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ブライアン・ビロリアにはまってしまった。
強情そうな太い眉と両腕の丸い筋肉が印象的なフィリピノ‐ハワイアンは、強気で痛快で、素敵だった。
頭が大きくて腕が短い体型もまた、元シドニー五輪米国代表というスマートな肩書きとアンバランスで、魅力的なのだ。
12月16日木曜日、LAダウンタウンのオリンピック・オーディトリアムで行われたWBCインターナショナル・ラティーノ・フライ級タイトルマッチ。
“ハワイアン・パンチ”というニックネームを戴く元オリンピアンのことは、もちろん活字や写真で認識はしていたが、試合を見るのは初めてだった。
そもそも、出場決定は試合数日前である。この夜、メインを張るはずだったフェルナンド・モンティエルがインフルエンザでダウン。ホープは、突然ふってわいたスポットに自ら飛びついたのだという。
相手はアンヘル・プリオーロ(コロンビア)。戦績は30勝(20KO)1敗、この唯一の黒星はイレネ・パチェコに敗れた6年前のもの、という、明らかなツワモノである。
そんなベテランを相手に、3日ほどの調整でリングに上がろうという突進型の姿勢がまず、すばらしい。
だが実際、これは間違いなくビロリアにとってハードな試合だった。手馴れのプリオーロが、柔軟な体の動きに乗せて、ジャブ、ワンツーにアッパーを効果的に混ぜ込み、“ハワイアン・パンチ”を封じていた。
「無敗のホープに試練!」。戦評を書くならそんなタイトルになろうか…。
などと思いながら見ていたが、ビロリアはまったく表情を変えず、黒い瞳でぐっと相手を睨みつけてじりじりプレッシャーをかけ続けていた。やみくもに振り回すわけではない。安全策に徹するわけでもない。つまり、危険だけどきわめて効果的なタイミングを選んで、強い左ボディブローを、右クロスを、狙っていくのである。
最初はそのタイミングに軽いカウンターを合わされていた。が、3回終盤、ついにその右でプリオーロをノックダウン!
コロンビアンの粘りでラウンドは進んだが、勢いに乗ったビロリアがボディブローでベテランを痛めつけ、7回54秒。チャンスを逃がさず連打で攻め上げ、跪いたプリオーロに10カウントを聞かせたのである。ブラボーである。お見事だった。
リングに大の字になって両手両足をばたつかせて何かを叫び、コーナーポストに上ってフラダンスを踊ったり、ひとしきり喜びを爆発させた後、声を上ずらせたままインタビューに答えていた。
「試合がキャンセルになってなかなか決まらなくてフラストレーションがたまっていたんだ。だって今年(2004年)はたった2試合しかしてなかったんだ。急に試合が決まっても、いつも準備しているから大丈夫。今日は、僕の持っているものを見せられて、ほっとしたよ。これからも、僕は誰とでも戦う」
嗚呼。私もこのチャンスに飛びつくべきだった。車で20分の距離で行われた興行だったのに、30ドルでナマ観戦できたのに…。テレビの前に座っていたことは、期末試験の真っ最中だったとはいえ、悔やんでも悔やみきれない。
一時、伝統のオリンピック・オーディトリアム売却の噂(LAジムとこのホールがある一画を韓国の宗教団体が買収するという噂)が流れた時は、最後かもしれないオリンピックでの興行に絶対行くと心に決めていたのだ。が、その噂が消えて安心し、今回は、代替メインイベントを軽んじて、英文法のテストをとってしまった。
以来、ビロリアに関する記述を読みあさっては、さらにこの痛恨が重くなっていくのである。
1980年11月24日、ハワイ州ホノルル生まれ、ワイパフ育ちの24歳。両親はフィリピン人。6歳でボクシングを始め、95年、96年とジュニア・オリンピックを連覇。難関を突破して2000年シドニー五輪ライトフライ級代表の座を手に入れ、ハワイ出身初のオリンピック・ボクサーとなった。五輪では不可解な判定でメダルを逃し、01年5月にプロデビュー。17戦16勝(10KO)、ひとつのノーコンテストがある。ハリウッドにあるワイルド・カード・ジムで、マニー・パキャオと同じくフレディ・ローチに師事。
地元ハワイでは有力紙の一面を飾るスターでも、プロモーターとの不協和に苦しみ、本土での生活に困った時期もあったという。
リングに上がることが、手に汗握るような戦いを見せることが、唯一できるプロモーション活動であり、世界タイトルに近づく道だと、彼は考える。
元トップアマのホープと聞くと、恵まれた環境の中でキャリアを積む、理性的なテクニシャンをイメージしてしまう自分の短絡さを反省しなければならない。
本当のホープは、美しい響きの肩書きから自立していて、野太く、たくましいのだ。
| ■ わたしの・すきな・ふうけい in
LA By宮田有理子 ■ |
●宮田 有理子 (みやた ゆりこ)
1971年8月、大阪市生まれ。大学卒業後、ベースボール・マガジン社入社。事務的部署、陸上競技マガジン編集部を経て、97年からボクシングマガジン編集部で専門誌編集を経験。03年8月からフリーに。大阪を拠点に『ボクシング・マガジン』のほか、ランニングマガジン『クリール』で執筆。ラグビー、サッカーも勉強中。04年7月末から米国LAに留学。 |
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