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「人との出会いにはホント恵まれていると思うんです―」インターハイ準優勝の実績を引っさげて名門・協栄ジム入りしたエリートは、思いの他、謙虚で純朴な好青年だった。

協栄ジムを訪問するのはこれで3ヶ月連続となるが、選手やトレーナー方とも親しくなることが出来、敷居の高いイメージだった名門・協栄ジムにも大分お邪魔し易くなってきた気がする。
今回は、先月号の“戦士”渡部信宣選手からの紹介で、同じ協栄ジムの寮生である中辻啓勝選手に語ってもらった。
JM加古川ジムの熟山竜一を輩出している、名門・西宮香風高校(旧・西宮西高校)出身の中辻選手は現在21歳。アマ戦績42勝12敗。プロ6回戦デビューで1勝0敗という、期待のホープだ。
1ヵ月後の試合に向けてジムワークに取組んでいた中辻君は、協栄ジムに足を踏み入れた私を見つけると、スタスタと近づいて来て“屈託のない笑顔”で挨拶をしてくれた。ひと通りの練習メニューを終えると念入りなストレッチで体をほぐし、その日のジムワークを終了した。その後、我々はジムを出て近くのしゃぶしゃぶ屋さんで団欒を楽しむことになった。
大阪で生まれ、小学1年の時に兵庫県へ移り住んだ中辻君は、元気一杯のスポーツ大好き少年だった。「生徒会長もやったんですけど、3日でクビになっちゃいました」元気が良すぎて少々問題になることもあったとか・・・。
6年生の時、近所に住んでいた格闘技好きの祖母と一緒に“辰吉丈一郎”の試合をテレビで見たことがきっかけだった。「ボクシングをやってみたい!」と、中辻少年は思うようになった。しょっちゅうケンカばかりしていた少年時代、「同じ体重の人間には絶対負けない!」という自信があった。
そして中学卒業後、ボクシングの名門である旧・西宮西高校の定時制へと進学し、親元を離れて寮での生活を開始した。「今でもそうですが、お母さんは俺がボクシングをやることには反対でした。でもお父さんは『好きな事をやれ』って応援してくれたんです」お父さんの後押しもあって、ホープのボクシング人生がこうして始まったのである。
2年生の時にインターハイでベスト16―。3年生では準優勝という成績を残した。高校時代に通算54戦というかなりの数の試合をこなした。「先生がホントに沢山機会を与えてくれたんです」と、感謝の思いを語っていた。中辻君は、このインタビューの中でしばしば周囲への感謝の思いを口にした。「若いのに偉いなあ・・・」と、オジサンは妙に関心してしまった。
高校卒業時には、“インターハイ準優勝”のホープに大学のボクシング部や、プロのジムから幾つもスカウトの話がもちかけられた。もともとボクシングに反対だったお母さんだったが、「将来のことも考えて大学のスカウトを受けなさい」と勧めた。しかし、中辻君は「協栄ジムからのスカウトを受ける」という道を選択した。「大学のボクシング部は“遊び”の誘惑が多く、本気でやるつもりなら絶対プロのジムの方がいい!」という尊敬する先輩のアドバイスが決め手となった。
兵庫県から中辻君をスカウトして来た協栄ジムは、いろいろな好待遇でホープを迎えた。とは言っても、ボクシング一本で食べていくにはまだちょっと早かったようだ。昼間は、そば処
“まつ浅”でアルバイトをしながらトレーニングに打ち込む日々が始まった。
この“まつ浅”では昼食の賄いのみならず、練習後の晩ごはんまで面倒を見てくれた。「試合の応援にも来てくれるんです」と中辻君は嬉しそうに話す。兵庫の両親が倒れてしまい、止む無く長期帰省した際には、その後代わりのアルバイトを雇ってしまっていたにも拘らず、再び東京に戻ってきた中辻君に「もう一度来てもらって構わないよ」と言ってくれた。決してお店の経営が楽ではないことを知っていた中辻君は敢えてそれを断り、自分で別のアルバイトを見つけることにした。何と、それでも“まつ浅”はその後も彼の晩ごはんの面倒を見てくれたという。「今でも時々焼肉をご馳走してくれたりするんです」と中辻君は嬉しそうに話す。
今はラーメン屋の“天下一品”大久保店で働いている。「ここでも同じように良くしてもらっています」プロボクサーのほとんどはアルバイトをしながらジムに通っているが、勤務時間、収入、休暇、その他の協力体制など、“練習に集中できる好条件”で雇ってくれるところを探すのは結構大変だったりする。「中辻君は運がいいんだなあ・・・」初めはそんな風に思って話を聞いていた。
旧・西宮西高校時代の中辻君は、昼間は中華料理店で働き、夕方からの授業を終えた後、夜遅くまでトレーニングに励んでいた。この中華料理店の店長は、風邪で仕事を休んだ中辻君の寮まで弁当を届けてくれたことがあるという(この時は仮病?だったのでとても胸が痛んだらしいが・・・)。
ふむ、ふむ、どうやら中辻君はただ単に“運がいい”ということではなく、彼本人の性格、人間性がこういう人々を周りに呼び集めているのかもしれない。
協栄ジムに入門した年の11月、6回戦デビューで判定勝利を収めた。しかし、第2戦が決まった頃から極度の貧血や眼筋麻痺などがホープの身を襲った。検査の結果、“鉄欠乏性貧血”“胃出血”等の診断が出た。結局その試合の話は流れ、治療を受けながらの日々が長く続くことになる。「こう見えても結構デリケートなんですよ。ハハハ・・・」と、おどけて見せるホープだったが、何しろ8ヶ月間ストレッチだけの毎日。普通であれば投げ出したくなってしまうような状況の中で、「こんな時でなければ出来ない練習がある」と、担当の萩原トレーナーはいろいろな方法でホープをコーチし続けてくれた。
どうやら彼はこういった星―つまり“誰からも可愛がられる星”の下に生まれて来ているように思えてならない。それは正に中辻君本人の性格、人間性によるものであることに間違いないだろう。短い時間だが、こうして目の前でしゃぶしゃぶを頬張るホープの笑顔を見ながら、何となくそれが分かったような気がした。
「ホントはもっと遊びたいけど、それは強くなって有名になってから」と、今はボクシングに集中することしか考えていない。休日は上野などでブラブラするのが趣味だと言う。「食べ歩きが好きです。普段からアホみたいに食べるんですよ」と、しゃぶしゃぶを次から次に頬張るホープの“屈託のない笑顔”を見ながら、何となく私まで彼を応援したくなってきてしまった。とても不思議な星の下に生まれた“戦士”と過ごした不思議な時間だった。
3月24日(木)、中辻啓勝は1年4ヶ月ぶりの試合に挑む。デビュー2戦目、長いブランクを経て上がるリングだ。「若い時の苦労は買ってでもしろ」と、昔の人は言ったものだが、それが正しいことである―と“屈託のない笑顔”で証明して欲しいと思う。
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