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「はじめにボクシングを教えてくれたのは、鹿児島県アマチュアボクシング協会会長の京田薩夫(さつお)先生でした。早く新人王になって、もう79歳になる京田先生に頑張っている姿を見させてあげたい・・・」
女の子のような可愛らしい顔が引き締り、その眼差しがフラッシュのように光を放った。
今月の“戦士”は、フラッシュ赤羽ジムの新鋭・村中優(すぐる)選手。先月登場した同ジム先輩の清田祐三選手と、同じ肉屋さんで働くフレッシュボーイだ。
昨年度の東日本新人王トーナメント・フライ級準々決勝で初黒星を喫してしまい、4勝(1KO)1敗という戦績で年を越したホープを訪ね、フラッシュ赤羽ジム近くにある喫茶店で一緒にコーヒーをすすった。
「とても礼儀正しい青年だなあ」という第一印象と同時に、「色白で女の子みたいな可愛い顔をした青年だなあ」という印象を持った。清田祐三選手のブログで“美白”と紹介されていることからも、その雰囲気が分かると思う。

生まれも育ちも鹿児島県鹿児島市―。薩摩隼人というのがちょっと信じがたい21歳の“美白”青年は、まだ少し鹿児島なまりが残った話し方で、礼儀正しく語ってくれた。ちなみに他界した私の父親も鹿児島の出身だった。我々はそんな、ちょっとした共通点で簡単に打ち解けてしまった。鹿児島の人間は、同郷人同士の仲間意識が高いというのを実感した。
「中学生の時に両親が離婚してしまい、兄弟3人は皆母親の方に引き取られて育ちました―」影を引きずっていない明るい表情で話す“美白”青年に、内に秘めた強さを感じた瞬間だった。
2つ年上の姉と6つ年下の弟らと共に、裕福とは言えないながらも、母親のお陰で何不自由なく少年時代を過ごしてきた。「昔は母親の大変さが分からなかったんです。好き勝手ばかり言って、悪かったなあって思ってます」と、反省の色を浮かべた。
最近感じるのだが、大体の“戦士”は母親に対しての愛情が皆とても深い。何故かは分からないが、面白い共通点である。
小中学生時代は、サッカー小僧だった“美白”少年だが、ちょうどテレビで「ガチンコ」が流行っていた頃に、鹿児島アマチュア協会が主催のボクシング教室に通うようになってからは、ボクシング小僧へと変身していった。
アマチュアの“九州高校生チャンピオン”だったという父親の写真を見て、「カッコいいな、とは思ってたんです」と、屈託のない明るい笑顔を見せた。
夏休みの間はほとんど毎日練習に通い、その後も時間を見つけてはせっせと通い続けた。初めは何十人もいた練習生だったが、徐々に人数が減ってきて、最後には村中少年ひとりとなってしまった。
ボクシング教室では、鹿児島県アマチュアボクシング協会長の京田薩夫先生から指導を受けた。「勉強は得意じゃなかったんです・・・」と笑う村中少年も、京田先生のお陰で、ボクシング部のある高校に推薦入学を果たすことが出来た。
ところが村中少年は、その高校を2ヵ月で退学してしまい、プラプラと遊び回る生活へ流れてしまった。そんな中でも、京田先生は「ボクシングだけは続けろ。試合に出ろ!」と、村中少年に激励を送り続けてくれた。
京田先生の思いに一念発起した村中少年は、塗装の仕事をしながら通信高校に再入学を果たし、アマチュアの試合に出場した。そして9戦7勝という好成績を残し、高校は卒業せずに学生生活を終えた。「アマチュアの試合に出るのが目的だったので、学校へは全然行きませんでした」そう言って、“美白”青年は、コーヒーをすすりながら屈託なく笑った。京田先生の言いつけだけはしっかりと守った。
高校での最後の試合を終えた後、村中少年はまたプラプラと遊び回る生活に戻ってしまった。京田先生からは、「ボクシングだけは続けろ!」と、再び言われるようになった。
「よし、本気でやろう!」と、再び一念発起した村中少年は、「どうせやるなら東京へ出て行ってやりたいです!」と、京田先生に相談をした。すると3〜4日ですぐに電話が来て、東京のフラッシュ赤羽ジムを紹介してくれた。住む場所と仕事まで用意してくれるという条件だった。
地域の「ボクシング教室」が縁で指導を受けるようになった、鹿児島県アマチュアボクシング協会会長の京田薩夫先生がここまで面倒を見てくれるのは、村中優という男に対して、ボクサーとして、そして人間としての何かを感じているからに違いない―話を聞きながら、私はそんなふうに思った。

上京した当日、18歳の“美白”青年は、池袋駅でフラッシュ赤羽ジムの川島会長と待ち合わせることになっていた。先に到着して待っていると、「スグルっ!スグルっ!」と叫ぶドスの効いた声が聞こえた。振り返って見ると、髪にメッシュを入れ、サングラスをかけた“その筋”っぽいオジサンがいるではないか。傍らには、初対面だったミドル級の大男・清田祐三が控えているではないか。一瞬、屈託のない笑顔も引きつってしまった。「でも、川島会長は話してみたら面白い人でした」と、胸を撫で下ろした。
早速、先輩の清田祐三と同じ、肉の卸問屋で働くことになった。フラッシュ赤羽ジム関口マネージャーの後輩が経営している会社で、清田、村中の両ボクサーにとっては、恵まれた職場環境だった。
1階が会社になっており、2階は5部屋ほどの寮になっていた。鹿児島から上京して来た“美白”青年は、北海道から上京して来たミドル級の猛者・清田祐三と同じく、その寮の1室に入居した。仕事は朝の6時半から午後3時まで―。朝が少し早いが、ボクサーの生活環境としては申し分ない。「社長も、奥さんもホントいい人なんです。試合のチケットも沢山買って応援に来てくれるんです!」“美白”青年は、また屈託なく笑った。

日曜、祝日の休みは、昼まで寝ている。たまに買い物に出かける程度で、これといった趣味もない。「つまんない男ですよ」と、ニヤニヤとしているので突っ込んで聞いてみると、「鹿児島から一足先に上京して来ていた彼女と、分かれちゃったんです」と言う。「俺、同時に2つのこと出来ないんですよね!」“美白”青年の笑顔は、依然として屈託がない。
ボクシング一本で突っ走る村中選手の夢は、「やっぱり世界チャンピオンですね。引退後のことは、今は何も考えていないです」―忙しい中、時間を作って時々食事に連れて行ってくれるという尊敬する川島会長の為にも、強くなって恩返しをしなければならない。
昨年の東日本新人王準々決勝での敗戦は、計量時に38度近い熱があってフラフラの状態から、何とかコンディションを整えて挑んだ一戦だったという。初黒星を糧に、大きな成長を遂げて欲しいと思う。
「今、自分のボクシングスタイルを手探りで見つけているところなんです」と、技術的な話題にも触れた。「足を使うボクシングが、どうもしっくりこないんです。今年は、マルコ・アントニオ・バレラのように、倒しにいくボクシングを試したいです」
当面の目標は、昨年果たせなかった新人王の獲得。「早く新人王になって、もう79歳になる京田先生に頑張っている姿を見させてあげたい・・・」最近では珍しい、“師弟愛”とでもいうのだろうか。この日、“美白”青年の眼差しが、一番輝いたように感じた瞬間だった。
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