その38 トクホン真闘ジム 音田隆夫選手


PHOTO BY 山口裕朗



 “天下一嘗(てんかひとなめ)”―徳川家康が関が原の戦いの際に戦勝祈願として作った面の名前―。その面をデザインした鎧(よろい)を身にまとい、天下を一嘗めするその日を目指して闘う男がいた。

 先月の戦士、トクホン真闘ジムの沼田康司選手の紹介で、同じくトクホン真闘ジムの音田隆夫選手を訪ねた。
 1週間後に試合を控えた音田選手は、真っ赤なウィンドブレーカーを着て最後の調整をおこなっていた。絶妙の角度で、サンドバッグに“重くてキレのあるパンチ”を叩き込んでいた。「リミットまであと少しです。順調です!」そう言ってニコッと笑った。厳(いか)つい風貌から、気難しいタイプかもしれないという印象を抱いていたが、とても人懐っこい笑顔だった。
 
 昭和50年7月12日、鳥取県倉吉市で生まれ、高校卒業までをその土地で過ごした。「誕生日はフリオ・セサール・チャベスと同じなんですよ!」と、音田選手はしきりに自慢していた。
 階級が同じ沼田選手とは、よくスパーリングをする仲だという音田選手。トクホン真闘ジムの佐々木会長が、「沼田は神様がお前に与えてくれたパートナーだ!しっかり面倒見てやれ!」と言うとおり、音田選手はその出会いに感謝し、孤児院で育った沼田選手を「弟のような存在なんです」と、時々食事に誘ったりしている。

 音田選手自身は、両親と2つ年上の姉の4人家族―というごく普通の家庭に育ち、小学校から高校まで野球に打ち込む少年時代を送っていた。小学校時代は運動神経が良く運動会などでも活躍していたが、中学の頃から太り始めてしまい、体は鈍い、足は遅いと、今からは想像し難い学生時代を送っていた。

 高校を卒業すると、「田舎が嫌だった」という音田青年は、東京の公務員専門学校へ入学して2年間を過ごした。「ただ田舎を出たかっただけで、公務員になりたかったわけじゃないんですけどね」と笑う。一応、公務員になる為のテストを受験しようとしたのだが、テスト当日に寝坊して遅刻!結局、ある印刷会社に就職することになった。
 その会社はコンパや飲み会がやたらと多く、2年間かけて更に太ってしまった音田青年は一時90kgまで体重が増量した。スポーツクラブなどへ通ってダイエットを試みたが、どうもうまくいかなかった。
 「ボクシングダイエットならうまくいくかも知れない」音田青年は、タウンページで通勤沿線にあるトクホン真闘ジムを見つけた。「そうか、そうか、早速明日から来い!」そう言って歓迎してくれたのが佐々木会長だった。音田隆夫22歳―ボクシングの世界に一歩足を踏み入れた記念の日だった。
 はじめは週1回だけ、あくまでダイエット目的でジムに通っていた。「それでも痩せていきましたね。やっぱりボクシングはダイエットにいいみたいですよ」だんだんボクシングが楽しくなってきた音田青年は、週に2〜3度ジムに通うようになり、それが約2年間続いた。

 痩せてきたとはいえ、身長が180cmあるしっかりとした体は、しばしばウェルター級ボクサーのスパーリング相手を頼まれた。そこそこスパーリングもこなせるようになり、「人生の記念に!」と、24歳の時にプロテストを受験したところ見事合格。そのまま25歳でプロデビューしてしまい、とんとん拍子に翌年の新人王を獲得、全11階級の中でMVPに輝くという、ジム入門当初には考えもしなかった結果を出したのだった。
日本ランキングにも入り、本格的なプロボクサーへと成長した音田選手は、「ここまで来たら日本ランカーで終わりたくない。ベルトを取りたい」と闘志を燃やすようになったというわけだ。
 新人王を獲った後、それまで勤めていた印刷会社を辞め、トクホン真闘ジムOBの紹介で教材販売会社の事務の仕事に就いた。ボクシングに打ち込める好条件で雇ってもらっている上、同僚達は試合の応援にも駆けつけてくれるというからこれ以上の職場はない。「ホントに運がいいと思ってます」と言って、人懐っこい笑顔でニコッと笑った。



 音田選手は、「天下一嘗(てんかひとなめ)」というタイトルの公認ホームページを持っている。出身の鳥取県庁東京事務所の人が作ってくれている。とても綺麗な画面で、マメに更新されている。
 その中に「NEWS」というコンテンツがあり、「武者修行inタイ」という記事があった。「雑誌とかで、皆いろんなところでキャンプやってるのを見て羨ましかったんです」と、2005年の春に友人と2人で10日間ほど“自費で”滞在してきた。
寝泊りはバンコク郊外の、あるムエタイジムの合宿所。子供から大人まで、様々な年齢層がいた。一日のスケジュールは、午前中にロードワークとジムワーク、午後にもロードワークとジムワークと、ほとんど一日中練習漬けの生活だった。
「タイ人はホント皆のんびりしてるんですよ。犬までのんびりしてました」音田選手は、懐かしそうに話し始めた。「何か頼みごとをする時も、二つ以上頼むと『忙しくて無理だ』って言うんですよ。それくらい一つのことをするのにのんびりしてるってことです。日本に戻ってから、社会復帰するのが大変でした・・・」音田選手にはそののんびりした時間感覚が性にあっていたようだ。「ただですね、タイのタクシーは恐ろしいほどスピードを出すんですよ。でも、毎日神様にお祈りしているから大丈夫らしいんです」何だか解らない話である。



ダイエット目的で始めたはずのボクシングだったが、このように“タイ修行”に行ってしまうほど、音田選手は骨の髄までプロボクサーになってしまった。
 「今月の月謝はいいから明日から来い!」と言って、音田青年をボクシングの世界へ導いた佐々木会長は、しばしば厳しいことを言うこともあるという。「リングでは無駄口をたたくな!」「話す時は相手の目を見ろ!」などなど、時には素直に聞けない気持ちになる時もあると言う。「でも、会長は誰に対してもいつも同じなんです。心を感じる人なんです。だからきっと好きなんですね」たとえ試合に勝った時でも、まず体のことを心配してくれるという佐々木会長との信頼関係が伝わってきた。

 「とにかくベルトを獲りたいです。そして引退後も生き生きしていたいです。後輩と会っても、疲れたサラリーマンではいたくないです」話題が引退後のことになると、音田選手は力をこめてそう語った。「それと、何かしらボクシングには関わっていたいですね」ダイエット目的でボクシングを始めた男は、人懐っこい笑顔で微笑んだ。

 1週間後、私は後楽園ホールで音田選手の試合を観戦した。福岡帝拳ジムの大塚晃司選手を相手に5ラウンドTKO勝ち。「内容が悪くてあまり嬉しくない」と本人の弁。
 私の見た感じでもあまり調子は良くなく、スピードも本来のものではなかった。ただ、“重くてキレのあるパンチ”はやはり会場を唸らせるものがあった。
帰りのエレベータで一緒になった音田選手は「すみません。パッとしない試合で・・・」と誤っていたが、見る側としては“倒すか倒されるか”のエキサイティングな試合だった。
 ただ、少々打たれ過ぎだったかも知れない。体のことを考えるとあんなに打たれてはよくない。それは、本人が一番分かっていることだとは思うが・・・
 奥さんと、8ヶ月になる長男の為にも、引退後も生き生きと「天下を一嘗めする人生」を送って欲しいと思う。




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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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