真夜中の電話 3

 必ず真夜中の1時に電話をかけてくる”亀田のファン”を自称する男が「一度お前と会わないかんな」と一方的に言いだしたのは10月14日だった。いつも横柄この上なく、自分の名も名乗らない男とのやり取りを一種のゲーム感覚で対応してた私が、そのゲームを壊し、会うことを約束したのも、10月14日の電話でのことだった。
 しかし、男からの電話は一向に掛かってこなかった。

 やがて11月26日が来た。その日は亀田が前WBA世界ミニマム級王者のノエル・アランブレットと対戦した日である。亀田は、この試合巧者を初回から圧力をかけ続け、7回に見舞った強烈なストマックへの左ストレートで戦意を喪失させ、見事なTKO勝ちを収めていた。
 翌日のスポーツ紙の多くは、横綱の朝青龍が年間6場所全ての優勝が決定した快挙を押しやり、1面で亀田の強さを称えていた。確かに亀田は強かった。それでも私はこの18歳の少年にまだ絶対的な強さを認めていなかった。減量苦からウエイトをライト・フライ級に上げたとはいえ、アランブレットは亀田より2階級下のミニマム級でしか実績を残していない選手である。また、アランブレットにしても6月に東洋太平洋王座を奪ったワンミーチョークにしても、本来はアウトボクサーである。同じ階級で、しかも亀田のように圧力をかけてくるハード・パンチャーと対戦したらどうなるのか。そう思うと、この希代の人気ボクサーの強さはまだ完全に立証されていない。そう思えたからだ。
 そして私はふと、あの男と改めて亀田について語り合いたい衝動を覚えたのだった。
 それは不思議な感情だった。以前はこっちの意向も無視して突然、電話をかけてくる男と、亀田について忌憚のない意見を交換することなど、考えられないことだったからだ。私の心の変化は、10月14日にかけてきた電話で感じた男の”異変”に起因しているに相違なかった。 そのときの男は、物言いにもどこか力がなかった。いつもの相手を恫喝するような口調は陰を潜め、むしろ、私が亀田に直にインタビューした際の話の聞き役に回っていたのだった。
 
 ”亀田のファン”からやっと連絡があったのは、12月の2日だった。「ワシや」。受話器から出てきたのは初めて私の元に電話をかけてきたときと同じ切り口上の言葉だった。私はその言葉に懐かしさを覚えながらも、ぶっきらぼうに返答した。「会いたい、と言って置きながら、どうしたんだ。もう1カ月もすれば年が変わるぞ」。「待っとったんか。そりゃ、済まんかったな。色々あってな」。男の声が笑っていた。「で、どうする。会うのか?」。「何や、ワシにそんなに会いのか?」「会おう、と言ったのはそっちだろう」。私も笑いながら言葉を返した。
 こうして私達は12月7日、新宿の酒場で会うことになったのである。
 「お前の顔はワシがよう知っとる。大体、お前、後楽園ホールじゃ、いつも記者席の真ん中に偉そうに座っとるやないか」。そう言ってから男は「お前の顔、ボクシング・マガジンで写真見て、昔から分かっとったしな」。会うにしても私は男の顔を知らない。その私の疑問に男はそう答えていた。
 
 男から指定された酒場は、歌舞伎町の繁華街を少し外れたビルの地下にあった。師走の夜はとっぷりと暮れていたが、8時丁度に店のドアを開けた私の目に飛び込んできたのは、カウンター越しの60格好のマスターだけだった。「待ち合わせなんだけど・・」と言った私に、マスターが、小声で答えた。「わかっとる。・・ワシや!」。その声は、電話越しに聞いたその声だった。さらに男は言った。「ほんま、久しぶりやな」



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●丸山 幸一 (まるやま こういち)
1947年東京都台東区出身。72年早稲田大学第一文学部を卒業後、今はなき東京タイムズ社に入社。74年から運動部でボクシング、競馬、高校野球、ゴルフ、プロ野球のパ・リーグ等を担当。81年同新聞社を退社。以後フリーランスに。リライター、映画ライター等を経て85年からボクシングを主な分野として、共同通信社、デイリースポーツ社、ボクシング・マガジン等に原稿を掲載。趣味は酒

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