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「私も(千葉県の)市川なので、家までお送りしますよ」。学生時代からのアイドルだった沼田義明さんに、ついに声を掛けたのは、コンペも終わり、参加者がそれぞれ帰路に着こうとしている時だった。「そうしてもらえれば助かりますけど、でもいいんですか?」。こうしたやり取りの末、沼田さんを乗せた私のぼろ車は、栃木、埼玉、東京を抜け、200キロの彼方の市川へと向かったのである。
ボクシング記者である私は世界の頂点を極めた男達に、ある種の恐れを抱いていた。リングという過酷極まる空間の中で、計り知れない恐怖と闘わなければならなかった男達が生み出す、他者への徹底した拒絶が、その恐れへの源だった。
1時間ほど、走った頃、沼田さんが言った。「疲れたでしょう?運転、代わりましょう」「あ、大丈夫ですよ」。私が答えると彼はそっと続けた。「丸山さん、遅くまで酒飲んだ後、ゴルフやっているんだから・・。僕が運転するから、助手席で眠るといいですよ」
私は沼田さんの厚意に甘えることにした。ただし、絶対、眠るなんて失礼なことはしてはならぬ、と自分に言いきかせながら・・。が、私は「そろそろ、荒川だから、どっか家の近くでコーヒーでも飲んでいきましょうよ」。その声とともに目覚めたのだった。
現役時代の沼田さんは、体全体に神経が行き渡っているような繊細なボクシングをする人だった。両の足を内股に開き、左ガードを下げて半身に構え、その態勢から、「アッパー・ストレート」と称するフリッカー・ジャブをを打ち込み多彩な右をフォローさせるといったような、誰にも真似の出来ないボクシング・スタイルを身上としていた。彼が天才と言われる所以もそこにあった。
彼を天才たらしめている繊細さは、私の中で、偏屈で決して他人を受け入れない、肥大したエゴの所有者であるという虚像をまた作り上げていたのだった。
その沼田さんが、私に細やかに気を使ってくれているのである。市川駅前の喫茶店でコーヒーを飲み、食事までご馳走になった後、沼田さんが時計を見ながら、驚きの声を上げた。「こんな時間か。あー、またロッキーに怒られる!」。
時計は間もなく午後10時になるところだった。「実はね」と沼田さんが苦笑しながら言葉を継いだ。「犬のロッキーを朝夕、散歩させなくてはならないんだけど、10時を少しでも遅れると、怒るんですよ。・・とにかく変わり者でねえ・・。」その日から私の沼田さんに対する認識は、正反対になったのだった。
それから1年ほど後だったと思う。私達はまたも連れ立って、塩原で行われるゴルフコンペへと旅だった。今回は私と親しい極東ジムの三平勇会長(現在は名誉会長)も一緒だった。沼田さんは、1961年にTBSと極東ジムが合同で開催した「ボクシング教室」に生まれ故郷の北海道から応募。7200人に及ぶ応募者の中でトップの評価を受けて合宿入りしたエリートだった。その合宿の舎監が、当時、同ジムのマネジャーだった三平さんだったのである。
その三平さんを、誘った時のことだ。「俺さあ、沼田に嫌われているんだよ」と、同行を拒否したのである。既に、彼の人柄が分かっていた私は「そんなことないですよ。僕が請け合うから」と説得して三平氏宅に車を乗り付けたのである。
30分ほど、気まずい表情をしていた三平さんに突然、笑みが宿ったのは沼田さんのこんな言葉がきっかけだった。「三平さん。俺、もし三平さんが舎監じゃなかったら、世界チャンピオンに絶対、なれなかった、と心底から思っているんだよ」。「え!」と驚く三平さんに「俺、ほとんど一日中、小高(伊和夫)会長と一緒だったでしょう。その俺の唯一の息抜きは麻雀。俺が夜、合宿抜け出して、麻雀やって朝、帰ってきても、いつも見ぬ振りしてくれて、小高さんが俺に用があるときには、合宿から少し離れた所に石を積んでおいてくれたじゃない。だから絶対、ばれなかったし、お陰でリラックスも出来た。それがなかったら、俺、潰れていたよ。三平さんが俺にしてくれたこと全部、分かっていたんだよ」
その言葉聞いた三平さんは「そうだったのか、沼田!」と言った後、泣き出してしまったのだ。三平さんが、どこで沼田さんの自分に対する気持ちを誤解したのかは定かではないが、ともあれ三平さんの中に四半世紀もの間、わだかまっていた感情は、こうして溶解したのだった。
沼田さんの気遣い豊かな一面を表すエピソードをもうひとつ。またゴルフのことで、申し訳ないのだが、沼田さんが行き付けの床屋の親子と4人でコースに出たときのことである。私と、その床屋親子は初対面だった。「あのね」と心配そうに沼田さんが私の耳元で囁いた。「あの親子、気さくな連中だし、何にも気兼ねしなくて、いいからね。自分のプレーだけ考えてやればいいからね」。
沼田さんが、あえて私に耳打ちしたのには訳がある。ボクシングの世界で、ゴルフが好きなくせに私ほど、へたくそな人間はそうはいなかったからである。
だから見知らぬメンバーに私が気を使って、さらにスコアが崩れでもしたら、そう思うと沼田さんは気が気でなかったのだ。
プレーが始まり、たまに私が上出来のショットを放つと「丸山さん、ナイスショット。いい感じだよ」。と離れたところからでも、よく通る声で励ましてくれるのである。で、肝心のスコアだが、実はハーフを上がった時点で私の方が2打ほど、よかったことを付け加えて置きたい。要するに、沼田さんは人に気を使いすぎた結果、集中力を欠き、自分のスコアを大きく乱してしまったのだった。
(次回は沼田さんが語った、ボクシングについて書き記す予定です))
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