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ryuji

2005年10月31日、後楽園ホール。この日を最後に男はリングを去った。
男の名は久保田隆治。かつては日本ランキングにも名を連ねた8回戦ボクサーだ。
私が、彼と出会ったのは、2002年、場所はF・Iジムだった。当時、ジムには、A級ライセンスを持つボクサーは、久保田隆治ただ一人。必然的に練習生の注目を集めることになる。スパーリングが始まれば、誰しもが、自分の練習を止め、リングにくぎづけになる。試合前ともなると並々ならぬ緊張感を張り巡らせ、近づくことさえ許されないような雰囲気を醸し出す。ボクシングに真摯に向き合うその姿勢にはいつも頭が下がる思いだった。
プロボクサーの多くがそうであるように、ファイトマネーだけでは、生活が成り立たない。
そのため、週6日の建設現場での仕事を続けながら、週6日のジム通い、朝のロードワーク、これを日々繰り返す。普通なら挫けてしまいそうだが、彼の口から弱音を聞いたことはなかった。
私は、彼にこんなありきたりの質問をしてみた。「なぜボクシングを続けているのですか」。
その質問に彼は、「強くなりたいからです」と答えてくれた。私は、その言葉の重みをかみ締めた。金や名誉のためだけではない、ボクシングに対する強い思いが彼を支えているのだ。

2005年10月31日。
重苦しい空気が後楽園ホールを包み込んでいた。
薄暗いホールの片隅に赤のグローブを着け、白いガウンを着た久保田の姿が浮かび上がる。トレーナーに抱きしめられたその姿は、今にも壊れてしまいそうだった。
しかし、「この試合に勝てば、次は日本ランカーと試合が出来るかもしれない」そんな言葉が、私の頭の中に蘇る。
日本ランクへ復帰するためにも、敗北は許されない。
「勝ってくれ」私には、そう願うことしか出来なかった。

開始のゴングが鳴る。お互い距離を保ちながら様子を伺う静かな立ち上がり。しかし、3ラウンドに試合が大きく動く。数発のパンチを打ち込まれ、棒立ちになってしまった男の姿を私のファインダーが捉えた。私は、何が起きているのか理解することが出来なかった。
次の瞬間、レフェリーが大きく立ちはだかり、試合を止める。それに抵抗するように首を大きく横に振った。まだ出来る、そう言いたかったのか。その願いを断ち切るように、ゴングが打ち鳴らされた。
この瞬間、久保田のボクサーとしてのキャリアは終わりを告げた。

多くの人々にとって、彼は無名のボクサーに違いない。
しかし、私にとっては忘れられない存在となった。
世界チャンピオンだけがボクサーではない。
テレビには映らない彼の姿は
今も私の記憶の中で生きている。
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