その30 ヨネクラジム 山口裕司選手


PHOTO BY 山口裕朗



 「“夢”っていう言葉は、あんまり好きじゃないんですよね。何か現実的じゃない気がするんです。世界チャンピオンになることは、“夢”じゃなくて“目標”なんです」
 ラップミュージック好きの“今風”な26歳が、軽い感じで語る言葉の一つ一つは、ずしりと重く私のハートに響いて来た。

 予定されていた6月4日の世界戦が、残念ながら延期となってしまった先月の“戦士”福島 学選手(JBスポーツ)は、現・日本ウェルター級1位の山口裕司選手(ヨネクラ)を私に紹介してくれた。
 今回の取材に先立ち、5月18日に後楽園ホールでおこなわれた山口選手の試合を観戦して来た。初めて見た山口裕司は、“実力”と“華”を兼ね備えた、勢いを感じさせる選手だった。ラップミュージックで“派手に”そして“軽快に”セミファイナルのリングに入場した山口裕司は、僅か1ラウンドでタイ人をマットに葬ってしまった。
 「あんなに“ノリノリの若者”と、果たして話が合うだろうか・・・」この試合から2週間ほど経ったある夕刻、一抹の不安を覚えつつ、ヨネクラジムへ山口選手を訪ねた。

 「今日は誰の取材に来たんだ?」私の顔を覚えていて下さったのだろうか、ボクシング界の大御所である米倉会長がニコニコと話しかけてくれた。
 「山口選手の取材にお邪魔しました!」こちらも喜んでお答えすると―、「おう、そうか、そうか、ヤツはなぁ・・・」と、ホープに関する逸話を語ってくれた。
 かつて大橋秀行氏(元・WBA・WBC世界ミニマム級王者)や、川島郭志氏(元・WBC世界Sフライ級王者)らが、走りこみのキャンプを張った伊東で生まれ育った山口少年は、元王者達の宿泊地に遊びに来てはボクシングの真似事をして遊んでいたらしい。米倉会長が、「大きくなったらヨネクラジムに来るんだぞ」と話していたことをずっと覚えていた山口少年は、成長してその言葉通りヨネクラジムに入門したのだ。「こっちはすっかり忘れていたんだけどな、ハハハ!」と、会長は嬉しそうに笑った。「真面目な男だよ・・・」黙々とサンドバッグを叩く“ノリノリの若者”を眺めながら、米倉会長が呟いた最後の言葉がとても印象に残った。

 元・東洋太平洋フェザー・ライト級王者の渡辺雄二を輩出した沼津学園に入学した山口裕司は、ボクシング部に入部して全国選抜大会で優勝し、日大へ進学後はアマ全日本王者まで上り詰めたエリートボクサーだ。しかしこの“ノリノリの若者”は、なかなか破天荒な少年時代を過ごしている。
 「ガキの頃の話なんですけどね・・・」、ある海洋公園で飼育されているペンギン君を連れ出し、観光客に抱かせて記念写真を撮影するというサービスで小遣い稼ぎをしていたらしい。「せっかく稼いでもエサ代が結構かかっちゃうんですよ・・・」と、よく解らないことを楽しそうに語っていた。「本当は自然に帰してやろうと思ったんですけど、きっと生きていけないだろうと思ってビジネスパートナーになったんです」―ますます解らなかった・・・。
 「真の強者になる為に―」と、動物園の猿山へ乗り込み、ボス猿に決闘を申し込んだこともあった。「友達と二人で花火とバナナを持って乗り込んだんです」と、またよく解らない話が始まった。一緒に乗り込んだ友達と一騎打ちになったボス猿は、ボディブローを食らってたじろいでしまったらしい。結局、山口裕司の武勇伝とはならなかったが、力試しの為にボス猿に挑む少年の発想自体、ちょっと普通じゃない―。

動物達との触れ合い(?)に走ったのは、両親の別居という「胸が引き裂かれるような辛い思い」があったせいかも知れない。「どっちに付いて行く?」という辛い選択を強いられ、母親と二人の生活を余儀なくされた。母親は仕事で家に居ないことが多く、「いつも鍵っ子だった」少年が明るく生きてゆく為には、何かと触れ合うことが必要だったのだろう。
 幼少の頃から家にはサンドバッグがあり、山口少年は必然的にボクシングにはまってゆく。母親も「なかなかのしっかり者」で、中学1年の夏休みには「何事も基本が大事!」と、山口少年をヨネクラジムに住み込みで預けて鍛えさせた。「楽しくて夏休みが終わっても帰らなかったもんで、教頭先生が連れ戻しに来たんですよ!」―ホントにいつも明るい男だ・・・。

 「顔とか外見ではなく、“カッコ良く”生きたい」と山口裕司は語る。高校、大学とアマチュアボクシングで活躍し、熱海市の公務員として就職が決まっていたのだが、ある日、仲間と酒を飲みながらテレビのボクシング中継を見て、「あーでもない、こーでもない」と言っている自分達のことを“ダサい!”と感じてしまった。「銭湯とかで、『俺は昔ボクサーだったんだ』って、大したことない過去を自慢するオヤジがよくいるじゃないですか。そんなオヤジにはなりたくないって思ったんです」次の日には東京へ出てジムの門を叩いていた。

 こうしてヨネクラジムにたどり着いた山口裕司は、1年後の2001年5月にプロデビューし、連勝街道をばく進した。現在12勝(8KO)1分と絶好調―。
 ジムでは、「今日は“サンドバッグ祭り”です」と10ラウンドに及ぶハードなサンドバッグ打ちを楽しくこなしていた。試合の1ヶ月前に、米倉会長作成の通称「スケジュール」が手渡されるまで、普段は自分でメニューを組み立てて練習している。自己管理の出来ない人間は、生き残れるはずもない。ただの“ノリノリの若者”では、もうとっくに消えてしまっているだろう。
 現在の日本ウェルター級王者は、史上3人目の3階級制覇を成し遂げた湯場忠志(都城レオスポーツ)だ。「俺は明日にでもやりたいですね」と自身満々の山口裕司だが、実現したら是非見てみたい1戦である。

 会話の中で終始感じられたのは、見かけや言動が“ノリノリの若者”のわりに、本質的にはとても謙虚で礼儀正しい人間だということ。動物達との逸話でも、その節々に優しさや思いやりを感じ取ることが出来た。とっても素敵な男だ―。
 尊敬する人物を尋ねると、間髪入れずに「母親ですね」という答えが返って来た。実質的に、女手ひとつで自分を育ててくれた「母さん」のことを語る“ノリノリの若者”の姿はちょっとアンバランスで、そして眩しかった。
 先月対談した福島 学選手といい、母親思いの“戦士”が続く。二人とも見かけとは裏腹(?)に、とても人間的で温かい。どこか通じるものがある人達の連帯で成り立っているところが「戦士と語る」の醍醐味でもある。
 一ジムの会長という立場で、この連載をどこまで続けられるか分からないし、本業の傍らでの執筆活動は結構ハードだが、こんな楽しいことはそう簡単にはやめられない。
 今回の“戦士”山口裕司選手にも、“夢”ではなく“目標”を達成出来るよう、是非頑張って欲しいと心から感じた夜だった。




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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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