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「久しぶりやな」。
そう言葉を投げかけてきた男の声は電話よりも、しわがれていた。その顔は今さっき見た印象よりもさらに年を重ねているように思えた。
「久しぶりと言われてもこっちは初対面だ。あんたは俺を試合場で観察していたらしいけどな」。しかし男から返ってきたのは予想外の言葉だった。
「ワシのことまだ分からんか?」。私はつぶさに男の顔を眺めた。
「あれから30年以上も経っているんやから、仕方ないか」。男は、静かに笑った後、自分の名をやっと名乗った。
「大原だよ」。大原? 私が覚えている大原は一人しかいない。その男は、大学時代にボクシング同好会で共に汗を流した仲間だった。
「大原亮介じゃないだろうな」。
「その大原亮介や」。そう言うと男は表情を消した。そして言葉を重ねた。
「お前とよくスパーをした大原や」
大原は、私達を指導してくれた石丸哲三先輩が目をかけていた男だった。石丸さんは大学を卒業するとハワイでプロになり、その後、千葉県の津田沼でジムを開いた人で、4年前に急逝していた。大原はその石丸さんにプロになることを何度も勧められていた男だった。
しかし、今、目の前にいる男は、30余年の歳月を経ていたとしても昔の面影のかけらもなかった。
「違うな」。私は真正面から彼の顔を眺めながら言った。
「第一、俺の知っている大原は、埼玉県の出身だ。あんたのような関西訛りはない。それにもっと背が高かった」
「正確に言えばお前が俺を最後に見たのは36年前だ。長いこと大阪で生活すれば、言葉も変わる。年取れば背も縮む」。男の言葉から関西訛りが消えていた。
「お前と高田の馬場の”甚平”でよく飲んだよな。あとは新宿三丁目の”どん底”・・」。男が大原ならその通りだった。
大原は当時、法学部に籍を置いていたが、酒席ではよく文学の話をした。ボクシングの話題になっても、ノーマン・メイラーやヘミングウエーの作品に登場するボクサーを引き合いに出し、文学部の私とはことのほかウマが合っていた。
その大原が忽然と姿を消したのは、1969年の秋だった。だから確かに36年振りという数字は、私の記憶とも合致していた。
「お前、いい年こいて、若い女追っかけて振られたそうやないか」。男は唐突に切り出すと卑しさの混じった笑い浮かべた。
「そんなことワシが何故知っとるかと、思うとのか?」。男の口調が関西訛りに戻っていた。確かに私はその年の春、29歳の女に執着を覚えたことがあった。けれども、その事実を知っている人間は限られていた。怪訝な表情の私に男の言葉が追いかけてきた。
「お前が女口説いとった『マンハッタン』に、あん時、ワシ、居たやないないか」。新宿のゴールデン街にあるその店に、何度か足を運んだことはあったが、その男を見かけたことはない。その日、私は女の他に友人二人を引き連れていたが、確か、客は他に居なかったはずだった。だとすれば、『マンハッタン』の女主人が、男に話したこと意外に思いつかなかった。
「だからどうしたんだ」。気色ばむ私に男が言った。
「みっともないと思わんのか。・・けれど、そんなことはワシの知ったことやない」。そこまで言うと、男は「まだ乾杯もしとらんかったな、ワシら」と笑い、二人のコップにビールを注いだ。そのコップを飲み干してから私は辺りを改めて見回した。時計を見ると、この店に入ってからまだ30分ほどしか経ってはいなかったが、相変わらず、客は私の他に居なかった。
「お前の店、はやっていないんだな」という私の言葉をっていたように男が言った。
「今日は、貸し切りや。・・お前を殺したくなった時、人が居たらまずいしな。だからずっと二人きりや・・」
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