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2月中旬、取材で御徒町に行ったときのことだ。待ち合わせの1時間前に着いたし、もう少し取材の準備をしておきたかったので駅前のサンディーズだかなんだかのファーストフード店に入った。コーヒーを買い席を探すと店内は埋まっていて、ホームレス風のお爺さんが居眠りしているその隣だけが空いていた。足元にはくたびれた紙袋が三つ。それらをよけながらテーブルにつくと、プンとお酒の匂いがした。
ノートパソコンを開いて取材相手の検索を始める。どれだけ時間が経過した頃か、背後から声がした。
「どう、答えは見つかったの?」
ハッと声の方を見ると、左隣で熟睡していたはずのお爺さんが、私の肩越しにパソコンを覗き込んでいた。
「こ、答えですか」
虚をつかれ、思わず口ごもるとその人は画面を指さしながら繰り返した。
「この中に答えはあるんでしょ?」
答えが見つかる場合もあるし、見つからないこともある。
困惑した私はそんなようなことを答えながら、何だか無性に痛いところを突かれた気がしていた。何に対してのかはわからない、がそのとき私は、自分は答えというものを猛烈に欲しがっているのかもしれないと思ったのである。自分がやってきた仕事に対するものなのか、そのやり方についてなのか、方向性についてなのか。ものを書くという仕事に答えだとか正解というものは望むべくもなく(らしきものはあるのかもしれないが)、つまり手応えといった方がいいのかもしれない。ここ最近、人の物語を書くことについての困難さだとか折り合いの付け方だとかでぐちゃぐちゃと考えこむことが重なり、少々気が弱っていた。何か答えなんてものがあったら全面的に頼ってしまいたい、などと思っていたようなのである。が、ただ弱っているだけなら、おそらく見知らぬ初老の人の無邪気な言葉にここまで反応しなかっただろう。答えというひと言に胸をつかれたのは、数日後に鳥海純のタイトルマッチが迫っていたからだ。
ワタナベジム所属、このバンタム級世界ランカーのキャリアは16年になる。
アマチュア時代には新人戦優勝、国体3位、全日本3位、国際大会の日本代表等々能力を証す履歴は残っているものの、タイトルとは無縁できた。プロに転向して9年になる。98年、日本S・バンタム級王者の真部豊(宮田)に挑んで敗れて以降、タイトル挑戦にも縁がなかった。つまり、いまだ無冠。
デビュー当時から彼とは顔見知りでいたが、初めて改まって話を
聞いたのは一昨年のことだ。記事はボクシング・マガジンに載り、タイトルを“影を追いかけてきた男”とつけた。
強さを求めてではなく、シャドーボクシングの美しさに魅了され
てボクサーになったのだと鳥海は言った。その動機はそのまま彼の在り方に繋がったようだった。強さより美しさ。リングに立つ鳥海は十分センスを感じさせるのだが、決してリスクは背負わない、という戦いの姿勢。だから順調に白星を重ねながら存在感は希薄だった。
その彼がある時期を境に変わった。
3年前。色気ある強打で知られる仲里繁(沖縄ワールドリング)に打ちのめされた。初回早々吹き飛ばされ、その後さらに3度倒された。完敗。が倒されるたび立ち上がる鳥海は、以前にはあまり感じさせなかった(というか今までこれほどの修羅場に出くわさなかったから)、勝ちへの渇望といったものを剥き出しにしていた。
それは観客を、特に長らく鳥海を見守ってきた友人たちの胸を激しくうった。
「……感動したよ」
試合後、鳥海はその言葉に耳を疑った。
え、俺でも人を感動させることができるの?
そういう類の賞賛は自分には一生縁がないもの、と諦観していた。
しみじみ嬉しかった。だが勝者として聞きたかった、とも激しく思った。俺が押してる場面なんてほとんどないのに。複雑だった。
おそらくこのとき、彼の内部で何かが目覚め、芽生えた。気づか
ぬふりをしてきたのか、諦めていたのか、求めなかったのか、何にせよ鳥海はこれまでなかった種類の感情や欲、意識を持ち始めた。
意識的にも無意識にも。
仲里戦以降、戦い方は明らかに変わった。
勝機を待つのではなく、つかみにいく。倒し、に行く。KO決着は格段に増えた。それまでKO率は1割少々しかなかった。
その一昨年の取材の最後、今何が欲しいかと尋ねた。タイトル。
という言葉より先に、彼はこう答えた。
「俺、正解が欲しい」
自分がやってきたことが正解だったのか間違いだったのか、その答えが欲しい……。
「だって14年間、人生の半分もボクシングをやってきて、まだ俺の手には何もないんだよ」
よくボクサーは、証、という言い方をする。込められた思い、意味はたぶん近い。が、正解、という表現を使ったのは(私が取材してきた中では)彼が初めてだった。それは新鮮で強烈なものとして胸に響いた。14年、人生の半分、という重さが後押しした。
その時以来、答え、正解という言葉は私の胸に居座るようになっ
た。
「大きくわけたらだけど」と、あのとき鳥海は続けた。
「チャンピオンなれたら正解、なれなかったら間違い」
それから2年が経ち、彼はやっと、ようやく答えを出すチャンスをつかんだ。東洋太平洋王座決定戦。
正解であって欲しい、と思った。正解という答えを出して欲しいと思った。
隣のお爺さんが、おずおずと尋ねてきた。
「俺の答えも調べてくれるかい」
困ったなと思いつつ、何が知りたいですかと聞く。
「そうだなぁ、俺の人生についてなんて、どう? この中には答えがあるんでしょ」
嘘みたいだが初老の人はそんなことを言った。
それは質問が難しすぎてこのコンピュータじゃ調べられない。そんなに能力高くないの。ごめんね。そう言いながら私は席を立った。
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