我が思い出のボクサー
沼田義明さん
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 私がボクシングに魅了されてから早いもので50年近くの歳月が流れている。我が”原光景”ともいえるものは、前にもこの欄で書いたが、矢尾板貞雄さんが無傷の50連勝を記録していた世界フライ級王者のパスカル・ペレスに、ノンタイトル戦ながら判定勝ちした昭和34年1月16日の試合である。以後、ファイティング原田、海老原博幸といった国民的英雄の試合をテレビ桟敷で一喜一憂しながら観戦していた私だったが、彼ら以上にのめり込んでしまったのが沼田義明さんだった。

 初めて見た沼田さんの試合が何だったのか、全く覚えていない。何故、原田さんよりも沼田さんだったのか、それも分からない。生涯55戦闘って、喫したダウンが実に22回。にもかかわらず世界スーパー・フェザー級王座を2度も獲得した沼田さんに、危うさと華麗さが同居する美学を見た、とことある毎に専門誌等で書いてきたが、それはあくまで後の私自身が作り上げたものに過ぎない。要するに自分自身でも分からないうちに、沼田さんという存在が心の内部に食い込んでしまったのである

 そんな私が図らずも、新聞社のボクシング担当になったのは昭和49年の秋だった。それから2年後の51年の秋、具志堅用高、ロイヤル小林が立て続けに世界ベルトを獲得したことを記念して、ボクシング専門誌が、日本が生んだ世界チャンピオンの特集を組んだことがあった。しかし、その中に沼田さんの名前だけがなかった。沼田さんの所在どころか、生き死にさえ専門誌をもってしても分からなかったのある。以来、沼田さんは私の中で伝説の存在になっていった。

 それから3年ほど経ったある日の夕暮れ。私はJRの市川駅前でバスを待っていた。隣のタクシー乗り場には長い行列が出来ていた。何気なく、その行列を見やった私の目に沼田さんの姿が飛び込んできたのである。列を離れてもう一度、目を凝らした。間違いなく沼田さんだった。ー沼田さんは生きていた! 心底から嬉しさが込み上げてきた。けれども、ボクシング担当記者であるにも拘わらず、私は声を掛けることが出来なかった。

 話は前後するが私がボクシング記者になったばかりの頃はガッツ石松、輪島功一の日本ボクシング史に燦然と名を残す二人が人気を二分していた。私の中で憧れの存在だった二人は、しかし、段々とその対象から様相を変えていった。これまでテレビを通じてしか知らなかった二人に、直に触れることによって、彼らはやがて単なる取材対象へと変化していってしまったのだ。その巨大なエゴ、徹底した個人主義。世界に君臨する人間特有の要素が、まだ駆け出しだったボクシング記者には馴染めなかったのである。今思えば、ファン感覚が抜けていなかった私がかってに作り上げた虚像を、現実が破壊しただけのことだったのだが・・。
 沼田さんに声を掛けられなかった私の根底を探れば、現実の沼田さんに出会うのが恐らく怖かった、ということなのだろう。沼田さんは天才だった。ならば、彼は取材で接した世界チャンピオン以上に、気まぐれで、気難しいはずである。そう考えると、その実像に触れるのが怖かったのだ。
 
 沼田さんと再び思いもかけない場所で出会ったのはその日から9年後の昭和63年の春だった。ところは塩原カントリークラブである。新日本木村ジムの木村七郎会長が年に3回、同所でのゴルフ・コンペを開いていた。ゴルフが下手なことで定評のあった私も木村さんに誘われて出席させて貰っていたのである。
 デイリー・スポーツの芦沢清一大先輩を乗せた私の車が塩原に辿り着いた時は夜の9時を回っていた。コンペの前日はいつもロッジで宴会を行うのが慣わしである。ファイティイング原田、輪島功一、大熊正二といった腕自慢の元世界王者が、この会の常連だった。私達が着いた頃はボクシング関係者30人近くで構成された宴は佳境に入っていた。その賑やかこの上ない宴会の末席に沼田さんが、ひっそりと座っていた。

  翌日のコンペが終わった後、私は勇気を振り絞って沼田さんに声をかけた。「沼田さんの家は市川ですよね。僕も市川なので、よろしかったら、お乗りになりませんか」。「あ、いいんですか」。沼田さんから意外なほど、明るい声が返ってきた。9年前、現実の沼田さんに出会うのが怖くて話しかけられなかった私は、この日以後、考えてもいなかった沼田さんの実像に触れることになるのである。

(以下次号)



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●丸山 幸一 (まるやま こういち)
1947年東京都台東区出身。72年早稲田大学第一文学部を卒業後、今はなき東京タイムズ社に入社。74年から運動部でボクシング、競馬、高校野球、ゴルフ、プロ野球のパ・リーグ等を担当。81年同新聞社を退社。以後フリーランスに。リライター、映画ライター等を経て85年からボクシングを主な分野として、共同通信社、デイリースポーツ社、ボクシング・マガジン等に原稿を掲載。趣味は酒

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