袴田さん再審支援活動についての所感

 この4月に、大橋秀行・大橋ジム会長を協会長とする新体制になった「東日本ボクシング協会」は、改めて同協会長を委員長に戴く「袴田巌再審支援委員会」を発進させた。袴田事件弁護団は5月8日、大橋さんを始め、7人の元世界王者を含む12人の協会関係者や「袴田さんの再審を求める会」のメンバーや袴田さんの実姉である袴田秀子さんらと共に、最高裁に「特別抗告申立理由補充書(二)」を提出。この「特別抗告」が袴田さんを救う最後の望みとなるわけで、今後の見通しに関しては全く予断を許さないが、その一方で再審を求める運動が大きく前進したことは確かだろう。中でも東日本ボクシング協会が、一丸となった再審支援体制を整えたことに意義を感じる。

 5月8日には同協会の前協会長で大橋さんにバトンタッチするまで「――委員会」の委員長として支援に尽力してきた輪島功一さんも出席。さらに7人の元世界王者らと共に金平桂一郎副会長や北沢鈴春事務局長、渡辺均・ワタナベジム会長、カシアス内藤・E&Jジム会長、堀視恵子・ヨシヒロジム会長らのそうそうたるメンバーの出席が、ボクシング界一丸を印象つけた。

 振り返れば、ボクシング界が新たにこの支援活動を開始した発端は「――委員会」の実行委員長を務める新田渉世・新田ジム会長の素朴な疑問だった。同ジムの練習生で「――求める会」のメンバーだった福田勇人さんから1966年に起きた「袴田事件」のことを聞かされた新田さんは、同事件に関する書物を読み漁った。その果てに抱いたのが「元ボクサーだった袴田さんに対する“ボクサーなら4人の人間も殺しかねない”とする大きな偏見が源流となった冤罪なのでは?」という疑問だった。やがて「――求める会」の鈴木武秀事務局長らに事件の詳細をレクチャーしてもらった新田さんの疑問は「冤罪に間違いない」という確信に変わっていく。そのとき新田さんが深く感じたのが「死刑囚として事件から40年も経った今も東京拘置所に拘置されている袴田さんの“袴田事件”を、ボクシング界を始めとする多くの人に知って貰い、大きな波を起こすことが自分に出来うる最善の方法なのではないか」という思いだった。

それから1年余。その間、新田さんは自分のジムで近隣の人間を集めた講演会を開催。さらに、これまで地道に支援活動を行ってきたトクホン真闘ジムの佐々木隆男会長や、金子ジムの金子健太郎会長らと共に、後楽園ホールのリング上から、再審支援を訴えかけた。その努力が実ったのが昨年4月の東日本ボクシング協会内の「袴田巌再審支援委員会」の発足だった。こぅした経緯は新田さんの「トーク・イズ・チープ」内のブログで触れられているので詳細は割愛しよう。

その成果は各全国紙や、幾つかのテレビ番組に取り上げられたことででも実証されたが、中でも驚きだったのは、同事件を最初に裁いた静岡地裁で、3人の裁判官の一人だった熊本典道・元判事の証言だろう。それは今年の2月26日に放映されたテレビ朝日の「報道ステーション」の中でのことだった。「私は袴田死刑囚の捜査段階での自白に疑問を持ち、無罪を主張したが、ほかの2人が強く有罪を主張したため、やむなく死刑判決文を書いた」といった趣旨のことを熊本氏は語ったのである。この同氏のコメントは当然、大きな反響を呼んだ。「職を辞した後でも、事件を担当した裁判官が裁判内容を語るのは守秘義務違反」とした読売新聞の論評も、正当な見方である。ただ熊本氏のコメントの真意はなんだったのか。「70歳を間近に控えた自分としては、いいことをしたかった」。これが熊本氏の意とするところだった。言葉を変えれば「良心の呵責」が、熊本氏の発言を引き出したわけである。

「ボクシング・ワールド」誌の編集長で27年前に亡き郡司信夫氏と共に、袴田さんを訪ねたこともある前田衷氏は、この熊本発言に触れ、4月号でこう書いている。「ボクシングではあるまいに、2−1のスプリット・デシジョンで『死刑』とはやりきれない思いです。幾ら民主主義は多数決が原則とはいえ、国家の名で人の命を奪うのですから、後で間違っていた、で済む話ではありません」。そして「せめて『疑わしきは罰せず』の結論になぜ達することが出来なかったのか」と締めくくっている。その通りだろう。

袴田さんの再審を支援する人間の大方は司法の大原則である「疑わしきは罰せず」が遵守されなかった、という実感が源になっていると思われる。自白が決め手になった、とはいえ、その自白は17日間も連日、十数時間に及ぶ取り調べを行った末のものである。検察側が挙げた凶器はただ1本の「くり小刀」で、それを用いて、被害者4人に、大小合わせて約50箇所もの傷を負わせて殺害したことになっているが、発見されたその小刀は、刃先こそ欠けてはいたが、歯こぼれひとつなく、刃体もまっすぐのままだった。また、袴田さんが犯行当時着用されていたとされる5点の衣類は、事件の1年2ヵ月も後に発見されたもので、しかも、本人がいざ履こうとしたら余りにも小さくて無理だった。などなど・・。

にもかかわらず、裁判所はこれらを「証拠」として認定したのである。思えば「疑わしい証拠」ばかりである。すると「疑わしきは罰せず」という司法の大原則は、一体どこに行ってしまったのだろう。

新しく東日本ボクシング協会の協会長となり「――支援委員会」の委員長に就任した大橋さんに改めて、聞いてみた。「実は僕は余り事件については知らなかったのだけど、何冊かの関連書を読んで“冤罪”を確信した。第一、あんな小刀で、どうやって4人の人を何十箇所も刺せるのか。それも、歯こぼれもさせないで、致命傷を与えていることになっているのだから・・。それひとつ取っても、これは明らかに冤罪ですよ」

金平副協会長は「袴田さんの精神状態が心配。再審が通る以前に、人並みの医療を受けさせることが先決」と長い拘禁状態から生じたとされる、「拘禁症」を問題にした。この拘禁症については、高名な小説家で、精神科医としてもかつて東京拘置所の医務技官を8年務めた経験のある加賀乙彦氏が、近著「悪魔のささやき」の中で興味あることを述べているので多少、長くなるが触れてみたい。以下は加賀氏が昨年の2月に麻原彰晃こと松本智津夫被告人の弁護団の依頼で、同被告と30分、接見したときの話である。「・・松本被告人の顔のまん前で両手を思い切り打ち鳴らしたのです。(中略)それでも松本被告人だけは、ピクリともせず何事もなかったように平然としている。もう一度やってみましたが、やはり彼だけが無反応でした。これは間違いなく拘禁反応によって混迷状態におちいっている・・」。それが加賀氏の判断だった。氏によれば拘禁反応とは、「刑務所など強制的に自由を阻害された環境下に見られる反応」で「混迷とは「起きて行動はするけれど、注射をしても反応がない。中には話すどころか食べることさえしない場合もある」そうで、袴田さんの場合とは違うのだが、興味深いのは次の箇所である。

「拘禁反応自体は、環境を変えればわりとすぐ治る病気です。松本被告人の場合も、劇的に回復する可能性が高いと思います。彼の場合は逃亡されたらそれこそ大変ですから病院での治療は難しいでしょうが、拘置所内でほかの拘留者とたちと交流させるだけでもいい。そうして外部の空気にあててやれば、半年、いやもっと早く治るかも知れません。実際、大阪拘置所で死刑囚を集団で食事をさせるなどしたところ、拘禁反応がかなり消えた前例もあるのです」
 サリン事件の松本被告人と袴田さんを一緒にするな、とお叱りを受けそうだが、あくまで拘禁症が人とより多く接触するなど環境を変えることで、治癒が大いに可能である、とした加賀氏の臨床経験を紹介したかったことを了解してもらいたい。また加賀氏は袴田さんの再審開始を求めることに賛同している人であることも付け加えて置きたい。

 袴田事件弁護団が5月8日に最高裁に提出した「特別抗告申立理由補充書(二)」。詳細ついては新田さんの報告を待ちたいが「“裁判所が証拠として採用した自白が逆に無実を証明する”とする、浜田寿美男・花園大教授の“浜田鑑定”と5点の衣類が検察側の捏造だった、という2点に絞った補充書」がその内容になると聞いた。

繰り返すが、この「特別抗告」は袴田さんを救う最後の望みである。果たしてその結果がどうなるのか、それは無論、筆者には予測もつかない。しかし、1年前の小さな波が、今、大きなうねりへと変化を遂げつつあるのは紛れもない事実なのである。



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●丸山 幸一 (まるやま こういち)
1947年東京都台東区出身。72年早稲田大学第一文学部を卒業後、今はなき東京タイムズ社に入社。74年から運動部でボクシング、競馬、高校野球、ゴルフ、プロ野球のパ・リーグ等を担当。81年同新聞社を退社。以後フリーランスに。リライター、映画ライター等を経て85年からボクシングを主な分野として、共同通信社、デイリースポーツ社、ボクシング・マガジン等に原稿を掲載。趣味は酒

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