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「いろいろなジムへ出稽古に行ってみたいですね。海外武者修行なんかもやってみたい。何か新しい刺激を受けて、新たなモチベーションを生み出したいです」
端整なマスクに似合わぬ“長い下積み”を乗り越えてきた男は、今、また目の前にある壁を乗り越えようと、静かに戦っている様子だった。
先月の“戦士”で、同じ苗字の伊藤純選手(三迫)は、たまたま偶然、同じ会社の違う担当地域で働いていた。
「リサイクル品の回収業務で、僕は世田谷区内の担当なんですけど、純は渋谷区担当だったんです」
クールな感じで淡々と語る今月の“戦士”は、元日本ライト級チャンピオン(現日本ライト級6位)の伊藤俊介(金子)だ。
19勝(14KO)3敗1分というハードパンチャーの伊藤俊介は、私にとってはジムの後輩にも当たるわけだが、これまでゆっくり話をしたことがなかったので、非常に楽しみにしていた対談だった。

1978年1月、三重県鈴鹿市生まれのもうすぐ29歳―。建築業の父と3歳年上の兄の3人家族の中で育った。母は俊介が小学校へ上がる頃に父と離婚し、別々に暮らすようになった。
父は兄と俊介に「強くなれ」と、空手道場に通うことを勧めた。仲の良かった兄と一緒に、俊介は小学校低学年から空手を始めた。
「同級生と遊ぶより、“お兄ちゃん”と一緒にいることの方が多かったですね。いつも真似ばかりしてました」
クールな雰囲気で、兄のことを“お兄ちゃん”と呼ぶ俊介に、私は妙な親近感を覚えた。とても純朴で、家庭的な男なんだな―と感じた。
「小さい頃はあまり目立たない普通の子供だったと思います。イジメもしなかたし、イジメられもしなかったし・・・」
今もパッと見はそんな感じだが、大人しそうな外見の裏には、後の日本王者になる為に必要な、持って生まれた強い精神力が備わっていたのだろう。
俊介が中学生になると、ふたりが通っていた空手道場が閉鎖されることになった。兄と俊介に格闘技を続けさせたかった父は、鈴鹿ニイミジムというボクシングジムを見つけてきて、そこに二人を入門させた。
「学校が終わると毎日ジム通いでしたから、他の悪い道へ進むことはなかったですね」こうして中学2年から、伊藤俊介のボクシング人生が始まった。
「当時日本ランカーだった鈴鹿ニイミジムの先輩から、いろんな技を教わって練習しました」
中学生の時からマスボクシングやスパーリングをバンバンやっていたと言う伊藤俊介は、高校に進学すると、早速アマチュアの試合に出場するようになった。
ダメージさえ蓄積しなければ、子供の頃から練習を積み重ねた方が絶対に良いと思う―。私はそんな考えを持つ人間の一人だが、俊介のテクニックは中学時代から培ってきた賜物だったわけだ。
年齢の近い新田ジム所属の6回戦ボクサー西禄朋は、しばしば俊介の胸を借りてスパーリングをすることがある。毎回力の差を実感して悔しがっているのだが、23歳からボクシングを始めて僅か4年足らずの人間と、中学生から15年近くトレーニングしてきた人間とでは、違いがあって当然である。
日本でも少年ボクシングがもっと普及するべきだと思うが、いかがなものだろうか―。

高校時代のアマチュア戦績は、7勝(5RSC)5敗と、決して目を見張るものではなかった。国体に参加した際に反則負けを喫してしまい、「ルールの細かいアマチュアはもういい」と、高校2年の時にプロに転校した。
兄もひと足先にライト級でプロデビューを果たし、共に頑張ってきたのだが、5敗1分と勝ち星を上げられずに29歳で引退した。
「お兄ちゃんには、中学時代スパーリングでダウンさせられたこともあったんですけどね・・・」
引退後、兄は別の仕事を見つけ、新たな人生を歩んでいる。
「お父さんとお兄ちゃんは、僕の試合を全試合応援に来てくれるんですよ」
自身の結果は出せなかったが、兄は俊介に夢を託し、ずっと応援し続けている。
俊介の方は鈴鹿ニイミジムで、5勝(2KO)1敗1分―と、まずまずの戦績を上げていたが、ボクシングを始めたのが早かったからだろうか、少々中だるみ気味になっていた。
そんな折、東京で働いていた親戚から、「こっちへ出てこないか」という誘いを受け、20歳の時に三重から上京することになった。
2年位、アルバイトをしながらジムを見学して回り、東京下北沢の金子ジムに入門した。「雰囲気が良かったんで、ここでやりたいなって思ったんです」
ジム近くのアパート住み、翌年カムバックを果たした。

金子ジムへ移籍してからの俊介は、着々と戦績を伸ばしてゆき、7連続KO勝ちを含む快進撃を続けた。
「東京へ来てからは、お母さんも応援に来てくれるようになったんです」
ずっと別々に暮らしていた母とも、時々会う機会が持てるようになっていた。父と兄も、相変わらず全試合応援に来てくれていた。
そして2005年11月10日、久保田和樹(相模原ヨネクラ)を第2ラウンドTKOで下し、1995年のデビューから10年を経て、ついに伊藤俊介は日本ライト級王座に輝いたのだ。
しかし翌年4月、残念ながら俊介は初防衛線に失敗してしまう。元日本・東洋太平洋Sバンタム級チャンピオンで、世界挑戦の経験もある長嶋建吾(エイティーン古河)に判定で敗れ、王座を奪われてしまった。
初防衛戦で、いきなり強豪と対戦することになり、残念な結果となってしまったが、4ヶ月後に圓谷英一(ジャパンスポーツ)をKOで下して復帰戦を飾っている。傍から見ていたら「まだまだこれから」という印象だったのだが、以外にも彼の心は晴れやかではなかった。
「高校生の時からずっと日本タイトルに憧れてきたので、獲ってしまってからどうしてもモチベーションが上がらないんです。何か達成感を味わってしまったというか・・・」

4年程前に、伊藤俊介は金子ジムのトップボクサーらとロスアンゼルスに2週間のキャンプに行った。
「現地のボクサーとスパーリングしたんですけど、強かったですねぇ」
その時受けた衝撃を忘れられずにいるようだった。
「何でもいいんです。いろいろなジムへ出稽古に行ってみたいですね。海外武者修行なんかもやってみたい。何か新しい刺激を受けて、新たなモチベーションを生み出したいです」
私も選手出身なので、彼の思いは理解出来る。何ヶ月もの間、苦しい練習に耐え、減量で水分や脂肪をそぎ落とし、パンチの痛みに耐えて戦うボクサーにとって一番大切なのは、このモチベーションなのかもしれない。
若い時には、意識せずとも体の芯から湧き出るモチベーション―情熱を自然と持っているものだ。それをいかに維持するかが、ベテラン選手の大きな課題と言える。出稽古や海外武者修行なども、一つの方法だろう。
ジム会長となった今の私の立場としては、選手にそんな経験もさせたいという気持ちと、無用心に危険なことはさせたくないという気持ちが入り混じっている。
どちらにしても、彼自身の今後の課題として、何かしらモチベーションを高める工夫をしてゆくべきだろう。後輩が故に思い入れも深く、つい老婆心が出てしまった・・・。
12月13日(水)、宇賀神大輔(輪島功一S)との試合が決まっている。まだまだ上を狙える逸材のはずだ。モチベーションをコントロールして高みへ上って欲しい。
伊藤俊介オフィシャルブログ→http://ameblo.jp/ito-shunsuke/
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