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無名のボクサー

ボクシングの聖地と言われる東京・後楽園ホール、この場所で1年間に数百試合が行われる。
しかし、人々が起きている時間に生中継されるタイトルマッチは年に数回程度しかない。
その他のほとんどが、世に名を馳せることを夢見る無名のボクサー達である。

ファイティング原田や具志堅用高などの名チャンピオンが華々しくテレビに登場した1960年代〜1970年代を境に
ボクシング人気は低迷の一途を辿り、ボクサーを目指す若者も減少し続けている。
血生臭いリング、汗とワセリンの臭いが充満する控え室、そこには、今の時代には似つかない生の空気がいたるところに漂っている。
そこで、多くのボクサーは、己の強さと弱さに向き合い、自分の生きる意味を見つけ出そうとしているのだろう。
なぜ戦うのかという質問をぶつけると必ずといっていいほど「強くなりたいからです」という答えが返ってくる。

現在行われているスポーツの中で、最も危険なものはやはりボクシングだ。四角いリングの上で、まさに死闘が繰り広げられる。
肉体的、精神的に極限の状況の中で、殴りあう。
そこには、拳を交えたことのある者しか立ち入ることが許されない聖域が存在するのだ。
彼らにしかわからない何かがボクサーをリングへと向かわせている。強いて言うならば、ボクシングの神様が、彼らを導いているのかもしれない。
歓喜に酔いしれる者がいれば、敗北を受け入れられず、自らの足で歩くことすら出来ない者もいる。
その全てがボクサーの存在を証明している。

世界チャンピオンがボクサーなのではない。彼らの生き方がボクサーなのだ。
それは、とても不器用で、今の時代に逆行するものなのかもしれない。
しかし、私は、ボクサーを尊敬の眼差しで見つめている。
自らの生き方ですら、見出すことの出来ない人間が増えているこの世の中で、彼らは、もがきながらも自分を魅せること、
そして何よりも生きることに全力を燃やしているのだ。
スポットライトに照らし出されたリングで今日も男達の魂がぶつかり合う。
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