その39 金澤興一さん


PHOTO BY 山口裕朗



 「もし世の中に対して声を上げる事があるとすれば、“リング禍の根絶を願う!”って事ですかね。人が命を落してしまうとしたら、この競技をこのまま応援していて良いのだろうか・・・って思うんですよね」

 対談の待合せの為に、珍しく自分の選手の試合目的以外で後楽園ホールに足を運んだ。南側の後方の席に座り、ゆったりとした気持ちでメインエベントを観戦した。
 全試合終了後、周りには知っている顔がちらほらと見られ、「どうも・・・」と挨拶を交わした。「珍しいねえ」、「いやあ、対談の取材で・・・」と事情を説明すると、「聞いてるよ」と皆が口をそろえた。
 先月の“戦士”=トクホン真闘ジムの音田隆夫選手から紹介していただいた、「ボクシングファンの代表的存在」と呼んでも過言でない金澤興一さんは、業界ではちょっとした有名人だ。
「後楽園ホールで待ち合せしましょう」とは言ったものの、初対面の金澤さんをどうやって見つけようかと考えていたところ、あるジムのマネージャーが金澤さんに携帯で電話をかけてくれ、紹介までしていただいた。
 金澤さんは、本格的なボクシングサイト「KO's ROOM」http://box.ojiji.net/を管理運営している。とても充実した内容のサイトで、“ファン”の域を超えた専門的な情報が満載である。



 “写心家”山口裕朗氏が遅れて到着し、我々はホール近くの居酒屋へ潜り込んだ。このところ現役選手との対談が続いていた為、「一杯飲みながら・・・」というのは暫くお預けとなっていたので、久しぶりに「乾杯〜!」とリラックスしたムードでの雑談が始まった。「戦士と語る」の原点に戻ったような気がした???
 
 今年45歳になる金澤さんは、朝6時から夕方6時頃まで、マイナス20度の冷凍庫の中で商品管理の仕事に従事しているハードワーカーだ。「後楽園ホールに来るのは月平均5回くらいですかね」と早いペースでビールジョッキを空けていった。一緒に飲んでいた我々が一杯空ける頃には2杯目を空けているというペースだった。
 試合観戦をして帰りに一杯飲んだ時は、大抵カプセルホテルに泊まってしまう。その方が早く寝られるし、仕事へ行くのも楽なのだそうだ。

 小さい頃はテレビでのプロレス観戦が大好きだった。「アイドルは何と言ってもジャイアント馬場でした!」中学生になると自分の部屋専用のテレビを手にする事が出来、この頃からキックボクシングなど他の格闘技にも興味を持つようになった。
 ボクシングについては、「あしたのジョー」に感動したのがきっかけだった。そして、具志堅用高の時代から本物のボクシングを観戦するようになった。「具志堅さんの、あの“負けない強さ”に憧れましたよねえ」ニンマリとして語るその笑顔もまた“ファン”の粋を超えていた。
 そして初めての生観戦は、「忘れもしません。1984年9月、帝拳の浜田剛が連続KOの日本記録を更新した、その翌日、杉谷満(協栄)対マルシアノ関山(楠三好)戦でした」そこから金澤さんのホール通いが始まったのである。



 自分自身では、ボクシングはおろか何のスポーツも経験してこなかった。「昔はバイクを乗り回す中途半端な不良でしたから・・・」しかし、禁煙したことをきっかけに、5年程前から中央区の駅伝に参加するようになった。今でも毎年参加し続けている。
 この駅伝は、角海老宝石ジムの本望・中島・榎・渡邉らの現・旧王者らも参加しているという、ボクシング界とは縁の深い駅伝である。さすがは“ファン”の域を超えた男である。

 1998年1月16日、ボクシングサイト「KO‘s ROOM」を立ち上げた。「これも僕にとっては思い出の日なんです」とニンマリ笑った。かつてサウスポーのハードパンチで人気を集めた元日本フェザー級1位の飯泉健二選手(草加有沢)が、IBFでカムバックしてアジアタイトルを獲得した日だった。
 「飯泉選手を超えるボクサーは未だに出ていません!」と、金澤さんは息巻く。大阪とL.Aでの試合以外は欠かさず試合場に足を運んで観戦した。
 「IBFアジアタイトルを獲得した時の祝勝会で、初めて飯泉さんとお会いしたんです」という金澤さん。現在も飯泉さんと親交があるという。



 そんな筋金入りの“ファン”も、一時はボクシングへの関心が薄れた時期があった。「“アンタッチャブル”と呼ばれた元世界Sフライ級王者・川島敦志の防衛戦があったことに気付かなかったこともありました」
 これ程の“ファン”の心がボクシングから離れてしまった最大の原因は、「話し相手がいなかったから―」やはり、どんなにボクシングが好きであっても、その感動や喜びを分かち合える仲間が居ないというのは寂しいことなのだ。
 そんな金澤さんが再びボクシングに戻って来ることが出来たのは、インターネットというコミュニティツールのお陰だった。
 「ボクシングファン同士のコミュニティサイトで、いろいろなファンの方と知り合うことが出来、今でも仲良くお付き合いさせてもらっています」一見ボクシングとは縁遠そうなITの世界が、ファンの心と心をつないだのである。時代の変化とはいえ、今後のボクシング界の発展に向けたひとつのヒントのような気もする。

 「ボクシングの為―」と言いながら、高額で本格的なカメラを持参している。“写心家”山口氏の目から見ても、それはかなり本格的なものだった。素人目で見ても、やはり「只者ではない」印象だった。
 それでも山口氏の撮影した何枚かの写真を見ながら「すっげえ、いい写真!」と叫んでいた。写真心?のある人間だからこそ感じる部分もあるのだろう。とことんボクシング“ファン”である金澤さんとの対談は、久しぶりに業界以外の人だったせいもあり、とても新鮮なものだった。

 「土日はだいたい寝てますね・・・」気ままで筋金入りのボクシングファン―金澤興一さんに「世の中に対して声を上げたい事はありますか」という質問をすると、「“リング禍の根絶を願う!”って事ですかね。万が一にも人が命を落してしまうとしたら、この競技をこのまま応援していて良いのだろうか・・・って思うんですよね」と言って微笑みながらビールジョッキを飲み干した。
 「本当にボクシングを愛しているんだな・・・」彼もまたリングの外で戦う“戦士”だった。これからも、たまに一緒に飲みたい・・・。そう思った。




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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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