真夜中の電話 5

 ”亀田のファン”が、実は私の大学時代のボクシング仲間だった「大原亮介」だと名乗ったのは、男が経営する新宿の店で会った時だった。それから30分ほど時間が過ぎて大原、いやそう名乗る男は言った。「この店は貸し切りや。お前を殺したくなった時、人がおったらまずいしな」

「殺したい理由は何なんだ。大原」。私は初めて男をそう呼んだ。
「お前は、若い女に振られた話で、さつきの気を引いて、彼女をホテルに誘ったやないか。それが許せんのや」。”さつき”はマンハッタンの経営者の名前だった。
 さつきの情に訴えたつもりなど私にはなかった。それにしても大原の殺意の理由は実に不可思議で、その上、子供じみていた。

 私が執着を持った女ー神田秀子と久々に出会ったのは、ボクシングの試合が終わった後の後楽園ホール近くの居酒屋だった。その夜、私が共に酒を酌み交わしていたのはカメラマンの川口とライターの小窪だった。したたか飲み終電車の時間が近づいた頃、川口が少し離れた席にいる秀子を認めた。秀子は一人だった。帰り支度をしていた彼女に旧知の間柄だった川口が声をかけた。つられるように、私達の席に出向いてきた秀子に、川口は労るように手を差し伸べると我々の席に導いた。

 秀子はポスターなどを手がけるデザイナーだった。その秀子と、私は一度だけ、酒席を共にしたことがあった。共通の友人の歓送会の酒宴だったが、その宴が延々と続いていた。私が秀子に声をかけたのは既に晩春の夜が明け、窓の外が白んできた頃だった。何を話したかのか、覚えてもいないが、部屋の片隅で一人で酒を啜っていた秀子に近づいたとき、ほのかに石鹸の香りがした。その香りは煙の様な形をなして舞い上がると、しばらく宙を漂ったのち、私の左手の甲の中に吸い込まれていった。それは幻影に違いなかったが、以来、私の左手の甲は幾ら洗っても、香りが消えることはなかった。それから2年が経っていた。
 
「一緒にいた友達が少し前に帰っちゃったので、あたしも帰るところなんだ」。酔いのせいか、舌っ足らずに答えた秀子を川口が押しとどめ「僕の大好きな神田秀子ちゃん」と改めて我々に紹介した。その言葉が引き金だった。私の中で大きく弾けるものがあった。
 川口はかつて10回戦のリングで闘ったボクサーで目鼻立ちの整った美青年だった。私の中で弾けたものが何だったのか、うまく説明出来ないのだが、具体的な感情として突き上がってきたのは30歳の元ボクサーへの対抗心だった。「ナニガ ダイスキナ ヒデコチャンダ オンナガ スベテ オマエニ ナビクトオモッタラ オオマチガイダゾ」。翻訳すれば、そんなたわいもない言葉だっただろう。が、酔いが私の感情を増幅し、そして私は私自身の中に2年前に湧いた感情を失うまいと必死にあがいていた。
 気がつくと、私は秀子を強引に自分の隣りの席に座らせ、言った。「俺を覚えているか」「覚えている。あのとき以来だね」。秀子が笑みを浮かべて答えた。2年前と同じ石鹸の香りが私の鼻腔をついた。

 それから何時間経ったのか。気がつくと私達4人は新宿の「マンハッタン」で飲んでいたのである。
 さつきが忙しそうに我々のグラスに水割りを作っていた。秀子がトイレに行っているのを見計らって、さつきが私達に言った。「女なんて30になったら、男が40だろうと50だろうと同じなのよ」
 店に入って間もなく私は秀子に問いかけていた。「お前は俺が好きか?」。すると秀子が即座に言葉を返した。「うん。好き」「凄く好きか?」「凄く好き」。「じゃあ、一緒に住むか?」「うん。住む」。こんなやり取りを私は秀子としていた。
 川口にも、さつきにも、小窪にも、それはあくまで酒の上でのやり取りと映ったはずだった。2度の酒席を共にしただけの私に、二世代も違う秀子が特別な感情を抱くことなど考えられないことだった。
 その思いを敢えて意識から外そうとした私だったが、「矢っ張り年が違い過ぎるよな」という言葉をさつきに投げかけずにはいられなかったのである。先の、さつきの言葉は、その私に対する返答だった。「30歳も40歳も50歳の男も余り違いを感じないものなのよ。女が女になるって、そういうことでもあるのよ」。さつきは繰り返してそう言い「だから頑張りなさいよ」と私を励ましたのである。

 翌日、私は恐る恐る秀子を誘った。電話口から返ってきた秀子の声は、しかし私の怖れに反して弾んでいた。数日後、私は秀子とまた会い、したたかに飲んだ。その二日後から秀子の携帯電話は通じなくなったのである。呼び出し音の後、必ず、留守電に切り替わってしまうのだ。
 秀子から電話があったのは、そうした状況が1カ月ほど続いた後だった。「あの新宿でのことを、ある人に話したら”もう電話に出るな”と言われたの。それでそうしたんだけど、あたしは心苦しかった。それを説明したかったの」。秀子のえん曲な拒絶の言葉に私は無言で頷いた。もし、私が秀子と同じ年頃の女から同じ相談を受けたとしても、同じ様に「電話に出るな」と言ったに違いなかったからだ。さつきが、30歳の女にとって幾ら年上でも大した違いはない、と主張してもそれはあくまでさつきの持論で、50代半ばの私は、秀子にとって初老の男以外の何物でもなかった。それが現実だった。

 秀子の携帯電話が私を拒絶する度に、私は自分の老いを実感していった。人は衰え、腐って死んでいく。その課程こそが老いというものだ。しかし私は老いていく自分に真正面から対峙しようとしない自分にも気づいていた。だから私は恋の傍らに無理矢理、自分を引きずっていったのに違いない。

「あれからどうなった?」と興味を示すさつきに、私はありのままを話していた。
 
「29の女がダメなら、次ぎは40女のさつきか!」。大原の怒声が、秀子との出来事をぼんやりと反芻していた私を覚醒させた。「何を言いたいんだ」。私も声を荒げた。
 大原が真夜中の1時に電話をかけてきてから半年が経っていた。初めは私が通信社を通じて書いた、亀田興毅に関する原稿に対する苦情であり、恫喝だった。それが初めて私の前に姿を現した”亀田のファン”は、亀田の試合のことにも触れずに、酒場の女主人のことで、私に因縁を付けているのである。
「お前は、本当は誰なんだ」。私は怒りと困惑の混じった声で男にそう言った。



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●丸山 幸一 (まるやま こういち)
1947年東京都台東区出身。72年早稲田大学第一文学部を卒業後、今はなき東京タイムズ社に入社。74年から運動部でボクシング、競馬、高校野球、ゴルフ、プロ野球のパ・リーグ等を担当。81年同新聞社を退社。以後フリーランスに。リライター、映画ライター等を経て85年からボクシングを主な分野として、共同通信社、デイリースポーツ社、ボクシング・マガジン等に原稿を掲載。趣味は酒

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