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あからさまな“敵地”の雰囲気の中で、相手との間にはあからさまな技量の差があって。でも、そんなことは、林田龍生の意識には入っていないかのようだった。クリーンヒットされても、ダウンしても、まるで顔色ひとつ変えずに、また相手に向かっていくだけなのだ。
もうあれからひと月近くも過ぎてしまったが、すぐに彼の姿を思い出すことができる。4月2日(現地時間1日夜)、カリフォルニア州モンテベロ、クワイエットキャニオン・カントリークラブのボールルーム。元OPBFライト・フライ級王者の林田は、空位のNABOスーパー・フライ級王座をかけて、アルメニア人のカーレン・ハルシニアンと戦っていた。ロサンゼルスの東部に位置するモンテベロは、アルメニア人が多く居住するグレンデールからそう遠くはない。当然のごとく会場はハルシニアンへの期待だけが充満していた。しかも、これが再起戦のはずのアルメニア人はデータ(11勝2敗3分0KO)からの印象と違い、すばらしいハンドスピードと当てカンのあるつわものだった。
コーナーには、かのフレディ・ローチがいる。 「実は最初の1ラウンドで、“もつかなぁ”って思ってましたよ」。林田はあとで、笑いまじりにそう話した。でも、彼の中にそんな感情があったなんて、観客はもちろん、まん前にいるハルシニアンにも悟られなかったと思う。ラウンドが進むにつれて、圧倒的に勝っているあちらの方が集中力とスタミナが切れてきて、「なんで降参しないんだよ。もう勝負ははっきりしてるじゃないか」とでも言いたげだった(ように見えた)。
元OPBF王者・林田龍生と初めて話をしたのは、去年の8月。2月に畠山昌人のもつ日本タイトル挑戦に失敗し、6月の再起戦で升田貴久に敗れ、初の連敗にぶちあたった彼は単身、まさに“ふらり”というふうに、カリフォルニアを訪れていた。そういう時期だったせいもあろうけれど、30歳の元チャンプは、ぼそりぼそりとしゃべり、まったく主張や断言をしない人だった。激しい感情をあらわにしたことなどなさそうだと思った。とにかく一度ボクシングから離れてひとり“今後”を考えようと、帰る日も決めずにここにいるのだという。
私の知っている“林田龍生”はスタミナがあってパンチに対しては並外れてタフで、相手を根負けさせるようなボクシングをする、と言うと、「そう。自分でもそう思ってきたんだけど、このところ、その点に自信がなくなってきたんですよねぇ」という言葉が返ってきた。…チャンピオンも経験したし十分頑張ったという気持ちはある…でも、連敗のままやめてもいいものかとも思う…周りに期待してくれている人もいる……と、迷っていた。そんな彼の話を聞いて、自身の中に不安が生じたのならボクシングはすべきではない、むしろできないのではないかと思った。でも、このままでは未練を残さない自信がないんだろう(すっきりやめる人なんていないのだろうが…)、とも感じた。
結局、ほどなく彼は走り始め、ジムワークも再開した。滞在中に試合をしてみようという話が持ち上がって、最初は乗り気ではなかったようだが、最終的にはリングに上がった。そして、粘っこく戦い、ベテラン・メキシカンを十分に苦しめ、さっきまでブーイングをしていた観衆から大きな拍手を浴びた。判定は失ったものの、林田龍生から、ここで会ったばかりのころの歯切れの悪さは消えうせていた。
あれから約半年。彼はまたカリフォルニアにやってきた。1度の土壇場キャンセルを経て、アメリカでタイトルマッチのリングに上がるのである。
「さいごにアメリカン・ドリームをつかんで帰ろうかなあと」。
言葉のスケールの大きさと、のんびりとした口調がアンバランスで、正直なところ言おうとするところがはっきりわからなかったのだが、今回は十分に準備ができたということだけは、彼に確認した。が…あまりにも相手はボクシングがうわてだった。すばやい踏み込みとコンビネーション、的確なパンチ。2ラウンドには左フック、右を浴びて深く腰を折り、3ラウンド、さらに波に乗ってきたハルシニアンの左フックで、タフなはずの林田が痛烈なダウンを喫してしまった。でも彼は、何事もなかったような顔をして立ち上がり、もちろん続行に応じるのである。その後も、アルメニア人の鋭いコンビネーションに時折ひざを揺らしながら、接近戦を嫌がる相手に向かってずんずんとプレッシャーをかけ、右を狙い続けた。7回には右クリーンヒットを奪い、8回には打ち合って会場を沸かせもした。10回、右カウンターをまともに浴び、体がスローモーションで横へ倒れていくか…と思われたが、彼はダウンを拒みきった。彼は最後の最後まで、折れなかった。林田龍生のスタイルを貫いて愚直に前に出続け、あきらめの気持ちなどこれっぽっちも見せなかった。そして、12ラウンド終了のゴングの瞬間、腕を下ろし、くるりと相手に背を向けてコーナーへ歩いていった。
結果は、107対120が二人と108対119の0−3。文句なしの、ワンサイド負けである。
控え室で第一声、林田は「つよかったぁ〜、相手」と言い、いすにもたれて天井を見上げた。
「すっきりしました。はい、そうですね、これで終わりにできる、そういう感じですかね。厳しい試合だったけど、おしい試合より完敗の方がいい」
24戦17勝(8KO)6敗1分、それが林田龍生の最終戦蹟になる、ということなのだろう。最後の2戦は、“冒険”といっていいであろうアメリカでの2戦は、レコード上は連敗を増やしただけのものに見える。けれど、サポーターのいないところで、不利な条件の中で戦ったこの2戦は、彼が自分自身と向き合うためには、きっと必要だったのだと思う。「アメリカン・ドリーム」。彼は少し冗談っぽく言っているように聞こえたけれど、実は深い深い意味があったのだな、と私は勝手に合点している。
| ■ わたしの・すきな・ふうけい in
LA By宮田有理子 ■ |
●宮田 有理子 (みやた ゆりこ)
1971年8月、大阪市生まれ。大学卒業後、ベースボール・マガジン社入社。事務的部署、陸上競技マガジン編集部を経て、97年からボクシングマガジン編集部で専門誌編集を経験。03年8月からフリーに。大阪を拠点に『ボクシング・マガジン』のほか、ランニングマガジン『クリール』で執筆。ラグビー、サッカーも勉強中。04年7月末から米国LAに留学。 |
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