再録 男たち



「ワタシ、いままでに3回負けた。負けたとき3回とも泣いた。もし負けて大丈夫って笑う人、ボクサーじゃないね」
 リック吉村はかつて、敗れた夜のことをそう話したことがある。が、その姿は妻にも見せなかった。
「寝室に鍵をかけて、一人で泣きました」
 そのリックが泣いていた。
 2002年3月9日、武道館。東洋太平洋王者・佐竹政一に敗れ戻ってきた控え室。
 誰もが初めて目にする、「打たせない」リックの腫れた顔。彼は鼻をすすりあげ、タオルで目元を拭った。人前で落とす初めての涙に、私は、彼の中で何かが終わったのだ、と思った。
 ひと月前、「定年」37歳となったリックにとって、これは世界前哨戦という特例で認められた試合だった。負ければ終わり。勝つことだけが命綱だったリックのその綱が、とうとう切れた。日本のリングに立つ道はこの夜、絶たれた。
「ノー イクスキュース」−−言い訳しません。
 報道陣に向かって言うと、「佐竹はうまかった。ワタシは一生懸命やった」と口許を歪めた。
 言わない夫の代わりに、ゆきこさんが声を震わせた。
「40度熱があったんです。今日になって突然、突然だもの。きつい練習してきたんです。うおーッって叫びながら、気合い入れながら。あんなリック初めてだった。昨日までほんとに調子よかったの。どうして今日に……」
 誰もが沈黙した。40度の体の動きではなかった。石川圭一会長の涙声が聞こえる。
「リックは運が悪かった。運が悪かったよ」
 気丈な妻の目も潤んでいた。


 
 その頃、佐竹対リック戦のテレビ解説を終えた坂本博之は、階上にあるテレビ局の控え室で迷っていた。
 会場入りする前から、結果次第でリックの控え室を訪れるつもりでいた。むろんリックが勝てば行く気はなかった。お互い現役でいる限り、顔を合わせるのはリングの中だけでいい。
 が、結果は、不動心・坂本に「真っ白になった」と言わせるものだった。
 負けた直後のボクサーがどういう心境でいるかは身に覚えがある。そんな場に、しかも八年前、リックを王座から引きずり降ろした自分が顔を出すことはどうなのか判断がつかなかった。リックは俺を受け入れてくれるのか。逆の立場だったら俺はどういう顔が出来だろうか。
 それでも坂本は控え室に向かった。この機会を逃せばもう会えないかもしれない。リックにはどうしても直接、詫びておきたかった。再戦のチャンスを作れなかったことを、だ。言うまでもなくそれは坂本の非ではない。が、自分を倒した者への思い、心痛と再戦の懇願がいかほどのものか自身も経験した分、何年も再戦を乞うてきたリックにとうとう応えられなかった現実が、坂本になにか罪の意識のようなものを溜め込ませてきていた。

 二階級制覇の日本ライト級王者・リック吉村に坂本が挑戦したのは1993年12月だった。試合前の予想は圧倒的にリック有利。実際、ペースをとっていたのは王者だった。が、8回、坂本は不倒のリックを二度までもキャンバスに落とすと、次のラウンド、レフェリーストップを呼び込んだ。
 寝かされることを好むボクサーなどいない。が、リックの拒絶は徹底していた。練習で柔軟体操のためにキャンバスに手をついたり寝転ぶことさえ拒絶してきた。そのリックを初めて寝かせたのが坂本だった。そしてリックは王座を追われた。
 彼は一切言い訳をしなかったが、坂本戦の二年前、スラフ・ヤノフスキー戦で右肩を壊していた。脱臼癖のついた肩は、試合直前には床に置いたボールを拾おうとするだけで外れるような状態だった。
「でもそれは言い訳にしない。できない。サカモトじゃないボクサーに、それで勝ってきた。サカモトの時、私、右のパンチ出せなかった。ダッキングなかった。自分に負けたから負けた」
 敗因についてリックはただそれだけを言った。が心底には、右さえ使えていれば、の思いに苦悶しているはずだった。
 試合後間もなく、リックは肩の手術を受けた。粉々に砕けた骨のかけらが数十個出てきた。六時間。麻酔から覚めるなりリックは妻に訴えた。
「サカモトとやりたい」

 私が初めてリックに取材したとき、坂本戦から4年が過ぎていた。だが、「サカモト」と発音するその声には、いまだ生々しい苦痛が滲んでいた。
「3敗のうち最も辛い敗戦であることはもちろん、人生においてもとても哀しい出来事でした」
 坂本の世界挑戦が決まったときは複雑だったはずだが、
「ジェラシーはない。世界のチャンス来る人、少ないでしょ。彼が勝てばうれしい。でもワタシもチャンスほしいね」と大人の顔をした。
 リックは耐え、待ち続けた。手術後返り咲いた日本王座を22度も守り続け、チャンスをひたすら待った。それしか彼には道がなかった。

 坂本にとっても、リックは特別なボクサーであり続けてきた。彼の忍耐力、心の強さ、生き方に対し、ライバルでありながら敬意を抱いてきた。
 リックを表現するとき、必ず坂本はこの言葉を使った。
「すげぇ男」

 数年前、年間表彰式で二人が隣り合わせたことがある。試合から五年も六年も経っていた。それでも両者は、一切視線を合わせなかった。どころか二人のあいだには怖ろしいほどの緊張感が張りつめていた。
 以前からゆきこさんは言っていた。
「坂本選手は将棋が趣味なんでしょう? リックはチェスが好き。ふたりとも小さい頃に苦労してるでしょう。私ね、ほんとは二人、気の合う友達になれると思うんですよねぇ」
 だが、この二人にそんな日が来ることは、想像しづらかった。

 坂本が控え室へ着いたとき、リックはシャワーを浴びに行っていた。帰りを待つ坂本の表情にはどこか硬いものがあった。
 まもなく、長い廊下の向こうに、小さなリックの姿が見えた。
 坂本がゆっくりとリックに向かい、歩き始めた。リックもまた坂本の姿を認めると、右手を差し出しながら、歩み寄っていった。顔には普段見せる、あのはにかんだような笑顔が浮かんでいた。
「目の傷は大丈夫?」
 先に言葉を発したのは坂本だった。
 お互いが、お互いの拳をかたく握り合う。
 そして、まず何より先に、というように、坂本は、ずっと謝りたいと思っていた、と伝えた。そんなこと……というようにリックが笑った。
「あの試合、リックに右を使われてたら、勝敗はわかんなかったよ」
「いや、サカモトはグッドファイトした」
 二人があの試合を話題にしていることが、夢のように思えた。
 別れ際、坂本が「俺、夏あたりに佐竹とやることになると思う」と言うと、リックは表情を引き締めた。
「佐竹はうまかった。でもサカモトならダイジョウブ」

 3日後、坂本は成田空港にいた。
 まるで、長年付き合ってきた友達のように、リックファミリーと軽口を叩いていた。
「このお兄ちゃんね、昔、ダディに勝ったんだよ。ひより、お返ししちゃえ」
 そう石川久美子マネージャーが言えば、
「お兄ちゃんのこと殴らないで」と坂本が笑う。
「二人が試合したとき、まだこの子、生まれてなかったのよね」とゆきこさんが五歳になったばかりの娘の頭を撫でた。
 ゲートに入る時間が迫った頃、リックはそれまでの柔和な表情を硬くすると、「サカモト」と、改まった。
「サカモトにはまだ時間、いっぱいあるよ。いっぱいある」



 リックたちが行ってしまうと、石川会長は、「トイレに行って来る」と席を立った。リックを見送ったあとの恒例だった。杖をつく不自由な体でひとり歩いていく。そして必ず赤い目をして戻ってくる。
 いちどきにどっと歳をとってしまったような風情。憔悴と失意を隠せない会長は、坂本の目の前に立つと、「坂本くんよ」と低い声で話しかけた。
「打たせるなよ」
 かつての日本ライト級王者。リックの育ての父親。石川圭一。八年前、我が子の行く道を一時中断させた坂本に、彼はリックに注いできた10数年分もの思いと愛情を託すように、ひと言だけ贈った。
「ボクサーはな、打たせちゃ駄目だ」
 
 去っていく会長夫妻を、坂本は姿が見えなくなるまで見送っていた。消えたあともその場に立ちすくみ、何かを噛みしめていた。しばらくのあいだ、誰も彼に声をかけられなかった。


 
 追記
 7カ月後、坂本は東洋太平洋スーパー・ライト級王者に佐竹に挑み敗れ、以後2年7カ月リングを不在にすることになる。ボクサー生命を脅かし続けてきた重度の椎間板ヘルニア。腰にボルトを埋め込む大手術を決行し、リハビリと再起に向けいちから、練習生から出直した。
「まともな体で、もう一度俺は確かめたいんだよ」
 坂本博之、2005年5月12日再デビュー。


5月5日午前3時、肺炎のため、元日本ライト級王者、石川圭一・石川ボクシングジム会長が亡くなられました。現役時代は新和ジム所属。昭和32年、小林秀人に勝って空位の日本ライト級王座獲得し5度防衛。
石川会長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

talk is cheapスタッフ一同。


■ 男たちの行方 By 加茂佳子 ■ Back Number
・2005 再録 男たち
鳥海 純

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●加茂 佳子 (かも よしこ)
愛知県名古屋市出身。『ボクシングマガジン』(ベースボール・マガジン社)『sports・Yeah!!』(角川書店)、小学館、文藝春秋、リクルートその他で細々と仕事中。DVD、TV番組の台本も少々。共著に『坂本博之 不動心』(日本テレビ出版)。趣味:猫にまみれること。

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