真夜中の電話 7

前号まで― さつきと私は大原亮介と名乗る男、つまり“亀田のファン”が経営していた店を探した。それは前日、私が彼に招かれた新宿の花園神社の近くにあった店である。しかし、その界隈に熟知しているさつきも見つけることが出来なかった。あるビルの傍らにいた男を認めるとさつきは、その男に近寄っていった。その男の顔を見たさつきは、あわてて私の元に戻ると、恐怖の表情を浮かべながら言った。「あの人、あんたと同じ顔だった」


 私はさつきが言っている意味がよく分からなかった。私と似ている男など、この世の中に数えられないほどいることだろう。しかも、今は深夜で歌舞伎町の中心街から離れた明かりの乏しい場所である。それでもさつきは、強い口調で続けた。
「こめかみの傷も全く同じだった」
「じゃあきっと手相も同じだったんだろうな」
 私がまぜっかえすと、さつきが真顔で言った。
「あたしがまじまじと顔を見てると、あいつが言ったのよ。“俺に用か。俺はオオハラ リョウスケだ”って!」。さつきの声がかすかに震えていた。「ここから早く離れようよ」。さつきに促されて、わたし達は、足早にそこを去った。それから私達は深夜の新宿を彷徨った。互いの知らない店に入って一杯のバーボンを飲み干すと、また別の店のドアを開けた。何軒の酒場を飲み歩いただろう。気がつくと、冬の遅い朝はとうに明けていた。さつきが抱いた恐怖に私も感染していたのだろう。私たちはそうやってその夜に起きた奇怪な出来事から遠ざかろうとしたのかも知れない。

 その日の夕方やっと寝床を離れた私は、まだ酔いが残っている頭で、さつきの言葉を反芻していた。初めて見かけた女になぜ、男は自分の名を名乗ったのか。しかもその男は私と全く同じ顔をしていた。だが、その男の顔をつぶさに見、そして言葉を交わしたのはさつきだけだ。
翌日、私はまた「マンハッタン」を訪れた。母の形見だというレトロ調の置時計が2時を打つと客は私だけになった。それを待っていたように呂律の回らない口調で彼女が言った。
「あんたが探していた大原亮介は、あんたの最も近いところにいたんだね」
 それからさつきは私の顔を覗いた。
「ほら、この鼻も、この眉毛も、この唇も、全部同じだったよ。あんたは大原亮介だったんだね」。さつきはそう言うと、私の唇に自分の唇を重ねてきたのである。
その唇を受けながら私は陶然とした頭で、自分の考えを整理していた。昨年の6月以降、しばしば真夜中に電話を掛けてきた“亀田のファン”が大原亮介で、さつきが昨夜、垣間見た男も大原亮介で、その男が私なら、さつきの言うように私は大原亮介ということになる。さつきは私の思考を遮るように、甘ったれた声で
「よかったね。これで謎がとけたじゃない」と言うと私の太い首に両手を回してきた。
「じゃあ、あの電話は誰が掛けてきたんだ」。
「決まっているじゃない。“亀田のファン”が大原亮介だったんだから、大原よ。でも大原はあんただったんだから、あんたよ」
「俺が、自分で自分に掛けたのか?」
「そういうことになるけど、きっとあんたは夢を見ていたのかもしれないね」
「でも、君が昨夜見た大原と名乗る男は誰なんだ。俺はその男の顔も見ていなければ声も聞いていない。それに俺は俺で、俺とは顔も似つかない大原と出会っているんだぞ。」
 するとさつきは、私から体を離すと
「なにを言ってるの。あんたが一緒に飲んだっていう店なんかいくら探してもなかったじゃないの」と呆れた表情を浮かべ
「だから私が出会った大原もあんただったって言ってるでしょう!」と声高に続けたのだ。

 私が実体としてのもう一人の私に出会う。そんなことが有りうるはずもない。ただ、そんな不思議な出来事が、実は米国やドイツの心理学会で報告されているのも事実なのだ。それは「ドッペルゲンガー」とか二重身幻想と呼ばれている現象である。
 ドッペルゲンガーに関しては、色々な解釈があるが、多くの人間が遭遇した例は極めて少ない。信頼に足る例証は、40年ほど前に米国の田舎町で、起きた事件だろう。それはある晴れた日の午後、小学校の女性教師が教室の黒板に説明箇所を書き写していたときだった。その教室外に居合わせた警備員と30人ほどの生徒が、ふと窓の下の花壇に目を向けると、そこに服装も顔もその女性教師と全く同じ人間が花壇の中に佇んでいた。そして女性は、まだチョークで黒板に文字を書いている“自分”に会釈をすると、そのまま悠然と去っていった、というのだ。
この報告は心理学会でも論議の的になった。超常現象などを否定しない“ユング的解釈”などと揶揄する心理学者も当然、多数を占めたが、今でもしかし「ドッペルゲンガー現象」が取り上げられるときしばしば、例に出される事件として知られている。
ところで、私が大原亮介と名乗った男は誓って言うが私とは違った人間だった。そしてさつきが見た大原を私は見ていない。つまり私は私と遭遇してはいないのである。

 結論はひとつだった。さつきが何らかの意図で私を騙しているのである。では何の為に・・。その謎を解くためには私がしなくてはならないことは、1969年以来、会っていなかった本物の大原亮介を探し出すことであり、もし死んでいたとすれば、彼のそれまでの足跡を辿ることだった。
ただ私は重要なことをひとつ失念していた。それは真夜中の電話の主と出会った酒場が、いくら探しても見つからなかった事実だった。



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●丸山 幸一 (まるやま こういち)
1947年東京都台東区出身。72年早稲田大学第一文学部を卒業後、今はなき東京タイムズ社に入社。74年から運動部でボクシング、競馬、高校野球、ゴルフ、プロ野球のパ・リーグ等を担当。81年同新聞社を退社。以後フリーランスに。リライター、映画ライター等を経て85年からボクシングを主な分野として、共同通信社、デイリースポーツ社、ボクシング・マガジン等に原稿を掲載。趣味は酒

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