その55 ランドジム 納谷 光トレーナー


写心 山口裕朗

 「ウチの金井会長にはホントお世話になっているし、若手トレーナーの石井久雄君も一生懸命頑張ってます。憧れの存在だった三迫ジムの元東洋ライト級王者・門田新一さん(現・ファミリーフォーラムジム会長)は、今でも先輩・後輩としてお付き合いしていただいています。みんな三迫一門で、仲がとっても良いんです。そして、みんな三迫会長のことが大好きなんですよね」
 常にニコニコと、人のことを賞賛して微笑んでいるこの中年トレーナーが、私の目には一番輝いて映っていた。

 先月の“戦士”阪東タカ選手(ワンツージム)から紹介されたのは、ランドジムの納谷光トレーナー。タカ選手が故郷の愛媛から上京し、一時ランドジムに身を置いていた際、タカ選手の面倒を見ていたのが納谷トレーナーだった。

 私が西船橋のランドジムを訪れたのは、これが初めてのことだった。金井会長がニコニコと話しかけて下さり、納谷トレーナーのことについていろいろと教えてくれた。この金井会長が三迫ジムのトレーナー時代に、納谷選手の担当を務めていたのだ。
 「でもあんまりオレが喋るより、本人から聞いた方がいいよな。ハハハ!」金井会長は更にニコニコと笑っていた。
 汗だくになりながら一通りプロ選手のミットを終えた納谷トレーナーに向かって、「今日はもういいぞ!」と、金井会長が気を利かせてくれた。“写心家”の山口裕朗氏が写真を何枚か撮り終えると、我々は亀戸にある納谷トレーナーの行きつけの飲み屋さんへ向かった。
 
「ちょっと待ってて下さい」電車に乗る前に、納谷トレーナーが売店へ向かって走って行った。「いやね、コレが日課なんですよ・・・」満面の笑みで我々に差し出したのは缶チューハイだった。「ジムを終えた後のこいつが美味くてねえ」。すいている車両で“プシュッ”とフタを空けてグイッと喉に流しむと、確かにそれは格別の味だった。

 亀戸に到着し、納谷トレーナーが案内してくれたお店の門をくぐると、この日は非番だったランドジムの若手トレーナー石井久雄さんが、一足先にテーブルに着いて我々の到着を待ちわびていた。
 「彼は本当に頑張ってるんですよ。是非、新田会長のコラムで紹介してあげて下さい」納谷トレーナーは、しきりに石井トレーナーのことを賞賛していた。
 「そんな、恐縮です。ボクなんて納谷さんの子分ですから・・・」と苦笑いする石井トレーナーだったが、納谷トレーナーを慕い尊敬しているのが十分に伝わってきた。

 昭和31年、なんと1月1日生まれという納谷トレーナーは、北海道函館市の出身。父君は北海道大学出身の道庁勤め、しかも網元(あみもと)(漁網・漁船などを所有し、漁師を雇って漁業を営む業者)であり、納谷少年はそんな裕福な家庭の一人っ子として育った。
 趣味が“切手集め”だったという納谷少年は、通っていた中学校が非常に荒れていたこともあり、その環境が嫌で嫌で、「早く東京へ行きたい」という思いを強く抱くようになっていた。

 “切手集め”とは対照的に、当時からボクシングが大好きで、初めて見たのは“ハンマーパンチ”の藤猛の試合だったという。やがて三迫ジムの「カッコいい」サウスポー門田新一に憧れ、納谷少年は中学を卒業すると上京して三迫ジムに入門した。

話が弾んできた頃、ちょうどファミリーフォーラムジムの門田新一会長が現れた。「いやね、新田会長が来るってんで声をかけておいたんですよ」と、納谷トレーナーが笑った。
門田会長は、納谷トレーナーのことを「今、僕の一番の友達なんですよ」と言っておられたが、「いやいや門田会長はボクの憧れの大先輩ですよ〜」と、ご本人は照れ笑いをしていた。

 三迫ジムに入門した納谷少年は、建築関係の仕事をしながら17歳でプロデビューした。デビュー戦は素晴らしい出来栄えだった。その勝ちっぷりを見て、三迫会長が「こいつは新人王が狙える!」と豪語したほどだった。
しかし、その後は勝ったり負けたりを繰り返し、10戦を戦った納谷選手は、ボクシングに見切りをつけて、若干20歳でグローブを置くことになった。

ところがその8年後、あるきっかけで試合に出場することとなり、1戦だけのカムバックを戦うことになった。
「実は当時、ある男と約束をしていまして・・・」納谷トレーナーの友人で、昔かなり活躍をしていたという社会人野球の選手がいた。力の落ちてきた彼が、最後の都市対抗野球に出場することを決意した際、「オレ、頑張るから、お前も何か“男の生き様”を見せてくれ。昔ボクシングやってたんだろう?1試合だけリングに上がってくれ!」と、無茶なことを言われたのだ。
「いや〜、初めはどうしようかと思ったんですけど、やることにしたんですよ」男の約束を交わした納谷トレーナーは、猛練習を開始した。

85kgあった体重を、なんと1年で30kg落とし、スーパーバンタム級まで絞りこんだ。再び“ボクサー”の体を作り上げていった。
「大人になった分、コンディション管理やトレーニングはしっかりやるようになりました。いい調子で試合当日を迎えることが出来たんです」――と、そこまでは良かったのだが・・・。「実は計量(当時は当日計量)が終わって水分を摂り過ぎちゃったんです」。
水分の急な大量摂取で一気に体調を崩してしまい、嘔吐を繰り返しながら試合開始時間を迎えることになってしまった。「直前には何とか落ち着いたんですがね・・・」と、苦笑いしながら納谷トレーナーは頭をかいた。

第1ラウンド、第2ラウンドと、ほとんど体が動かず、メッタ打ちにされてスタンディングダウンを取られてしまった。第3ラウンドに少し持ち直し始め、第4ラウンドに猛反撃に転じた。そしてついに大逆転し、レフェリーストップのTKO勝ちをおさめたのだった。これぞ“ザ・ボクシング”と言われるような、素晴らしい試合だった。
こうして納谷選手は、1戦だけのカムバック戦を見事に飾り、友人との約束も果たしたのだった。

納谷トレーナーは、8年ぶりの試合を戦った4〜5年後、金井会長が開設したランドジムに出入りするようになり、やがてトレーナーを務めるようになった。
昨今、少子化や他の格闘技の流行等で、ボクシングジムへの入門者が減少してきている。ランドジムも例外にもれず、厳しい状況にあることを金井会長がボヤいていた。
その思いを我が事として感じている納谷トレーナーは、「あんまり出しゃばり過ぎてもいけないですけど」と控え目でありつつも、「もっとこうした方がいいんじゃないか、ああした方がいいんじゃないか」と智慧を絞って金井会長に進言している。

ジムでミットを持つ納谷トレーナーの姿を見て、選手に対する愛情も非常に深い方だという印象を持った。各選手の良い所を褒めながら、汗だくになってひたむきに選手のパンチをミットで受ける姿に、この人の人間性が映し出されているように感じた。





亀戸のお店で話をしていても、他人のことを褒める内容が多く、一緒にいて心地の良い方だった。後日、電話で何度か話す中でもそれは変わらなかった。単なるお世辞や社交辞令ではなく、自然に人のことを褒めることが出来る方なのだと感じた。納谷光という人は、根っからそういう人物なのだと思った。

ジムで金井会長がおっしゃっていた言葉を思い出した。「あいつは、こちらの問いかけに対してホントにきちんとした話を返してくる。本当の意味で頭のいい人なんだよな・・・」その言葉の意味がようやく分かったような気がした。

「戦士と語る」では、しばらく選手との対談が続いてきたが、久しぶりに“トレーナー”の登場となり、心置きなく酒宴を楽しむことが出来た。この夜は気分よく会話を楽しみながら、「ボクシング界にはまだまだ素敵な“戦士”達が存在しているんだなあ」と思った。

大変だけれど・・・、やっぱりまだまだ辞められない―



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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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