無冠の王者

 このTalk is cheapに掲載されている打越昌弘氏の「Remember10.14」を興味深く読んだが、途中から打越氏の現役時代の熱い闘いぶりがまざまざと眼前に甦って来た。

 打越氏に取って私の存在はちっぽけなものでしかなかっただろうが、私の中では打越昌弘というボクサーの存在はかなり大きく、そして悲しいほど切ない・・・・・・。

 
 私が4回戦ボーイの頃の日本ボクシング界のスターは高橋ナオトだった。高橋ナオトは日本ボクシング界の歴史に残る最高の逆転KO劇のマーク堀越戦を経て日本中の注目を浴びた次の試合でタイの現役チャンピオン、ノリ・ジョッキージムと対戦。ノンタイトル戦なのに異例の生中継で行われたこの試合で高橋ナオトは1ラウンドにまさかの痛烈なダウンを喫する。タイチャンピオン、ノリの猛攻をフラフラの状態でなんとかしのぎ切って1ラウンドを終える。あの時のホッとした気持ちは今でも忘れられない。

 そして敗色濃厚の中迎えた2ラウンド目に高橋ナオトが起死回生のカウンターで強烈なダウンを奪い返す。逆転劇の始まりだ。

 テレビ観戦であの時ほど興奮した事もない。立ち上がったノリに連打を叩き込み続けついにマットに沈めた時は一緒にテレビを観ていたボクシングに無関心な友人が「オーッ!」と声を上げた。

 2試合連続の逆転KOを演じた高橋ナオトの人気は絶頂に昇る。そしてマーク堀越から奪った日本タイトルの初防衛戦を迎える。相手はいまだ無敗の1位打越昌弘(当時秀樹)。

 そして私は非常に運良くこの試合の前座に出れる事になった。

 試合前の計量の後、医務室の入り口で高橋ナオトとばったり鉢合わせになった。高校時代からの憧れのボクサーを目の前にして硬くなる私の気持ちなど知るよしもない高橋ナオトは試合当日だというのに悲壮感等まったく無く実にひょうひょうとしていた。

 そして1989年10月14日、高橋ナオトと打越の試合が行われた。この日の後楽園ホールの混み具合は凄まじく3500人という後楽園ホールの入場者記録を打ち立てた。私は辰吉丈一郎が日本チャンピオン岡部繁に挑戦した試合の前座にも出たのだが、場内の熱気は高橋、打越戦の方が数倍あった。

 前座の私がリングに向かうのにも人を掻き分けてやっとリングに辿り着いた。

 試合は判定負けだったが、高橋ナオトの試合を観ようにも観れる場所がどこにもなく後輩と一緒にトボトボと家路に着いた。

 深夜テレビ観戦となったこの試合の高橋ナオトは最高に調子が良かった。私が見た中ではベストの出来だった。

 ベストな状態の高橋ナオトの右をまともにもらった打越のアゴは1ラウンドに骨折。その後噴き出してくる血を飲み込みながら応戦するが、6ラウンド高橋ナオトの右アッパーをもらった打越はマットに沈んで行った・・・・・・。

 救急車で病院に運ばれた打越は針金でアゴを固定してプレートをアゴに埋め込むという大手術をする。病室では朝、高橋ナオトへの雪辱を誓うが日が沈む頃になると「やっぱり再起は無理かもしれない」と弱気になる。そんな日々を一ヶ月半に渡って送り続けて退院。

 ジムに戻って来た打越はパンチンググローブに「10.14」と書き込み雪辱の思いを込めてサンドバッグを殴り続けた。

 そしてあの10.14から1年2ヶ月後、打越はカンバックして来た。

 相手は後に日本タイトルに挑戦する事にもなるタフな実力者高倉敬典選手。日本ランカーの高倉選手を倒して一気に日本ランク入りし早く高橋ナオトに雪辱したいと逸る打越に対して、高倉選手の、むざむざと踏み台になってたまるか!との意地が激突して白熱の打撃戦になった。

 粘る高倉選手の反撃を何度もくらいながら、4ラウンドにストップした瞬間、リングを踏みしめながら両方のグローブを握り締めて何度も何度もガッツポーズをとるその姿は実に感動的で、同じジムの先輩達以外の試合で始めて涙を流した。

 
 その後私の出世試合であり打越と同門で後輩でもある高橋孝治戦を経て私は日本ランクの9位から3位へと一気に上がりランキング上では打越の上になった。

 高橋孝治戦では試合後医務室でばったり高橋選手と遭遇して気まずい思いをした。その時高橋選手にピッタリと付き添って来ていたのが打越だった。

 打越は私と目が合うとギロッと睨みつけて来た。その目は復讐に燃えているように思えた・・・・・・。

 それから数ヵ月後打越の試金石になる試合が行われた。

 相手は日本ランカーの玉崎義和選手だ。玉崎選手は当時チャンピオンだった松本好二と二度に渡り対戦し、いずれも後一歩まで追い詰めた関西の雄だ。

 私は打越、玉崎戦を観戦に後楽園ホールに向かい最前列に陣取った。

 試合は実力者同士の一戦に相応しく白熱した。パワーでねじ伏せようとする打越に対して打ち終わりにタイムリーな右を狙って来る玉崎。

 試合は中盤に入り打越がペースを握る。「このまま行けば判定で勝つな」そう思っていると玉崎の右で打越の目尻が切れ大量の出血が始まった。
 
 息を吹き返して畳み掛けて来る玉崎。強気一辺倒の打越が一瞬弱気な表情を見せた。一気に形勢逆転か?と思った矢先、私の隣りの空いてる席に勢い込んで座って来て「打越!」と叫ぶ男がいた。

 高橋ナオトだった。 

 
 すでに引退を余儀無くされていた高橋ナオトはかつての対戦者に自分の夢を託し観戦に来たのだろう。最初は遠目に見ていたのだろうが打越のピンチに思わずリングサイドに駆けつけたようだ。

 前のめりになって打越に声援を送る高橋ナオトを横目で見ながらその熱い心に感動した。

 その甲斐あってか打越は持ち前の気迫でこのピンチを乗り切り逆に反撃に転じて男の意地を見せた。

 ラウンドのインターバル中高橋ナオトに話しかけた。生返事で私の問いかけに答えたが、数年後この時の話しをした際「ゴメン、全然覚えてないわ、ハハハ」と笑っていた。

 あの時の高橋ナオトの目には打越しか映ってなかったようだ。

 この試合を中差の判定で物にした打越に対して「フェザー級最強は打越」との思いを強くした。

 
 しかし打越はフェザー級に留まらずスーパーフェザーに階級を上げた。

 そして順調に白星を重ねてスーパーフェザー級の1位になる。当時のチャンピオンはヨネクラジムの古城賢一郎だったが、打越は以前古城に10ラウンド判定勝ちを納めていた。当時スーパーフェザーでも打越が最強だと私は思っていたが、強すぎるがゆえになかなかチャンスがまわって来ない。

 打越は古城以外にも後のスーパーバンタム級王者になる横田広明にも勝ち、これも後のフェザー級王者になる園寿和に1ラウンドTKO勝ちを納めている。

 三階級に渡って後のチャンピオン達を撃破している打越はまさに無冠の帝王だった。

 そして打越に運命の日が来る。

 ついに古城へのタイトル挑戦が決まりその前哨戦を韓国の選手と行う事になったのだ。

 私は後楽園ホールへと向かった。

 この日のメインイベントは平成のKOキング坂本博之が一階級上の日本チャンピオン桑田弘と対戦する日本チャンピオン同士の一戦でそのセミファイナルに打越戦はセットされていた。場内は満員だ。

 打越の試合が始まる。リングに上がった時からなぜか打越にいつものパワーが感じられない。逆に相手の韓国の選手は筋骨隆々で驚く程パワフルだ。
 
 「何も前哨戦にこんな強いのを呼ばなくてもいいのに・・・・・・」そう思いながら試合を見つめる。

 自分よりパワーで上回る相手に対して打越はテクニックでさばきにかかる。

 何度か相手の強打をもらいながらもポイントは確実に物にして緊迫したラウンドを重ねて行く。

 「判定で逃げ切れそうだ」そう思っていたが、9ラウンド目の開始ゴングがなかなか鳴らない。

 打越のコーナーでレフリーがセコンド陣と慌しく何やら話している。

 そして打越の棄権が場内に知らされた。

 何が何だかさっぱりわからない。

 なぜ勝利を目前にして棄権するのか?

 一体打越に何があったのか?

 すると後ろの方から耳を疑うようなヤジが飛んで来た。

 「カネ返せー!」

 「なに!」と思った瞬間、リングサイドにいた打越の友人らしき人物が立ち上がり、ヤジが飛んで来た方向に向かって「カネを返せだとー!!」と叫んだ。

 遠くから見てもその人物が怒りで体を震わせているのがわかった。

 シーンと静まり返る中、打越はセコンド陣に抱えられリングを後にして行った・・・・・。

 その後姿を眺めながら「打越は熱い心を持った友を持てて幸せだな」そう思った。

 後にわかった事だが、この時の試合で打越は両目の下の骨が陥没するという重傷を負っていたのだ。

 やはり相手のパンチはかなりの威力を持っていたのだ。そんな状態で8ラウンドまで闘った打越の闘志に対して畏敬の念を持った。

 打越再起の知らせを待つがその知らせはついに届かず、そして私も引退した。

 
 引退してからというもの、「もう一度自分の全てをぶつけてボクシングに打ち込みたい」そんな思いに何度も駆られて苦しんだが、そんな時は必ず打越の事を思い出した。

 巡り会わせがほんの少しずれていれば、打越は三階級で日本チャンピオンになっていてもおかしくないボクサーだった。

 それ程の実力を持ちながら、ケガで引退を余儀なくされ結局無冠のままボクシング人生を終え、打越は今どんな気持ちで次の人生を歩んでいるのか・・・・・・。

 打越に会って話しがしたい・・・・・・。

 そう思い続けて5年程が過ぎた頃、高橋直人氏が会長を務めていたJBスポーツジムで始めて打越と会話を交わした。

 私の思いを伝える事等出来はしなかったが、エネルギッシュそうな顔を見れただけで満足だった。

 普通自分と関係の無い他人の試合の日にち等覚えていないものだが、私と高橋孝治の試合の日を覚えていたのには驚いた。 

 あの日からちょうど20年。打越にとって生涯忘れる事の出来ない10月14日を経て、来る11月1日生涯の友、高橋ナオトが待つ最後のリングに、無冠の王者が立つ。

                                (敬称略)




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●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を後のWBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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