗じゃない”――これは、井上会長の一番好きな言葉だという。若者達の“夢”、師匠や地域の人々への“感謝”、“報恩”を胸に奮闘する井上会長の背中を見ながら、私自身がジムを開設したころの気持ちをもう一度思い直すことが出来たような気がした。
|