その40 女子プロボクサー藤本りえ選手


PHOTO BY 山口裕朗



 「朝は6時からロードワークを6〜7km、9時から夕方までアルバイトして、それからジムワーク、区の体育館でウェイトトレーニング。減量はいつも5〜6kgくらいですかね・・・」
 ストイックな生活を笑顔で語るこの23歳の女性もまた、紛れもなく“戦士”のひとりだった。

 日本プロボクシング協会、日本ボクシングコミッションではまだ認可されていない「女子プロボクシング」だが、リングで戦う選手達は、男子プロボクサーと同じように熱い思いで試合やトレーニングに打ち込んでいる。
 先月の“戦士”金澤興一さんから紹介していただいたのは、女子プロボクサー藤本りえ選手である。ボクシング用品専門メーカー「ウィニング」の広告モデルとして、雑誌やカタログに登場している女性―と言えば、見たことのある人も多いのではないだろうか。
 藤本選手は、6月10日(土)新宿フェイスにて日本フライ級タイトルマッチが決まっている。ちょうどその試合の1ヶ月前、“りえ坊”というニックネームで慕われているこの女子プロボクサーと会う為に、私は写心家・山口裕朗氏と共に、都内のジムへ向かった。



「女性が顔を殴りあうなんて、見られたもんじゃない―」私も以前はそんな考えを持つ人間のひとりだった。
しかし、‘98年に渡米し、クリスティン・マーチンなどの世界トップレベルの女子プロボクサーや、地方のプロ興行、アマチュア大会で高度な技術を競い合う女子選手、そして男子ボクサーを相手にジムで堂々とスパーリングをこなす女子ボクサーなどを目の当たりにし、早い時期にその考えを改めるべきだと考えるようになっていた。
 日本の女子ボクシングのレベルも年々向上しており、草創期のそれとは隔世の感がある。藤本選手のシャドーボクシング、サンドバッグ、男子ボクサーとのマスボクシング・・・。そのどれを見ても、立派な“ボクサー”だった。

 昭和58年、埼玉県上尾市で生まれた“りえ坊”は、小さい頃からいつも3つ年上のお兄さんと遊んでいる活発な子供だった。中学、高校と、バリバリ“スポ根”系の非常に厳しいバスケットボール部に所属していた。
もともとエネルギッシュな女性だったわけだが、高校2年の時に前十字靱帯を痛めてヒザを手術し、しばらく入院とリハビリの生活を余儀なくされた。
 入院した病院にはプロスポーツ選手が多く、リハビリを一緒におこなうことが多かった。だんだんと仲良くなり、何人かとは今でも交流が続いているという。「“プロ”ってカッコいいな」“りえ坊”は、その頃から漠然とそう感じるようになっていた。



 「私も何かのプロ選手になりたい。どうせやるならチャンピオンになって有名になりたい」そう思った“りえ坊”は、当時、まだまだレベルの低かった日本の女子ボクシングを見て、「これならいける・・・」と直感した。そして高校卒業を控えたある日、ボクシングジムの門を叩いたのだった。
 高校卒業後、「東京YMCA」という専門学校に入学したが、「プロを目指すから」と、遊びのお誘いが多い専門学校を1年で辞め、アルバイトをしながらボクシングジムへ通う生活が始まった。よく耳にする、本物の“ボクサー”の物語である。

 2003年9月、デビュー戦を2ラウンドTKO勝利で飾り、“りえ坊”は憧れの“プロ”選手になるという夢を実現した。
 これまでの戦績は6戦3勝1敗2分―。女子プロボクサーは、まだまだ競技人口が少なく、試合の機会も決して多いとは言えない。男子とは異なり、どうしても少ない戦績でタイトル戦を迎えることになる。
 とは言っても、ボクシングを始めて5年。キャリアは決して少なくない。ちょうど油の乗ってきたタイミングではないだろうか。
 世田谷の「北沢タウンホール」などで、女子プロボクシングの興行を見たことがあるが、近年の女子ボクシングの技術的なレベルアップには驚かされる。そろそろスポーツとしての地位が確立されてもよいのではないか―と感じる程である。

 かく言う私は、「早い時期に女子ボクシングに対する理解を持った」とは言いつつも、中学生の娘を持つ父親である。もし自分の娘が「プロボクサーになる」という話になるとやはり話は違ってくる。“りえ坊”のご両親―特にお父さんはどんな気持ちなのか関心を持たずにはいられなかった。
 「両親にはいつも事後報告ですね。『ボクシングジムに入ったから』とか、『試合、決まったから』とか・・・」しかし、“りえ坊”のご両親は反対はしなかった。ただ、一度も試合を見に来たことはないらしい。
「当然だ!」心の中でそう叫んだ私には、“りえ坊”のご両親の気持ちが痛いほどよく分かった。「娘の試合など見に行けるわけないだろう!」我ながら言っていることが矛盾している???
 「でもお母さんの方は、私のホームページを見て、『今度、試合があるんだね』とか、気にしてくれてるんです」お母さんの方が、お父さんよりも腹が据わっているようだ。これも我が家と同じだ。ふむふむ・・・よく理解出来た。



藤本りえはオフィシャルサイト「BOW NO YAKATA」を公開している。「友達が作ってくれたんです」というホームページは、とても充実した内容で、一般ファンからの書き込みも多い。覗いてみると、マメな返信を心がけている。プロとしてのサービス精神も旺盛のようだ。
 
 “将来の夢”を尋ねると―、「世界チャンピオン!・・・と言いたいんですけど、団体がいろいろあって何とも言えないですね」と、笑顔を曇らせた。最近、WBCが女子プロボクシングを承認したというニュースがあったが、まだ様々な団体が存在している中、選手達にとってはどこを目指せばよいのか分かりにくい状況なのである。
 日本においても、今のところ興行やタイトルを認定している団体は、JBCに承認されていない。女子プロボクシングがこれから辿る道のりは、平坦なものとは考えにくい。そんな中でも選手達は何かを賭けてリングで戦う。藤本りえもそのひとりだった。



 実は6月10日(土)に藤本選手が挑戦する日本チャンピオン猪崎かずみ選手(鴨居)は、私のよく知る人物だった。
 “ママさん王者”としてテレビなどでも取り上げられたことのある猪崎さんを、1年ほど前に「新田ジム主催講演会」に講師としてお招きし、女子プロボクシング王者として、女性として、母として、その体験談をお話ししていただいた。それ以来、時々ではあるが連絡を交わすことがあるという関係だった。
「何か気まずいですよね」“りえ坊”は、笑顔でそう言った。「いやいや、それはそれ、これはこれ」と、私は割り切って考えていた。こうして縁が出来た以上、試合ではどちらもベストを尽くせるよう祈るしかない。

初対面の我々に対して、終始笑顔で話してくれた“りえ坊”から、後日、お礼のメールが届いた。
「今日はありがとうございました。なんか、自分で生い立ち話してて、あまりの何もなさに、ちょっと嫌になりました。元レディースとかでもやっとけば良かったですね・・・云々」と。
 大丈夫。今は、十分それを凌ぐエキサイティングな人生を歩んでいるんだから!

6月10日(土)新宿フェイス「日本フライ級タイトルマッチ」12:30試合開始
チャンピオン 猪崎かずみ(鴨居)vs挑戦者 藤本りえ(KAKINUMA)

藤本りえオフィシャルサイト「BOW NO YAKATA」→http://fujimotorie.com/




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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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