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「チャンピオンを作ることだけが目的じゃない。何をやってもダメだった子が、“ボクシングをやってよかった”と言えるようになることが、何よりも嬉しい―」
世界王者、日本王者を育てたベテラントレーナーが、強面の顔を崩してニコッと微笑んだ。
先月の戦士、ワタナベジムの洪東植(ホン・ドンシュク)トレーナーから紹介されたのは、同じワタナベジムの大杉明美マネージャーだった。しかし、今回はどうしても都合がつかなかった為、その大杉マネージャーから石川ジムの田野
弘(たの ひろし)トレーナーを紹介していただいた。
早速、石川ジムに電話をかけると、石川久美子会長が「あー、聞いてる、聞いてる!ブラザーズでよろしくね!」というお返事だった。
「ブラザーズ?」失礼ながら、私は田野トレーナーのことをあまり存じ上げていなかったのだが、ご兄弟で石川ジムのトレーナーをされているとのことだった。
少し暖かくなりかけてきた3月下旬、東京の昭島市から、同・立川市へ移転してまだ間もない石川ジムを訪問した。石川久美子会長や田中二郎マネージャーとは懇意にさせていただいているのに、ジムへお邪魔したのはこれが初めてだった。
JR立川駅北口を出てメイン通りを右折すると、ビルの3階に「石川ボクシングジム」の看板が見えた。「こんにちは〜」ガラス張りの扉を明けてジムの中に入ると、「いらっしゃ〜い!」と石川会長が、愛犬“マッチ”と共に笑顔で出迎えてくれた。
「こちらが田野ブラザーズよ!」と今回の戦士―田野良夫(よしお)、弘(ひろし)兄弟を紹介していただいた。お二人とも、ひと目で南国の方だというのが分かる。案の定、沖縄出身とのことだった。
しばらくの間、初めて訪れるジムを見学させていただいた後、私と田野ブラザーズは会長やマネージャーをジムに残して、一足お先にジム御用達の居酒屋へ向かった。
「やっぱり一杯入った方がお話しし易いですよね」私の言葉に、お二人は嬉しそうに微笑んだ。
田野良夫さんがお兄さん。昭和30年生まれで、私の一回り上の未(ひつじ)年だ。弟は田野弘さん。昭和37年生まれの寅年。私達3人はビールジョッキで乾杯をし、リラックスしたムードで団欒を楽しんだ。
お二人は沖縄県の旧・具志頭(ぐしかみ)村(現・八重瀬町)で生れた。兄・良夫さんは21歳から、弟・弘さんは中学生の頃から、元WBA世界Sフェザー級王者・上原康恒氏が開いた地元のボクシングジムに通い始めた。
石川ジムの先代会長・石川圭一氏が、選手を連れて沖縄キャンプに訪れ、上原康恒氏と親交を深めるようになったのがきっかけで、兄・良夫さんは1982年に上京し、石川ジムでトレーナー修行を始めるようになった。
翌年、選手としてもプロのリングに上がるなど活発にボクシングと関り続け、25年間のトレーナーキャリアを誇っている。
また、弟・弘さんも選手としてトレーニングに励んでいたが、病気と肩のケガの為にトレーナーへと方向転換することになった。同じ高校の1級後輩、後のWBA世界Sライト級王者・平仲明信がまだ無名の頃にミットを持って指導するようになった。
その後、兄・良夫さんと同様、上京して石川ジムでトレーナー修行を始めたのだが、27歳で沖縄に戻り、再び沖縄で平仲明信と共に世界を目指した。そして1994年、メキシコシティで見事世界を奪取に成功したのだ。
やがて弘さんは福岡県田川市の筑豊ジムに移籍し、平仲明信の弟・信敏を日本王者に育て上げるなど、トレーナーとしてのキャリアを重ねていった。
25年間、石川ジムのトレーナーとして活躍してきた兄・良夫さんは、昼間は市に委託された環境関連の業者で働き、夕方からジムにやってきて選手や練習生達に指導をしている。弟・弘さんは、福岡で結婚し奥さんや娘さんと暮らしてきた。
ところが、昨年石川ジムが昭島市から立川市に移転したのをきっかけに、兄・良夫さんから弟・弘さんにお呼びがかかったのだ。
かつてトレーナー修行でお世話になった石川ジムの先代会長が他界し、現在は妻・久美子氏が後を継がれてご活躍している。他ならぬ石川ジムからのオファーだ。弘さんは、福岡に妻子を残し、単身赴任で新たなトレーナー生活をスタートすることになった。
しばらくすると、石川久美子会長と田中二郎マネージャーがジムを終えてやって来た。「どう? 取材は終わった? “ヨッシー”と“ピロリン”面白いでしょ・・・」久美子会長が愛犬“マッチ”を椅子に座らせながら微笑んだ。
「“ヨッシー”と“ピロリン”・・・?」私は一瞬、他にも愛犬がいるのかと思ってしまったが、“ヨッシー”は良夫さん、“ピロリン”は弘さんのことだった。久美子会長の前では、南国から来た強面の名トレーナーも愛犬のように可愛らしく見えてしまう。
「それにしてもお二人は兄弟仲が良いですよね」終始、お互いの言うことにうなずき合いながら話す二人を見て、いささか驚いていた。40、50になって、こんなに仲良く話し合える兄弟も珍しい感じがした。
「二人ともボクシングが好きだからね」兄・良夫さんが笑った。
―確かにボクシング好きというのは、どこか分かり合える部分がある。二人の関係は、兄弟を越えた“ボクシング人”としての繋がりのように思えた。
ボクシング談義になると、お二人は俄然饒舌(じょうぜつ)になった。「チャンピオンを作るには、焦っちゃダメなんだよね。才能のある子が来るまで、じっくり待たなくちゃいけない」世界王者、日本王者らを育てた弟・弘さんは、チャンピオンの育て方をそう力説する。
「でもね、俺がトレーナーをやってるのは、チャンピオンを作ることだけが目的じゃないんだ。その子が、“ボクシングをやって良かった”と言える人生を生きてくれることが、何よりも嬉しいことなんです」弟・“ピロリン”がそう言うと、兄・“ヨッシー”も大きくうなずいていた。
“ピロリン”は、福岡の筑豊ジム時代の、こんな逸話を紹介してくれた。
―運動神経が悪く、何をやらせても上手く出来ない練習生がいた。サンドバッグを打っても、ほとんど音がしないくらいパンチ力がなかった。
「こんな子にボクシングなんて出来るわけない」と思うような練習生が、コツコツと努力を重ね、3年かけてプロテストに合格した。
迎えたデビュー戦では、あまりのカッコ悪さに、観客から失笑を買ってしまった。ところがスタミナで後半に挽回したその選手は、見事判定勝利をおさめた。
この選手は、勝ち負けをくり返しながらも、現在7勝をおさめている。彼のことは、「日本一パンチのない、日本一ハートのあるボクサー」というタイトルで、テレビで特集が放映されたという。
世界王者や日本王者を育てたトレーナーだからこそ、“ボクシングの本当の魅力”を語る言葉に説得力がある。兄・“ヨッシー”は更に大きくうなずいていた。こんなに素敵なトレーナーがいることを、同じ業界にいながら知らないでいた。
別れ際に、兄・“ヨッシー”と弟・“ピロリン”は、差し出した私の手を、強面の顔をほころばせながらしっかりと握り返してくれた。
沖縄から来た二人の“戦士”との出会いで、また心に栄養補給することが出来たような気がする・・・
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