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7月4日以来途絶えていた”亀田のファン”から電話があったのは10月14日だった。「元気やったか?」。いつもは横柄に「ワシや」と切り口上に言う男が、今度はまるで10年の知己のように、こっちの健康状態(?)を聞いてきたのである。「何とかな」。私はそう答えながら、この”亀田のファン”の身の回りに何か変化があったことを感じていた。7月4日から10月14日の間まで、亀田興毅に関しても大きな変化があった。周知のように、8月21日にワンミーチョークを3回TKOに下し、東洋太平洋フライ級王座(その後返上)を獲得。それまで疑問視されていた実力が本物であることを実証していた。
「(6月20日に対戦した元世界ライトフライ級王者の)サマンはもう壊れとった。けど、次ぎの試合はごっつい相手や。またいらんこと書きよったら容赦せんで!」。男はこの前はそう恫喝して、電話を切っていたのを私は思いだしていた。「亀田、強かったな」。私の言葉に”亀田のファン”は「ああ」と素っ気なく答えた。「そら見ろ、と言わないのか」と茶々を入れた私に、男は「分かっとった結果に今更、あれこれ、言いたないわ」とぶっきらぼうに言葉を継ぐのである。
「それなら何の用だ」。私の問いかけに男は「何や、その言い方は!」と一喝したが、荒い言葉の中にもどこか力が入っていないのである。
「つい3日前、亀田興毅に個人的にインタビューしてきたんだ」。こちらから初めて話を振ったのも、相変わらず名を名乗らない男の、これまでとは打って変わった様子に、私なりに気を遣ってしまったからだった。「ほう」。男が興味を向けた。「で、興毅、どない言うとった」「なかなか有意義な1時間だった」「だから興毅は何と言うたんや」
私は、亀田家の長男の言葉を反芻して伝えた。「タイトル取って始めて底力を証明したな、と聞いた。”それまで相手、弱かったし、大したことない、思われても仕方なかったやろな”亀田はそう言ってたよ」「えらいやっちゃ」。男は嬉しそうに弾んだ声を出した。「で、今の目標を聞いたんだ」「おう、どない言うてた」「10代でフライ級の世界チャンピオンになることだが、今、(WBC王者の)ポンサクレックとも(WBAの)パーラとやっても間違いなく勝てる、と豪語していた」「あかんな。自惚れているのとちゃうか」。私は男のこの言葉に思わず声を挙げて笑った。「だから、あんたに、散々言ってたじゃないか」と続けると「分かってるわい。それからどない言うたんや」。まるでだだっ子のように私の言葉を待つのだった。
「でもな、オレの最終目標は10代で世界取ることやない。日本におらへんかったボクサーになることや。レナードやトリニダードのように。それにはまだまだオレは弱い。オレがこれまで見せたのは喧嘩や。これからはそこにボクシングをプラスせんとな」。「興毅、そう言いよったか」「言いよった」。つい釣られてしまった関西弁だったが、男は気づかなかったのか、言葉を挟まずに私の次ぎの言葉を待った。「で、聞いたんだ。君のいうボクシングとは何だ、と。”頭と下半身と根性。それがオレのボクシングだ。ボクサーなら手は自然と出る。けど、下半身鍛えていなかったら、相手を倒すパンチを12ラウンドに渡って打てへん。頭は駆け引き。根性は、言わなくても分かるやろ”」。「ええこと言うわい」
亀田とのインタビューは、通信社の依頼だった。私は散々、その通信社に亀田に関する批判めいた記事を書いていただけに、身構えながら質問をしていたのだが、彼自身はそれを知らなかったのか、実に素直に応じていた。「で亀田が言うんだ。”今、午前で3時間、午後4時間練習している。けど、おやじ、いつも見てるし手を抜けん。その上、二人の弟が一緒や。だから兄貴としては、もっと踏ん張らねばらねばらん。きついわ。ほんま、きつい。もう体、ボロボロや”」「ほう」。男は真剣に聞いていた。「でもな、俺は、弱音をちらっと吐く亀田に、むしろ好感を持った」「なんや、迫力ないこと言うやないか」。男が笑った。「そう言うな。感じたことを、いままでの先入観を捨てて表現するのが、俺達の仕事だ」。私はその自分の言葉を何とも気恥ずかしい思いで口にしたのだが、男は、突拍子もなく「お前、ええやっちゃな」と言うのである。
さらに彼はいきなりこう続けたのだ。「一回、お前と会わないかんな」。私は意表を突かれた思いで、しばらく黙していた。名も名乗らない男との電話に応じていたのは、それが一種のゲームと感じていたからだ。が、会って、実際に向き合うことは、そのゲームを壊すことだ。しかも相手はどう推測しても”極道”と思われる人間なのである。
私は迷った。その末に「それもいいかもしれないな」と答えていた。
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