その35 フラッシュ赤羽ジム 清田祐三選手


PHOTO BY 山口裕朗



 「『とりあえずボクシングやれ』って言われて、気が付いたら今ここにいた―、みたいな・・・」ミドル級のホープは、普段の体重が85kgという巨漢とはミスマッチなあどけない笑顔を見せてくれた。

 古口ジムの北川純選手から紹介された今月の“戦士”は、日本ミドル級8位の清田祐三選手(F赤羽)。
実は私―新田は先頃、頚椎のヘルニアを患ってしまい、1ヶ月ほど思うように活動が出来なかった為、1999年に「戦士と語る」の執筆がスタートして以来、初めて更新を1度だけお休みしてしまった。
清田選手には事情を説明し、「北川選手から紹介されたんだけど、首が良くなるまで少し待ってて下さい」と電話で伝えておいた。彼は、会ったことも話したこともない私のことを気遣い、「大丈夫ですか?僕の方はいつでもOKですから」と、電話の向こうから嬉しい言葉を投げかけてくれた。

1ヶ月ほどして首がほぼ完治すると、私は会う前から好印象だったミドル級のホープと語る為にフラッシュ赤羽ジムを訪ねた。ジムの前で待ち合わせ、近くの喫茶店で話を聞くことになり、我々は赤羽商店街の一角にある洒落た喫茶店に入り込んだ。

2003年度の全日本ミドル級新人王に輝き、デビュー以来10連勝(8KO)。日本ランキングは3位まで上がり、連勝街道をばく進してきた清田選手だったが、今年7月に氏家福太郎(新日本木村)に判定負けを喫してしまった。
現在のランキングは8位。傷心のミドル級と思いきや、私と会った時の第一声は「首、大丈夫ですか?」であった。自意識の強い“ボクサー”という生き物の中にあって、人の事を思いやるなんて何とも優しい男だ―という印象だった。



1983年、北海道は釧路生まれの22歳。身長は180cmと、ミドル級としては特別大きくもないが、ガッチリとした骨太な体格と“武士”のような風貌は迫力満点という感じだ。
10歳上と8歳上のお兄さんがいる、男3人兄弟の末っ子で、お父さんはトロール漁船の通信士として、漁のサポートをする仕事をしている。「普通の家庭ですね。特にハングリーな家庭環境でもなかったです」非常にナチュラルな雰囲気で、ミドル級ホープは語った。
「子供の頃から体が大きかったんで、友達と一緒にふざけて遊んでいると、よくイジメていると勘違いされましたね・・・」ちょっと体は大きいが、本当にごく普通の少年だったようだ。
小、中、高とサッカーチームでゴールキーパーとして活躍していた清田少年は、サッカー推薦で高校に入学したほどの逸材だった。しかし、「その高校のサッカー部がいまひとつシャキッとしていなかった」という理由で、つまらなくなって別のスポーツを探した。
そして釧路にあるアマチュアのボクシングジムを見つけた清田少年はそこへ通い始めた。また、総合格闘技の練習にも参加したことがあったらしい。「でも、寝技とかあるじゃないですか。もみ合っていると、どうしても相手の股間が顔にあたったりして、こりゃ我慢出来ないなって思いましたね・・・」
3ヶ月ほどボクシングのトレーニングを重ねた清田少年は、高校卒業と同時に自衛隊の就職試験を受けたが、残念ながら不合格となってしまった。
進路に迷っていた清田少年は、釧路のアマチュアジム会長から東京行きを勧められた。「会長は、東京でボクシングをやれって言うんですよ」彼の才能を買ってくれた会長の言葉に従い、清田少年、改め清田青年は、「とりあえず」上京することになった。
総合格闘技での“例の経験”から、「キックボクシングならいいかな」と思っていたところ、フラッシュ赤羽ジムの川島会長から「とりあえずボクシングやれ!」と言われて、とりあえずボクシングを始めた。「とりあえずってのが多いんです・・・」そう言って笑うミドル級ホープは、失礼ながら笑顔が本当に可愛いらしい。10勝(8KO)のハードパンチャーをイメージするのは難しかった。
東京での生活では、警備員、ガソリンスタンド店員を経て、現在はトレーナーの紹介で肉屋の配達のアルバイトをしている。「もう、3年になりますかね。昔は朝6時半頃からの勤務でしたが、今は9時から午後3時くらいなので楽ですね」ミドル級ホープはナチュラルな可愛らしい笑顔(何度も失礼)で語った。

今、「幸せだな〜」と感じる事は、「いい練習が出来たなって思うとき。日曜日に夕方まで爆睡した時。美味いものを沢山食べた時」。
今、「ワクワクするぜっ!」と感じる事は、「ウェイトとトレーニングで自分の体が変わってきたと感じた時」既に筋骨隆々といった感じの体だが、ボクシングを始めてからはきちんとしたウェイトトレーニングはしてこなかったという。「7月に初黒星を喫してしまいましたけど、逆にそれまでの反省点を見つめることが出来て良かったと思ってます」―偉い!“災い転じて福となす”“変毒為薬”正しい使い方かどうか分からないが、そんな感じである。
今、「誇りに思える」ことは、「やっぱり両親ですねえ。存在はとても大きいです。俺の試合を見る為だけに北海道から来てくれるんです。東京見物でもしていけばいいのに、本当に俺の試合の為だけに来てくれるんですよ・・・」―偉い!間髪入れずに「両親を尊敬する」と言える若者は、今では珍しいのではないだろうか。

今回、F赤羽ジムの川島会長は外出していた為、お会いすることが出来なかったのだが、翌日ご丁寧にお電話をいただいた。「すいませんねえ!手土産まで頂戴しちゃって!」髪には金のメッシュ、洋服はど派手な川島会長だが、心は非常に温かい。
清田選手が、そんな川島会長と初めて会ったのは、上京して川島ジムを訪ねた時のことだった。場所がよく分からず、電話で問い合わせると「赤い車が停まってるから!」と威勢のよい声が返ってきた。曲がり角を入ると真っ赤なリンカーンがドーンと横付けされていた。「赤い車って、リンカーンかよ・・・」清田青年は、少し弱気になった。「おうっ!」と、髪に金のメッシュと、ど派手な服を来た男が出て来た時は、一瞬「釧路へ帰ろう・・・」と思ったと言う。
今では後援会周りで川島会長と行動を共にする機会が増え、「とても選手思いの人であることが分かってきました」と笑う。「でも、会長が酔いつぶれて俺が運転して帰ることが多いんですよね・・・」と、ミドル級のハードパンチャーはまた可愛らしい笑顔を見せてくれた。

「ヒップホップミュージックが大好きな」という22歳の将来の夢は、「やっぱり世界チャンピオン」―。ミドル級といえば、日本人には手の届かない階級と言われてきたが、竹原慎二がWBAタイトルを奪取したことで、その礎は築かれた。「とりあえず」ボクシングを始めたこの自然体の男も“そこ”に立つ可能性があるということだ。
日本では、なかなかスパーリングパートナーに恵まれないという不利はある。「アメリカへ修行に出かけて、バンバンでかい選手とスパーリングしたいです。今、その為のお金を貯めてるんです」川島会長には、あまり賛成されていないそうだが、釧路から来たハードパンチャーの胸の内は熱い。

最後に「世の中に向かって叫びたい事」を尋ねると、「いやー、何でしょうねえ・・・。ん〜、“俺はここにいるぞ〜”―みたいな・・・」と、あの可愛らしい笑顔で答えてくれた。「“みたいな・・・”って付けといて下さいね」と、照れながら語ってくれた今回の“戦士”―日本ミドル級8位 清田祐三。初黒星という挫折を自然体で乗り越え、いつか“そこ”に立つことを目指して走り続けて欲しい。

清田祐三選手のホームページです。アクセスしてみて下さい。
http://yuzo1006.fc2web.com/frame.html




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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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