その25 協栄ジム 佐々木基樹選手


PHOTO BY 山口裕朗



 皆様、新年明けましておめでとうございます。Talk is cheap リニューアル第一弾!張り切っていきたいと思います。本年もよろしくお願い致します!!

 “唯我独尊―”「自分にしか興味がない」という男を表現する時、自身が公言するこの言葉以上のものは見当たらない・・・

 前回お訪ねしたBOYS水戸ジム会長 中島俊一氏(元日本Sフライ級王者)から紹介していただいた“戦士”佐々木基樹氏と話すのはこれが初めてだった。
 自らジムを設立して“会長”という立場となり、=現場編=をスタートさせてから語ってきた“戦士”達は、トレーナーやマネージャーが多かったのだが、今回の“戦士”佐々木基樹(協栄)は、現役バリバリの日本ランカーであり、名門協栄ジムが誇る元日本Sライト級王者だった。
 私が純粋なライターであればともかく、他ジム=つまり“敵”にもなり得るジムの会長という立場で、よそ様の選手といろいろ語り合ってよいものかどうか・・・、そんなことに少々気を使ってしまった。
 しかし、その辺のことは佐々木さんがジムに話を通しておいてくれた為、ひとまず我々はスムーズに名門協栄ジムの敷居をまたぐことが出来た。

 佐々木基樹といえば、最も話題となるのが、日本Sライト級王座を獲得した湯場忠志戦である。多くのライターが執筆しているその話題について、同行した“写心家”の山口裕朗も興味深々だった。当時、世界に向けて破竹の勢いだった湯場忠志を、緻密な戦略によって9RTKOに下し、日本Sライト級王座を強奪した試合は、ボクシング界で大きな話題となった。

 しかし、その話題は他のライターの方にお任せして、私は佐々木基樹の素顔に迫ってみたいと思う。あしからず・・・



 協栄ジムを訪れたのは、現役時代に勇利アルバチャコフのスパーリングパートナーとしてお邪魔して以来だった。ジム内は多くの練習生で活気に溢れていた。佐々木さんは、ジミンコーチや日本バンタム級王者のサーシャ・バクティンらと共にトレーニング中だったが、私が到着すると気さくに挨拶をしに歩み寄ってくれた。
 旧ソビエトでナショナルヘッドコーチを務めていたというジミンコーチの、科学的で合理的なトレーニングと、佐々木さんの無頼派で厳つい顔(スミマセン)とが妙にアンバランスで興味深かった。といっても、佐々木さんも早稲田大学を卒業したエリートボクサーとして知られる、実はとても知的な人なのである。

 佐々木さんがボクシングを始めたきっかけは―、
「“強さへの憧れ”と“過剰なエネルギー”かな・・・」

 ジムではすぐに頭角を現し、自分の生きる場所を見つけた佐々木さんだったが、ボクシングをする為にあえて大学(早大教育学部)に進学する。私もかつて大学在学中にデビューした選手だった為、彼の“思い”に興味を抱いた。
「大学にいる間はボクシングに専念出来る。4年間でランカーになれなかったらやめるつもりでした」
 教育学部を出ても教員になる気は全く無く、あくまでもボクシングをする為に大学へ行ったという。教員を目指すかどうかはともかく、大学時代にプロボクサーとしての確固たるアイデンティティを確立していた点は私も同じだった。
あくまでも素顔に迫るべく、女性関係の話まで突っ込んで質問してみると―、
「ボクシングをやっているとモテますね。早大でプロボクサーとくりゃ、そりゃあモテましたよ」
学生結婚して既に子持ちだった私は、その点は同じでなかった・・・。




 今年30歳になる佐々木さんだが、将来設計について尋ねてみた。20台前半の選手とは違い、現実も分かってくる大人のボクサーとして、将来をどのように考えているのか聞きたかった。
「具体的な将来設計はまだ考えてません。今はチャンピオンになることだけです」
愚問だったかもしれない。彼は『非電波少年的拳闘生活』という自身のホームページの中で、「俺は、熱くなるために生きている。天に向かって“我が生涯に一片の悔いなし!!”と断言して死にたい」と述べている。“今”熱く生きることが彼にとって最大の価値なのだ。

 ご存知の通りボクシング界に疎い私は、佐々木さんについて、事前にインターネットを駆使して情報収集をした上でインタビューに臨んだつもりだった。しかし、佐々木さんについて最も充実した情報源である、この『非電波少年的拳闘生活』という個人サイトだけを見落としてしまっていた。
「新田さん、検索エンジンのトップページに出ているはずなんですけどねえ・・・」
正月早々、天然ボケを披露してしまったが、かえって親しみを感じてもらった(はずである)。良かった、良かった?
「俺もボクシング界には疎いですから!」
気を使ってくれた佐々木さんの厳つい顔がほころんだ。
 後日、『非電波少年的拳闘生活』を閲覧させていただいた私は大いに後悔した。その充実したコンテンツには、佐々木さんの魅力が満載で、ご自身が執筆された日記や世界中を冒険した写真など、興味をそそられる内容で一杯だったからだ。

 さて、ジムでは東日本新人王を獲得した頃から、ずっと長い間ジミンコーチの指導を受けているという佐々木さんだけあって、ふたりのやりとりはピッタリと息が合っていた。

「何語でコミュニケーションをとってるんですか?」
日本語があまり達者でないジミンコーチと、どうやって一緒にトレーニングをしているのかが不思議で仕方なかったので聞いてみた。
「“ジミン語”ってのがあるんですよ」
ロシア語と日本語、そして英語をミックスした“師弟にしか分からない言語”でふたりはコミュニケーションをとっていた。残念ながら、やはりそばで聞いていても理解するのは難しかった。
 緻密に計算された科学的なトレーニング―それは知的な佐々木さんにとって、ピッタリのトレーニング方法だった。

「ジミンさんは、実に合理的なトレーニングをする。俺は科学に裏打ちされたトレーニング理論というところが一番気に入っている」
佐々木さんは、ジミンコーチのことをそんな風に語っている。

 それでも師弟は何かと口論になるという。「口論の時は英語ですね。だってジミンさんの日本語より俺のタイ語の方がましなくらいですから・・・」
 試合の合間を縫って、タイをはじめ、カンボジア、ラオス、中国、チベット、ネパール、韓国、アメリカ、メキシコと世界中を訪れて「基樹参上!」と叫ぶ“唯我独尊”の男は、この夜も“熱くなるため”に語り続けてくれた。




 佐々木さんは『非電波少年的拳闘生活』の中で、あるライターの記事を次のように評している。
「俺のコアを、どうすれば効果的に伝えられるか。そもそも俺のコアとは何か・・・。出来上がった文章は素晴らしいの一言。ありきたりのインタビューを、ものの見事に素晴らしい記事にまとめている。点と点を線で結び、確たる“個”が演出されている」
 私は今回、そのライターのように佐々木さんのコアをうまく表現出来なかったかもしれない。しかし、この厳つい顔をしたエリートボクサーに魅力を感じたこと、そしてその過剰なまでのエネルギーをこれから見てゆきたいと感じたことだけは明記しておきたい。

 「チャンピオンになる」
 「タイトルを防衛し続けて今年を終える」
『非電波少年的拳闘生活』の中で、200511日の日記に、彼はその2行をしたためていた

 35日(土)佐々木基樹は日本Sライト級王者木村登勇(横浜光)に挑戦する。




■ 戦士と語る By 新田渉世 ■ Back Number

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・2005 その25 協栄ジム 佐々木基樹選手

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●新田 渉世 (にった しょうせい)
1967年生まれ。92年横浜国立大学卒業。96年東洋大平洋バンタム級タイトル獲得。97年引退。98年米国サンフランシスコへ移住し、『ワールドボクシング』誌にて「ショーセイのアメリカボクシングライフ」連載開始。99年『Talk is cheap』にて「戦士と語る」連載開始、同年ケンウッド入社。03年2月神奈川県川崎市に新田ボクシングジムをオープン、同年ワールドボクシングwebサイト上にて「新米ジム会長奮戦記」連載開始。04年東日本プロボクシング協会書記担当理事に就任。

新田ボクシングジムHP
http://www.nittagym.com/

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