その60 MTジム高城正宏会長


写心 山口裕朗



 「一緒にジムをやろう!」――現役を引退してスポーツクラブで働いていた高城正宏、そのクラブの会員として高城の指導を受けていた村野健、二人の男の夢が合わさり、新たなボクシングジムが誕生した。村野のM、高城のTを取り、M.Tボクシングジムと名づけられた。
 「やっぱり男って“夢”で生きてるんですかねえ・・・」会長となった高城正宏が、人懐こい笑顔で嬉しそうに語った。

 先々月の花形進会長からご紹介いただいたのは、足柄ジムの井上会長だったのだが、「ジムの改装中」ということで、先月は拳誠ジムの関戸会長に登場していただいた。
 今月こそと思っていたのだが、「すまん、もう1ヶ月待ってくれ」ということで、今月の“戦士”はM.Tジムの高城正宏会長(元・日本Sフェザー級王者・帝拳)ということになった。

 M.Tジムといえば3年半前に、村野健マネージャーをお訪ねしている。(戦士と語る=現場編=その20
 その後も何度かジムにお邪魔しているが、行く度に「素敵なジムだなあ、羨ましいなあ・・・」と思ってしまう。ボクシングジム用に建てられた一戸建ての建物で、十分なスペースとセンスの良いレイアウトにいつも唸り声をあげてしまう。

 「高城会長、その辺でご飯でも食べながらお話を聞かせて下さい」我々はジムを出て、近くのお洒落な居酒屋へ場所を移した。
 「ここは、ウチの選手が働いている店なんですよ」と、高城会長のお奨めのお店だった。「でも会長、今日は車なんですよね?」と心配すると、「大丈夫、運転代行を呼んで帰りますから!」とやる気満々の様子だった。
 高城会長とは、「神奈川拳志会」という神奈川県のボクシングジムの集まりで、毎月食事会に同席させていただいているが、こうして個人的に飲み食いするのは初めてだった。

 ビールジョッキを一杯空けると、高城会長は饒舌になった。
 「いや〜、最近体力が落ちちゃってねえ・・・。40歳を過ぎてから急に感じるようになったねえ」と弱音をこぼす高城会長だが、今年48歳になったとは思えないスリムな体型を保っている。
 現役時代は体重が65kgくらいあったのだが、現在は63kgくらいとのこと。「これは老化現象ですよ」と笑う。
 「今はミット持ちくらいしかやりませんからね。ミットは後ろ向きに歩くでしょ。試合の計量で後楽園に行く時は前向きに歩くので、筋肉痛になっちゃうんですよ!」ほんのり赤くなった顔で、楽しそうに笑った。

 高城会長は、東京都大田区でサラリーマンの家庭に生まれた。幼い頃は、「巨人の星」に憧れ、“大リーグボール養成ギプス”を自分で作成して体を鍛えた。やがて「タイガーマスク」に憧れて高校のレスリング部に入り、関東大会等で活躍。最後は「あしたのジョー」に憧れてプロボクサーになったというわけだ。
 「世界チャンピオンになったらお金が稼げる。親に楽をさせてやれる。家を建てられるって思ったんですよ!」ますます饒舌になった高城会長が楽しそうに笑った。
 「新田会長も『あしたのジョー』を読んでボクサーになったんですよね。何かの記事で読んで、なんか親近感をもっちゃったんですよね。他人とは思えない気がするんですよ!」私もその話を聞いて、高城会長との距離がぐっと近くなったような気がした。

 大場政夫に憧れた高城会長は、名門・帝拳ジムに入門した。職安で「残業の無い、寮付きの会社」を見つけ、準社員として働きながらジムに通った。
 「『残業の無い、寮付きの会社』なんて、よく見つかりましたね。ボクシングの練習がしっかり出来る職場環境を見つけるのは、大変なことだと思うんですけど・・・」私自身の現役時代も含め、新田ジムの選手達にとっても常に課題のひとつである“生活”の部分を、高城選手は見事に整えた上で、ボクシング人生をスタートさせた。

 エリート揃いの帝拳ジムにおいて、デビュー戦で負け、3試合目はKO負けを喫した高城選手だったが、少しずつ実力を付けてきた。「パンチってのは力を入れて打っちゃいけないんだって解ったんですよ。力を抜いて打った方がスピードもスタミナもあるし、相手に効くんですよね。そういうことが解ってきて、勝ち星をどんどん重ねられるようになったんです」高城会長は自らの体験を熱く語った。
 スランプに陥った時には、専門のトレーナーから、当時まだ普及していなかった最先端のフィジカルトレーニングを学び、重心を安定させて戦うことが出来るようになった。

 レベルが上がってくるに連れ、「もっと練習時間が欲しい」と考えた高城選手は、「残業の無い、寮つきの会社」を辞め、パン屋さんでアルバイトをしながらボクシング中心の生活を送った。
 やがて日本スーパーフェザー級王者に輝き、日本の頂点に君臨したのだった。

 「若い選手達には、自分自身で何かを感じていって欲しいですね。だって、そういうのって自分で感じないと解らないないじゃないですか。」熱く語る眼差しの中に、会長としての哲学を垣間見ることが出来た。
 
 ピークを過ぎ、3連敗を喫した後、高城選手は29歳でグローブを置いた。
 「引退した後は何をしていいか分からなかったです。1年くらいパン屋さんでのアルバイトを続けながら、人生を模索してました」第2の人生に迷うのは誰もが辿る道である。

 高城会長の最初の転機は、お父さんの体が弱くなってきたことがきっかけだった。「相模原の実家に帰ってスポーツクラブの社員になったんですよ」現役時代に専門のフィジカルトレーニングを取り入れていたことが役に立った。
 「運動生理学の本を読みあさって、理論と自分の経験とを融合させたんです」独自の“売り”を活かしながら、11年間スポーツクラブに勤務を続けた。

 次の転機は、駒沢大学ボクシング部の専属コーチをしていた村野健氏がスポーツクラブに入会したことだった。二人は「いつかジムを作ろう」と夢を語り合うようになった。
 銀行から融資を受け、土地を購入して現在のM.Tジムを建てたのである。「返済はまだ続いてますけどね・・・」と笑う高城会長だが、ジムの経営は順調そうである。
 「ジムを立ち上げる時には、何から何まで帝拳ジムにお世話になりました。本当に感謝してますよ」周りの協力を得られるのは、やはり高城会長のお人柄なのだろう。

 スポーツクラブ時代に知り合った奥さんと33歳で結婚し、今は3人のお子さんに恵まれている。
 「向こうもパン屋で働いていてね、パン屋の女性ってのは働き者なんですよ。時々パンをくれたりして、俺に気があんのかなって思ったんですよ・・・」なんだか今でもお熱い感じだった。

 また一人、素敵な“戦士”と語り合うことが出来た。高城正宏――元・日本Sフェザー級チャンピオン、現・M.Tジム会長。村野マネージャーと共に、M.Tジムをもっともっと盛り上げてゆかれることだろう。私は少し春の匂いがしてきた夜道を家路に付いた。




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最新の「戦士と語る」
その60 MTジム高城正宏会長
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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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