その29 JBスポーツジム 福島 学選手


PHOTO BY 山口裕朗



 「尊敬する人間と言えば、やっぱり女手ひとつで兄貴と自分を育ててくれた母親ですかね。丈夫に産んでくれたことに感謝しています」
 今回、こうして初めて話をするまで、気難しい、とっつきにくいという印象を勝手に抱いてが、いやいや、穏やかでとても人間味のある“ナイスガイ”だった。

 今回の“戦士”は、先月、惜しくも日本Sバンタム級タイトル防衛に失敗してしまった、角海老宝石ジムの中島吉謙選手からの紹介で、6月4日に世界挑戦を控えたJBスポーツジムの福島 学選手だ。
 “写心家”山口裕朗氏と共に、久しぶりに東京綾瀬のJBスポーツジムを訪ねた。高橋直人会長にあいさつをしてジム内を見学していると、山田武士トレーナーとのマスボクシングを終えた福島選手が、「今日はよろしくお願いします!」と笑顔であいさつをしてくれた。それまで勝手に抱いていた印象とはまるで違い、とても気持の良い笑顔だった。
 ひと通りの練習を終えてストレッチをする福島選手に近寄り、ポツリポツリと語りかけると、フランクに、且つ礼儀正しく言葉を返してくれた。
 シャワーで汗を流し、着替えを済ませた福島選手と共に、我々はJBジム近くのファミリーレストランへ向かった。「あんまりお店を知らないんで、ここでいいですかね・・・」申し訳なさそうに我々に尋ねる“庶民的な”福島選手に、私は更に親近感を持ってしまった。

 昭和49年に福島県郡山市で生まれた福島選手は、今年の8月で31歳になる。これまでの戦績は35戦27勝(18KO)6敗2分という、近年では珍しく試合数の多い選手である。これだけの試合をこなしているからには、苦しいことや辛いことも沢山あったと思うが、本人はいたって陽気で、修羅場をくぐり抜けてきた重苦しさは微塵も感じられない。むしろ“よく街で見かける一般の若者”といった感じだ。 
「ウチはあまり裕福な家庭ではなかったですね。僕は外で遊んでばかりの悪ガキで、むやみに人を叩いてよく注意されてました」
 中学時代は部活動と新聞配達のアルバイトに精を出し、早くから家計を助けるようになっていた。高校時代には3年間アルバイトに明け暮れていたという。
 ちょうどその頃に読んだ、森川ジョージ氏の「はじめの一歩」というボクシング漫画に心を奪われ、「一度やってみたい・・・」と夢を温めていた。
 高校を卒業後、福島県のビルメンテナンス会社に就職したが、その会社の社長が、ボクシングを志していた福島選手を応援してくれることになった。新しく開設されることになったJBスポーツジムを紹介してくれ、東京での仕事も住まいも紹介してくれたのである。JBスポーツジムは、偶然にも「はじめの一歩」の作者 森川ジョージ氏がジムのオーナーだった。
 
 JBスポーツジムが開設された当初からの門下生だった福島選手は、会長の高橋直人氏と年齢が近いこともあり、昔は友達のように、食事に行ったり遊びに行ったりしていたらしい。しかし、高橋会長は、「やっぱり選手とは一定の距離を保つべきだ」と考えるようになり、自ら意識的に壁を作るようになったという。選手に対して距離をとり、厳しく接するようになった高橋会長の指導方針に付いて行けない選手が数多くいたが、「会長の気持はは僕が一番解っています」と、師匠に対する思いに変化はなかった。 
 現在、福島選手を担当する山田武士トレーナーについて尋ねると、「最高のトレーナーですね」と間髪入れずに答えが返ってきた。「やりたい様にやれ」と、放任主義の様にも見えるが、自らマスボクシングやスパーリングの相手を務めるなど、体を張った指導をしてくれる。「僕はやらされるのではなく、自分で追い込む練習をしたいタイプなんです」そんな福島選手を上手にコントロールし、結果を出させている山田トレーナーはやはり「最高のトレーナー」なのかも知れない。「山田トレーナーに教わってて、みっともない試合は絶対に見せられないです」という“不思議な信頼関係”で結ばれているのだそうだ。

 福島選手には、8歳年上で会社勤めをしているお兄さんがいる。奥さんとお子さんが二人いて、福島兄弟のお母さんと同居しているのだそうだ。「母が兄夫婦と同居しているので、安心してボクシングに打ち込めるんです」と、お母さん思いの“ナイスガイ”は顔をほころばせた。ファイトマネーを仕送りしたり、旅行に連れて行ってあげたりと、親孝行ぶりには頭がさがってしまう。

 日本王者になったころから、福島選手はボクシング一本で生活をするようになった。日本王者の年収は選手によって様々だが、「たまに故郷に帰省すると、新聞や雑誌に取り上げられているせいか、相当儲けていると思われるんですよ・・・」実際は、そんなことはないらしいが、他に仕事をしないでボクシングに打ち込めるというのは、スポーツクラブに通う時間が確保出来たりして、かなり利点が多いとのことだ。

 6月にWBA世界バンタム級王者 ウラジミール・シドレンコ(ウクライナ)に挑戦することが決まり、もうひとつ上のステージに上がるチャンスを得た福島選手だが、このチャンスをくれたのはジムオーナーの森川ジョージ氏だった。
 多忙の為、試合時や試合後のあいさつ時くらいにしか会うことが出来ない存在だそうだが、「“和”を重んじる大人の男性で、本当にいい人です」と氏を絶賛する。今回の世界戦にかかる多額の費用を「俺が出すよ!!」と全額出資してくれることになったそうだ。ボクサーを志すきっかけとなった漫画の作者が、こうして世界戦のチャンスを与えてくれる存在になるとは、想像もしなかったことだろう。



 今年31歳―ボクサーとしては決して若いとは言えない年齢に差し掛かった福島選手だが、将来設計についてはどんな風に考えているのだろう・・・。「今は世界を獲ることだけですね」―興味本位で聞いてみたのだが、馬鹿な質問をしてしまったと後悔した。もし私が同じ立場だったとしても、同じように答えただろう。
「辰吉丈一郎さんや坂本博之さんはカッコいいと思います。周りはいろいろ言うかもしれませんが、辞める時は自分で決めます。僕もまだまだ続けるつもりです」―“ボクシング人”という人種のひとりとして、「頑張って欲しい」と心の中でつぶやいた。

 休日は手品の研究に明け暮れているそうだ。ネタは20くらいあるらしい。「でも、部屋でひとりで練習していると涙が出ますよ・・・ハハハ」とおどけながら、その場でいくつかの手品(マジックと呼ぶらしい)を披露してくれた。
 何も持っていないはずの手からお札が現れるマジック、ゴムひもに指輪を通して斜めに持ち、低い方から高い方へ指輪が登ってゆくマジック―「家にいろいろ道具があるんですけど、結構お金かかるんですよね・・・」勝手に抱いていた、気難しい、とっつきにくい印象などはるか彼方へ消え去ってしまい、フランクで礼儀正しいエンターティナーがそこにいた。

 5月8日は母の日。孝行息子はお母さんに何を送ったのだろうか。来月4日にベルトが獲れたなら、更にビッグなプレゼントとなるはずだ。
 頑張れ、“ボクシング人”―





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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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