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「ボクのボクシング人生は『楽しい』のひと言に尽きますね――。まあ、だからチャンピオンになれなかったということかも知れないです・・・ハハハ!」
ボクシング界の大先輩は、元ボクサーらしからぬ優しげな、それでいてエネルギッシュな笑顔で楽しそうに語った。
先月ご登場いただいたKカントリージム星野厚雄会長からご紹介いただいた今月の“戦士”は、なんと昭和30年代に活躍されていたという鈴木武雄さん(新和拳)だ。
私が、確定死刑囚の元プロボクサー・袴田巌さんの再審支援活動をしていることを知っておられた星野会長が、「この方は袴田さんと試合をやっている人なんですよ」と、ご紹介して下さったのだ。
教えていただいた番号に電話をかけると、元気な声で「ああ、聞いてますよ!お待ちしてます!」と歓迎して下さった。現在71歳の袴田さんと試合をやったということは、それに近い年齢のはずだが、あまりに若々しい声に驚かされた。
連休明けのある夕刻、私は地下鉄都営新宿線の「住吉」という駅に降り立った。製本工場を営んでいるという鈴木さんの自宅兼職場までは、歩くと少し距離があるはずなので、タクシーを拾って目的地の住所を告げた。
しかし、どうもその運転手が頼りない。「じゃ、この辺でいいですよ」と、ある程度走った所で私はタクシーを降り、自分の足で鈴木さん宅を探した。
しばらく歩くと、携帯に“写心家”山口裕朗氏からの着信音が入った。「新田さん、僕はもう到着してます。今どこですか?」とりあえず山口氏が時間通りに到着してくれたのでひと安心だった。
「ああ、もうすぐ着きます。ちょっとお話ししていて下さい」そう言って必死に住所を探しながら歩き、ようやく鈴木さんが営む製本工場に到着した。

「いやあ、申し訳ありません。タクシーに変な所で降ろされてしまいまして・・・」言い訳をしながら、大先輩に自己紹介をした。鈴木さんは柔和な雰囲気でそれに答えて下さり、初めからリラックスムードな対面となった。
「いつもご飯を食べながらお話しを聞くことが多いのですが、いかがですか?」私がそう訪ねると、鈴木さんの笑顔が更にパワーを増した。「何だ、それならボクがいつも行く所があるから、そこへ行きましょう!」そう言って、お得意のお店へ我々を案内してくれた。
江東区扇橋にある加寿司-かずし-(03-3647-4606)の暖簾をくぐると、明るい雰囲気の美人の女将さんが出迎えてくれた。「あら“お父さん”、今日はお客様ですね。テーブルでいいかしら?」と、我々をお座敷へ案内してくれた。「ボクは仕事の後、毎日ここへ来るんですよ・・・」ニコニコと鈴木さんは微笑んだ。
昭和13年、中央区生まれの69歳。今年の7月で70歳を迎える。とてもじゃないが、そうは見えない。少なくても10歳は若く見える。一杯焼酎が入ると、大先輩は饒舌になり、楽しそうに話しまくった。
11人兄弟の末っ子として育った鈴木さんは、自由奔放な少年時代を過ごした。16歳の頃、12〜13人の仲間を連れて新和拳の門を叩いた。
一人、二人と脱落してゆく中、鈴木さんだけが生き残っていった。「3年でメインエベンターになれなかったらやめるつもりで頑張りましたよ」と、ガッツを垣間見ることも出来たが・・・「でもね、遊びの方が好きでね、ジムには毎日通いましたけど、とにかく遊びに行きましたね」と、嬉しそうに笑った。
新橋や銀座で、肩で風を切って歩いていた時代もある。「何だこのヤロー! うるせえ、このヤロー!」と、当時のことを振り返りながら話す語り口が、北野たけし監督とそっくりで、時々噴出しそうになってしまった。
当時活躍したボクサーは、米倉健司、矢尾板貞雄、野口恭、石橋広次、辰巳八郎といった凄いメンバーだ。関光徳(現・横浜光ジム会長)や、故・石川圭一(前・石川ジム会長)らが後輩に当るという凄い時代のボクサーなのだ。
全日本バンタム級1位まで上り詰めたが、よそのジムへ出稽古へ出かけては友人を作って遊びに行ってしまうという癖があった。「だからベルト巻けなかったのかな・・・」とニコニコ微笑む。
フィリピンやタイへの遠征へも出かけ、進駐軍の慰問試合などでも活躍した。韓国にも1年間滞在し、1勝1敗1分という戦績を残している。「リーゼントヘアーで“ジャパニーズベビー”と呼ばれたもんです。人気ありましたよ!」
17歳から27歳までの10年間で、なんと86戦を戦った猛者である。
「ドランカー症状も全く無いでしょ。ボクは打たれ強かったし、第一他人が言うほど打たれてはいなかったんですよ。今は“ドリンカー”だけどね!」とにかくダジャレが多く、時々着いてゆくのが大変になるくらいのテンションだ。
現在は、奥さん、製本工場の跡を継ぐ予定の息子さん、そして義理のお母さんの4人暮らし。娘さんは既に結婚されて近くに住んでいる。
「食べるのに困ってはいないから幸せなことですよ。当時のボクサー上がりできちんと生活している人はあまりいない時代ですからね・・・」鈴木さんは、引退後10年程いろいろな仕事を経験し、製本業を覚えて自立。現在は自宅兼工場を営まれているというわけだ。

「袴田くんとやったのは4回戦の時だったな。彼も真面目な男だった。大体ボクシングやる人間は、金目当てで悪いこと出来るわけないですよ」こちらからは袴田さんの件については触れなかったが、鈴木さんの方からそんな話をして下さった。
「でも今日は嬉しいなあ。最近はボクシング関係の人とあまり話してなかったからね」鈴木さんは、いろいろなボクシング関係者をこの加寿司に連れて来ている。特に石川ジムのリック吉村が大のお気に入りだった。
「この店の常連も皆引き連れて応援に行ったもんです。リックは本当に素晴らしい男ですよ」試合が終わって米国へ里帰りし、日本へ戻って来て「お父さん、お父さん」と最初に挨拶に来るのは、鈴木さんの所だった。「先代の石川会長にヤキモチを焼かれちゃってね・・・」と嬉しそうに笑う。
「何しろ、練習をしっかりやって、引退した後も“壊れない”ようにしないといけない。リックはそういう広い視野を持ってボクシングの出来る男でしたよ」――かく言う鈴木さん自身、本当に一般の69歳よりもよっぽど聡明で若々しい。
「まあ、ボクはふらふらランキングが上がったり下がったり、“エレベーターボーイ”って言われてましたからね」当時、米倉健司さんや協栄ジム先代会長の金平正紀さんらとも試合をしたという。

「ボクのボクシング人生は『楽しい』のひと言に尽きますね――。まあ、だからチャンピオンになれなかったということかも知れないですけど・・・ハハハ!」
引退する時に、後援者から「ジムをやろう」と言われたこともあったらしいが、「自分が食えて、選手のファイトマネーから33%取らなくてもいいジムならやりますけど・・・」と、体よく断ってしまった。
親には「意気地なし」と言われてしまったが、「オレも苦労したんだから、お前も苦労しろ」と、選手に言えない性格なのだ。
「ボクシングやって、今は女房がいるし、道楽して、幸せですよ。酒飲んで、ワンマンで、男は仕事だ!」と、最高に気分の良さそうな大先輩の笑顔を見ていると、こちらまで幸せな気分になってしまった。
「この人は20年間毎日来てくれる、この店のナンバー1ですよ」と、板前さんが教えてくれた。「いやいや、でもね、女房がいなけりゃ出来ないことです・・・」と、鈴木さんは最後にちょっとだけ情けない笑顔で笑った。
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